こまけえさんの「自愛」系

それで内面世界で叶っていたら「いつか」現実世界も追いついてくると書いてらっしゃいますが、確かにエゴ的にはそういった表現にならざるを得ないですが、スピ的には正確ではないです。そういったタイムラグはないんです。ある状態がある状態に移行するというタイムラグ(時間軸)はなくて、

選んだものが即世界になるというだけです。もっと正確な感覚で言えば、既にそれがあるから選べるという感じ。

コンビニの棚にチョコパンとジャムパンがあって、目を向けた瞬間にどちらもそれを買う世界を瞬時に想像(既にある)できますよね。そんな感じなんです。これに関しては今にあるとかをすればなんとなくわかってきます。

ですので現象化を期待するとはスピ的なあり方とは矛盾しますが、だったらそんな期待している自分さえもサクッと叶った世界の自分へ落とし込めば解決なんです。

一言で言えばまた自愛になっちゃうんですが、とにかく今のダメダメな自分でいいじゃんと許して上げることです。自分にスパルタである必要はないんです。自分を何かと責めてしまう習慣を止めるんです。存分に甘やかせばいいんです。

まあ、何か一つのアプローチで行き詰まれば他にやり方は無数にあるので、向き不向きもありますから、色々試してみてください。

その上で今を充実させるやり方で言えば、私自身はガチでやった結果、何度も書いていますが現実は気にならなくなりました。現実に支配されなくなるというか。意識せずとも自然に気にならなくなるんです。内面を主と思い込ませたこともその理由の一つですが、やっぱり無条件で自分そのものを受け入れたからで、すなわち自分を好きになったからだと思うんですね。自分そのもの自体で「好き」とか「価値」が成立してるんで、現実に左右されなくなるといったところでしょうか。結局叶った自分ってのは自分のことを好きな状態ですから、自分を慈しむこともやはり疎かにしてはならないと思います。

ある状態からある状態に移行するというタイムラグはない|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!

しかし、自愛はそうではありません。

思考や不足さえも肯定し、許して受け入れてしまうのです。思考と対峙するという図式そのものを消滅させるのです。自愛さんは実にダイナミックです。

「呟くのをサボってしまった…」なんぼでもサボったらええやん。「『今』に集中できなかった…」でも…それって素敵やん。「思考に飲み込まれてしまった…」飲み込まれたん? これで願い事叶うやん。

もうメチャクチャです。自愛とは言い換えれば「コミュ障メソッド」とも言えるかもしれません。エゴ(思考など)がいかに不足で討論を挑んでこようが、とにかく受け入れ、肯定していくので議論になりません。思考や不足でさえも肯定することで、逆に関連付けを消滅させ、エゴをいかに対処していくのかという潜在意識のテーマすらも破壊してしまう、恐るべきデストロイヤーなのです。

と、同時にいかに今の今まで自分が無意識に自分を責め続けていたのかを実感することができます。そして、その責めていた過去すらも肯定します。肯定とは完璧認定とも言えます。どんなに不完全でも不足まみれでも、「オーッケーイ!」と解説者・古田並みに、決してそれは間違えではなかったと受け入れ、肯定していくのです。続けていけば、無防備になります。メソッドやら不足やら潜在意識やら、そういった重い具足は既に周りに転がっているはずです。無防備とは何に対してかと言いますと、充足です。無防備ですから充足という熱風を肌で体感することができるのです。今のままで完璧だと、今のままで叶えていいんだと(叶っている)とわかります。いや、元々そうであったと。

デストロイヤー「自愛」さん!!|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!

コメント

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