願望実現のためという名の肉襦袢を脱ぐ

洋服を買うのが好きで、ついつい散財してしまう。
とある憧れのショップがあって、常に新作をチェックし、財布と手持ちの服と相談するのが日常。

妥協して買ったもの多数のクローゼットが好きなものばかりに変わっていくのは心地良く、服はあるのに着る(着たい)服がない毎日から「今日はどれを着よう」と、同じ迷うのでもフィーリングが違う。
そのショップの服は私の毎日を豊かにしてくれている。

けれど。

「常に新作をチェックし、財布と手持ちの服と相談する」毎日。
楽しいのだけど、まるで中毒だ。

このパンツは手持ちの服どれにも合うから、このパンツさえ買えばもう何もいらないと思ったはずが、数日後には「このトップスを合わせるともっと様になるな」と、終止符だったはずのものが次々欲望を生んでいる。

仮に、今よりもっと自由になるお金が増えたとしても、おそらく同じことを続けるんだろう。同じショップでもっともっと買うか、購入するショップのランクを上げて同じことを繰り返すのだと思う。

 

詭弁さんのまとめを読んで、なんとなくこんなことを考えていて。
そして再度この詭弁さんのまとめ読んだら、450さんのレスが刺さった。

まさにその通りだw生活のほぼ全てが願望実現のために生きている
何か楽しいことも、やりたいこと見つけるのも、好きな物食べるのだって
「願望実現のために」心地よくなるためだもんなー
息苦しいけど、やめられない

自愛やらなんやらで叶えてきたこともあるけど、
一番大きな願望でこんなつまづくとは思ってもいなかった

108さんか誰かが、「エゴにとっての幸せは刺激だ」って言っていた意味が今よく分かるよ
渇望が病みつきなんだよね。達成した瞬間のために頑張ることが、美しく素晴らしいものなんだという信念
子供の頃から教えられてきた「頑張ることに意味がある」ってやつだね
実際なーんも意味ないのに、多分多くの人がこの信念を持っている

実際「幸せ」に度合いはないんだよ。全て等価。
大金を得ることもご飯食べることも道端の花が咲いて綺麗だなーって思うことも
でも「達成した瞬間の幸せ」を刺激的に感じたいがために、日常を憂鬱に暮らし頑張ることを強いられている
滑稽だわ、本当

でも、その意味の無さが分かったからこそ、いわゆる
「今を生きる」ってのが出来るんじゃないだろうかと思ったよ
一瞬の幸せじゃなく、日常的にある充足、幸福、それを味わって生きること
それが願望実現に一番近い、チケットで言う7章の状態

詭弁さん、気が付かせてくれてありがとう

これこれこれ。これ、まさに私!

生活のほぼ全てが願望実現のため。自愛だってそう。このブログだってそう。洋服だってそう。

願望実現のためという名の衣で着膨れしているようだ。
体の何倍もあるくらい大きくて思い肉襦袢を着ているよう。ミシュランマンみたい。

山の上に駆け上って「私、こんなに着膨れしてたー!」と叫びながら脱ぎたい気分。ていうか、脱いでいいんだ!

「脱いだよーーー!」
心の中でだけど、大声で叫んでいる。

 

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