「不足」「不快」を選択している

「あえて”不足”を選択している」、というテーマで参考記事を集めてみました。

>叶ってないのに幸せになってたまるか

あなたはそれを叶えてから、きっちり現象化を起こしてから幸せになりたいと思っているのですね。

しかし、実際にはもう既にあなたの願いは叶っています。

あなたは現象化を条件としているためその既に叶っている願いに気付きません。
あなたは叶っていない現実に抵抗するという形で強力に執着しています。それはあなたの中に現象化してから喜ぶという強いこだわりがあるせいです。
現象化もしていないのに喜ぶなんてバカみたい、もしくはぬか喜びを恐れて、そうしているのかもしれません。
それに充足感自体は現象が起きなくても、イメージすることで感じることができるはずです。
あなたは何故それをしないのでしょうか?
はっきり申し上げましょう。

あなたは願望の実現を恐れています。
理由は分かりませんが、あなたは何らかの動機によって、願望が叶わないように、
現象が起こってもそれに気が付かないフリをしています。

それとあなたは現象化ということに関してかなり固定されたイメージを持っているのではないでしょうか?
もしそうなら、それはあなたの目を眩ましているかもしれません。
あなたのエゴがあなた自身から既に叶っている願いに気付かせないようにしているためのものかもしれません。
特定のイメージは捨てた方が無難です。
願望は時としてとんでもない道筋を通ってやってきます。
あなたが現象化と呼ぶイメージからはかけ離れたプロセスを経てやってくるのです。


長くなりましたが、今あなたがすべきは、現象化にこだわるという姿勢を止めて、
その願望が既に叶ったものとして、その充足感を体に覚えさせることです。


それでもエゴはあなたに「まだ叶ってないよ」と囁きかけてくるでしょう。
以前までのあなたならそこでエゴの声にかまけて、現象化を待ち望むという態度に出たと思いますが、
今度はそうしないでください。
それはエゴの声だという強い認識を持って、願望が叶った時の充足感を感じ続けてください。
そしてその充足感というのはわざわざ感じるというよりも、あなたがエゴの声に耳を貸さなければ自然と訪れるものなのです。
長くなりましたが、以上です。
助けになれば幸いです。

叶っていないというエゴの声に耳を貸さない – subconscious 潜在意識まとめ

932:もぎりの名無しさん:2018/01/28(日) 14:54:34 ID:3U3QSNVg0

自愛について少し勘違いしてやってたというような気づきがありました。

なんというか、今までは自分を愛さなきゃという視点でやってたんですが、
今自分が愛している対象については「ただ自分が愛している」こと自体が気分が良くて。

気持ちがいいと気づいて、ただ愛するということが
気持ちいいんだと認識が変わって、自分に対しても愛さなきゃではなく
ただ愛してるという気持ちを抱けるようになりました。

そうやっているうちに〇〇を愛してるとか、自分を愛してるとかではなく対象がなく、
ただ愛してることが気持ちいいんだと思い浸るようになりました。

愛を送るメソッドも対象を外し愛に浸ることと書かれてたり
isaさんも対象を外し愛に浸ることも自愛だと言っていたことが
やっとわかった気がします。

そして愛に浸ってる時にエゴが不安を出してきても、
愛に浸る方が気持ちいいからいいやとすぐに戻った時に、
今まで自分は快と不快どちらでも選べるのに好き好んで
不快を選んでいたんじゃないかと思いました。

TGさんのいう充足と不足のどちらを見るかというのも
同じようなことなのかなと思いました。

935:もぎりの名無しさん:2018/01/29(月) 13:28:03 ID:epqQ2w4w0

これ良いですね。
本来自愛に対象はないんです。自分が愛そのものなので。
ただ愛しているだけでいいんです。

エゴが出てきても、そんな自分でもいいとしてあげること。
無条件なんです。

そこには充足しかありません。
その愛に浸れていれば、108さんの言う完璧もわかってきますよ!

TG式 10 状況にのまれるのではなく、状況の見方を変える。 これも充足を見るということです。 | ザ・チケット板☆備忘録

認識がまた変わりました。
結局今までの認識が変わった方と同じようなことしか書けないけれど、
ちょっと感動したので、書かせてくださいね。

それはありふれた言い方になりますけど、
「この世界で完璧だったのだ。この世界を自分は選んでいたのだ」ということが
腑に落ちたということです。

不足のあるこの世界を「自分で望んで」選択していたのだ、ということです。
エゴからすれば「足りない!どうにかしたい!」と思うような世界ですが、
そもそもそういう世界を自分は作っていたんです。
だから変える必要もなかった。(そもそも変えられませんが)
エゴが「こんなの嫌だ」と物申すのは当たり前です。
だってわざわざそういう風にプログラミングしたんですから。

てゆうか、「不足の出前一丁!」と電話で注文しておいて、
いざ届いたら「なんだよこれ。」っておかしくないですか?

自分が完璧に世界を創っていたことを知って、
心の底から、自分やるじゃん、て思いました。

それと同時に、今まで、エゴと同化して
「どうにかしよう。なんだこの世界。コントロールしないと」と取り組んでいたのがばかばかしくなりました。
エゴはエゴとして仕事をしているだけなんですね。
そういうエゴすらも自分でプログラミングしたのかもしれません。

自分なんていないという感覚はわかりません。
けれど自由意志がないというのは良くわかるようになりました。

そもそも「不足のある世界」を頼んでおいて、それが完璧に出来上がっている中で、
何も変えられないし、変える必要がないということです。
「ああ、また意図したとおりに完璧にできたなぁ」と感激して
他の世界が良かったらただそっちを選ぶだけです。

選ぶ、というと何かするような印象を受けますが、
エゴや不足が湧いてきたら、それをスルーして(これが選択)
常に満たされていればいいだけなんだと思います

エゴが想像する以上に素晴らしい世界が広がるだろうと確信しています。

長々書きましたが、端的にいうと、
「願うのをやめたら願わないで済むような世界が広がっていた」ということです。

叶えるために何かする世界から物事を見るのをやめるんです | ザ・チケット板☆備忘録

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