「感情ナビ」じゃん

言語化しにくい・・・というか、まだ理解しきってないのか?
腑に落とす前に、言葉にしようとしているのか?
単純は話を、難しく書こうとしているのか?

とりあえず、いま大事だと思う要素を書いてみる

きっかけ

・こっぱみじんさんの
 「すでにあるがわかって、不安感や焦燥感が木っ端微塵」

・求めているのは、「感情」の記事

・「ない」から「ある」。
 「在る」を否定するから「ない」の自己観察さんの記事

・久々みた「こまけえ」さんの記事
 → いつから「気分をねじ込む」やめちゃったんだっけ?
  そのころのほうが、うまくいっていたよな。
 

大前提

・すでにある(叶っている)

・不安は「ある」ではなくて「ある」を否定してるもの

アドバイスではないんですけど、たぶん不安なこと考えて苦しい人は、
不安自体も苦しいけどその「不安」が実現するんじゃないか、ということでさらに
不安になってしまうんじゃないかと思ったので、それは違うということだけ書いときます。

「既にある」というと不安なこと想像したからそれも
「既にある」ってことだよね、と誤解しがちだと思うんですが、
不安は「ある」ではなくて「ある」を否定してるもの、です。

「既にある」は本当にすべての可能性が潜在的に存在するんだけど、
それは想像も出来ないくらいの、無限のあらゆる可能性です。

彼だけじゃなく、まだ知り合ってもない人との関係も含まれるくらいありとあらゆる可能性。
それは例えばラジオでいうホワイトノイズ状態(すべての周波数が存在してる状態)みたいなもの。
どの可能性もただ偏在するけれど、あなたがそれを受信しない限りは
ただのノイズであり、空気みたいなものです。

で、その全方向に散らばってるあらゆる可能性の中から、
あなたが彼を好きになって「恋人関係になりたい」と望んだときから、
「彼とうまくいく」現実だけが、すべての可能性の中から活性化されて現象化するんです。
ラジオでいうと受信できたというところ。

じゃあ不安なこと考えてたから不安な現象を受信してしまったのかというとそれは違うんです。
なぜかというと、あなたは「彼と恋人になりたい」という願望を抱いた時点で、
「彼とうまくいってる現実」を選択(チューニング)したからです。

「うまくいかないかも」とか「彼には他に好きな人がいるかも」とかの不安は、
「彼とうまくいきたい」という願望を持った上で、それを否定したものです。
「否定」というのは「ある」ものがないと否定できないからです。

もしあなたが「彼とうまくいきたくない」という願望を持ったのだとしたら、
それは現状が「嫌いな彼から好かれて困ってる」とかそういう状況でなければなりません。
そんな事実はないので「うまくいきたくない」は願望として成立しません。

つまり「彼とうまくいってる現実」が存在するからこそ、
あなたはそれを受け取ることを拒否できるんです。

だから「彼とうまくいかないかも」という不安な想像は
「ある」ではなくて、「ある」を否定するもの「彼とうまくいってる」現実が真実で、
あなたが見てる現実は真実ではなくて、真実を否定してるエゴのでっちあげにだまされてるんです。

ちょっとややこしいですが。

ラジオでいうと、ちゃんと聞きたい放送を受信してるのに、
耳をふさいで自分の不安と対話してる状態かな。
思いっきり抵抗してる状態です。。

なんでエゴが真実を否定してるかというと、エゴは「ない→ある」という過程を
でっち上げるのが習性なので、そういう見方しかできない。
だからあなたがエゴと一緒になって「ない→ある」を経験しようとすれば、
エゴは分離なので「叶ったり叶わなかったり」の範疇でしか実現はありません

あなたがそのエゴの習性を、ただそういうものなんだな、という見方が出来れば、
「ない→ある」を超えた見方すなわち「もう叶っている」ということがわかるようになります。

「だまされてる現実」を不安が実現した、と見ることも出来ますが、
それも「ない→ある」を前提とした見方ですよね。
だからあなたが「叶ったり叶わなかったり」はもう嫌だ、と思うんなら、
そろそろだまされてることに気づいて真実の方を見てみるといいんじゃないでしょうか。

ということで不安は実現しません。
不安になったからといってそんなおおごとでもないんです。
「不安になった」=「望む現実が実現してるのに、わざわざ否定しているだけのこと」です。
だからその否定や抵抗をやめればいいわけです。

