「こんな偶然あるか?」と思えるほどの場所とタイミングで、十数年前の会社の先輩に再会した。
そこから突然ラブストーリーがはじまればいいんだけど、実際に会えたのは、ただのおっちゃん。
それ自体は、まったく望んでもいなかったし、全然嬉しくもなんともなかったんだけど、
そのあまりにも秒単位で調整されたような出来事は、「奇跡的な偶然」、を信じるに足るものになった。
というわけで、たぶん初めて知ったんだけど、「自我幻マン」って方、すごいな。
つまり、最初から答えは出ています。
それは、叶える「方法」を知るのではなく、叶う法則の中に元々居ると気づく事。
叶う法則に気づくという事は、願望を認識する事が容易いように、叶う事も容易く認識出来る、
認識して良いと知っているという事です。メソッドは、その「叶えるという認識を、もう持ってもいい」という手助けの為にありました。
別にメソッドに力があった訳でも、自分の思考感情に力があった訳でもありません。
いや、そこに力があると感じるかどうかも、あなたの認識一つですね。最初から、その自我による認識で成り立つ仕組みが合ったという事。
世界も、願望も、そしてその実現も、全てがそもそも自我による認識の上にあったって事です。
認識一つで全てが成り立っていて、何とでもなりえるという事に気づく事。気づいたら、それで終わり。
だって方法を求めなくてもいいと知っていますから。
これ以上、何をすれば?という事もありません。一行でまとめるなら
【自我幻マン03】 認識一つで全てが成り立っていて、何とでもなりえるという事に気づく事 | 潜在意識 珠玉のレスファイル集
「細かい事はいいから、自分を信じて待っとけ、どうせ叶うから。」
ってとこでしょうか。
とくに、この「自分という窓」という表現がすごい
では、起きている時はどうでしょうか。
そこには、認識のみの世界が広がってます。
自分ありきでしか存在しえない、認識だけの世界です。
何が可能で、何が不可能か。何が良くて、何が悪いのか。
どう行動して、何を答えとして、どこに向かっていくのか。
そして、何を願望とし、何をもって叶ったとするのか。
ここでは、自分という認識によって、全てがあり得ます。
どんな認識にも、「自分」が100%くっついています。
その全てがあり得る世界の中で、自分という窓を作って、
自分という範囲の中から「願い」や「叶う」も認識しています。
そんな風に、起きている間は、自分という認識の窓があるからこそ、
寝ている時とは違い、「ある」も「ない」も認識出来ます。
まあ、自分が居るおかげで世界を認識出来ると同時に、
そんな自分が居るからこそ、「ない」を見て苦しんでいたんですけどね。
そんな認識のみの世界の中で、
「これはただ、私が認識しているから成り立っている世界なんだな」
と気づく事が、自我は幻だという僕の話。
その中で、この認識そのものが、ただ存在しているだけと気づいたなら・・・
認識のみの世界の中で、認識する存在(自分)が消える訳です。
つまり、全てがあり得る世界で、その一部を見るための、自分という窓が消えるって事。
実際には、自分は消える訳じゃないですけどね。消えたら何も認識出来ないですから。
まあ、自分が存在しながら、その自身の制限を勝手に決める必要は無いと気づく訳です。
【自我幻マン07】 「自分」という制限がなくなれば「自分」にとって一番都合の良い世界を認識し始める | 潜在意識 珠玉のレスファイル集
★どこの記事か忘れたけど「自分という思考は後出し」って表現も、すごく感慨深い・・
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