「不安になってるなー」くらいでもいいし、不安の声を聞いてあげてもいいし。
自分に合うやり方で、その不安と向き合ってみれば抵抗してる力がぬけてくるんじゃないかな。

とりあえず「不安が実現するかも」と言う理解をしてると「不安になっちゃいけない」となって
余計に不安が増幅するように思うので、不安は実現しない、というのがわかれば
少しは安心できるんではないでしょうか、と思って書いてみました。

自己観察式47 何かを望むのは、その「意図」が無意識にあるから

・感情ナビゲーション

こっぱみじんさん

「不足・不満・不安は自然じゃないんです。デフォルトじゃない」
「足りてるのがあなたの既定、デフォルトってことです」
「不足や不満を思うと不快なのは、自然じゃないから」

チケット

「おかしい」という言葉は、チケットから思いついた

「本当は、とっくに願いが叶って、幸せを感じているはずなのに」

エゴ

・エゴは悪いものではない。

・エゴも味方

・たんに、道を指示してくれているだけ。
 → むしろ、愛の領域に戻そうとしてくれている。

・そんな大事なナビゲーションを消そうとしていたんだ。
 そりゃ、エゴも必死で抵抗するよなぁ

・発狂するほど「絶対に危険!な警告」をしていてくれたんだなぁ

おかしいのは「現実認識」

・「知覚不全」「マトリックス」

・「現実」を「真実」だと思っている、自分の意識の焦点がおかしい。

・認識変更できていないと思っている自分がおかしい。

・この体の不快感も、おかしい

前提が「もう叶ってる。すでにそれはある。」これを採用するとしたら
「ある」はずなのに見えないのはなぜ?ではなくて。

「見えないと思ってる」その思考(認定)
「なぜ見えないの?」「だって今ないじゃん」という思考。
そして、それらの思考に付随する感情

それらが全部嘘で錯覚ということになる。

ということが腑に落ちれば、その嘘の思考、感情に振り回される必要がなくなる。
そんな思考に乗っとられそうになっても、その思考が錯覚からの認識ということに気づいていればOK

だから執着がダメというわけではなくて、執着することの意味がなくなる。
執着自体が嘘の思考なので、嘘の思考に振り回されて苦しい、なんて
わざわざそんな面倒なことできなくなる。

そういう意味で、執着しているということはそのことがわかってない
(嘘の思考に騙されてる)だから叶ったり叶わなかったり。

エゴからの願望は叶わないのか?は、エゴは「ない」という嘘が前提で欲してるので、
終始そこから視点が変わらなかったら実現は難しい。うまく手放せれば叶うかもしれないけど。

「ある」を採用するなら、今まで自分だと思い込んでた思考が、
実は自分のものではないんではないか、集合意識とか社会通念とか記憶、
そういったデータ(思考は単なるデータベース)が再生されてるだけなんじゃ?
と、自分の思考や感情を疑ってみるところから始めてみたらいいかもしれないと思った。

思考が自分ではないとしたら、本当の自分とは一体何なのか。
その思考を採用するかしないかを選べるんじゃないか、とか。
そこに焦点を当てて感じてみたらいいんじゃないかな。

別に悟りとかなくてもこの辺は適用できると思う。悟りがあるとしたらその先かも。
悟りたい人以外は、そこにこだわる必要全然ないよ。

自己観察式 27 自分の思考、それに付随する感情、それらが全部嘘で錯覚

U4さん

「現実を疑う」

安心安全の領域

・いま書いてる時点で、いろいろ思い起こしているから、エゴ的には、「イライラ」している。
・でも、安心安全の領域は感じられる → むしろ、イライラしてるから気づきやすいかも。

まとめ 「現実認識」と「エゴ」を分けろ

★感情ナビの話
 「エゴも味方」

★現実認識の話

→ 結局、「こまけえ」さんと同じ

「現実というものに意識の重心を置けなくなり、知らない間に常に内面を真実としていました」

→じゃあ、どうする?

「気分を変えられない」と思うのも、エゴ

 → 「いいよ」で許す。許しているのは「別の領域」

コメント

  1. […] ネガティブなときは、現実を疑うこと。自分の過去記事より部分転載 […]

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