なんかここ1週間でいろいろ感じてたこと。
バグってるなあ・・
前回の記事からの流れで、「1mmも不足を味わういわれはない」って思ってたんだけど、でもそれって、
エゴをコントロールしようとしていた
ことだったんだよな。そもそも、
認識変更したら、ネガティブが湧いてこないようになると思ってた。
ネガティブが湧いてきたら、失敗だと思ってた。
結局、うまくいくようになったのは、別の領域への確信が高まってきたから。充足を信頼できるようになったから。実像への信頼が高まらないと、現実がどうでも良くならない
エゴを無視する= エゴの存在を認めてる
ということになるので、そんなバグはほおっておけばいいと思ってた。
虚無感
・・・と思っていたら、先週末ぐらいから、気持ちがダウン気味。
明らかなネガティブではないんだけど、ちょっとわかりにくい、この重い感情はなんだろう・・・と思ったときに出てきた言葉が「虚無感」
なんだか牢獄に閉じ込められているような、でも、そこから抜け出すのもめんどくさいような、
どうせ無理・・・とかではないんだけど、あんまり願望について考えていない・・・けど、決していい感じじゃない。
これもエゴの抵抗なんだとおもう。「実像」とは正反対の感じがするな・・・愛の対義語は無関心、だっけ。
最終防衛システム[エゴ]はすごい
以前なら、どわ~っと、このままエゴに持っていかれていたところだけど、ネガな状態を客観的に書き出すことで、なんとか踏みとどまれていた。
実践でやりきる・・・はずが
まぁ自分の実践が「実像に浸る」に尽きるので、「無条件に実現する」ではなく、制限をかけちゃってる部分はあるんだけど。
こまけぇさんの根性論も好きだし。
でも、どうしてもそういう実践ができないモードだったんだよね。
不足を叶えている
自分と認識しているものがどんな状態でも、「ある」から、いいや、というところも、なきにしもあらずだけど。
個人的にめっちゃ読んでる自己観察さんのコメントなんだけど、このブログではまだ引用してなかったので、引用してみる
714 :もぎりの名無しさん:2011/05/13(金) 04:04:42 ID:Haaj3HU.0
自愛や自己観察やある認定やらお任せし始めても、いつまでたっても中々
現実が動かない場合もあると思うんですよね。そうすると段々エゴが疑いを持ち始める。「やっぱりウソなんじゃないだろか」
「どうせ自分は何やってもダメなんじゃないだろうか」
「こんなこと信じて手遅れになったらどうしよう」
「なんでいつまでも現実は動かないんだ!!!」とか色々。
今まで色んな成功法則やらセラピーやらやって来て、もう他に代替としてやる事もない自分は
それらのエゴをただじっと観察したり、観察も出来ないほど不安になったら
ヤケであえてその不安に飲み込まれてみたり、紙に書きなぐってリリースしたり…自分の場合はもうそれくらいしかやる事が無いだけなんだけどw
現実が変わらないじゃねーか!ってエゴの叫びが今の自分には一番キツい。
その辺、上手く乗り越えられた方、いるかな。こうしてここに書き込むのも不安なエゴの声を無視しきれないからだよねーはあ…
750 :もぎりの名無しさん:2011/05/14(土) 04:29:01 ID:psg5Ebes0
>>714
たぶんこのパターンで叶ってないという人多いんでしょうね。
仰ってるとおり「不安なエゴの声を無視しきれてないから」なんですよね。でも不安を取り下げて喜んでてもし不幸なことが起きたら怖い、不安を持ってれば
ショックが最小で済むからとか。ここで躓いてる人が多いんじゃないかと思うんですが、
不安になってしまう、どうしよう。といってる人は、結局は不安がすきなんです。不安を手放したくないだけです。不安を感じてるほうが安心だから。
もしそんなことないと思うんなら、もう不安を感じたとしてもそこに同化しなければ良いだけです。で「不安を感じてるほうが安心だ」と思ってる自分に気づけたら、それに向き合ってみると
良いかもしれないと思いました。それは本当の安心なのか?とか
もっと本当に安心を感じられるものがあなたの中に感じられないかとか。あなたがあなた自身の中に安らぎを感じられる領域を体感できたら、
自己観察式 28 「不安になる、どうしよ」といってる人は、結局は不安が好きな人 | ザ・チケット板☆備忘録
今まで手放せなかった「不安を感じることの安心」なんてものはどうでも良くなっちゃいますよ。
下記も、同系統の記事。
746 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/07/10(日) 14:27:23 T0nSQllEO
恋愛スレに書き込みしたものです。
もう昨日からエゴに振り回されっぱなしで苦しい…もう絶望な気分しかない。既にあるんだったら今まで不安に思ってきた嫌なことも既にあるんだよね。
そんなこと全然望んでないのに…色々まとめサイト読んだけど余計に分からなくなってきちゃった。
甘えているのもわかります。でもとにかく助けて欲しいです(T^T)753 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/07/10(日) 22:06:25 ID:psg5Ebes0
>>748
アドバイスではないんですけど、たぶん不安なこと考えて苦しい人は、
不安自体も苦しいけどその「不安」が実現するんじゃないか、ということでさらに
不安になってしまうんじゃないかと思ったので、それは違うということだけ書いときます。「既にある」というと不安なこと想像したからそれも
「既にある」ってことだよね、と誤解しがちだと思うんですが、
不安は「ある」ではなくて「ある」を否定してるもの、です。「既にある」は本当にすべての可能性が潜在的に存在するんだけど、
それは想像も出来ないくらいの、無限のあらゆる可能性です。彼だけじゃなく、まだ知り合ってもない人との関係も含まれるくらいありとあらゆる可能性。
それは例えばラジオでいうホワイトノイズ状態(すべての周波数が存在してる状態)みたいなもの。
どの可能性もただ偏在するけれど、あなたがそれを受信しない限りは
ただのノイズであり、空気みたいなものです。で、その全方向に散らばってるあらゆる可能性の中から、
あなたが彼を好きになって「恋人関係になりたい」と望んだときから、
「彼とうまくいく」現実だけが、すべての可能性の中から活性化されて現象化するんです。
ラジオでいうと受信できたというところ。じゃあ不安なこと考えてたから不安な現象を受信してしまったのかというとそれは違うんです。
なぜかというと、あなたは「彼と恋人になりたい」という願望を抱いた時点で、
「彼とうまくいってる現実」を選択(チューニング)したからです。「うまくいかないかも」とか「彼には他に好きな人がいるかも」とかの不安は、
「彼とうまくいきたい」という願望を持った上で、それを否定したものです。
「否定」というのは「ある」ものがないと否定できないからです。もしあなたが「彼とうまくいきたくない」という願望を持ったのだとしたら、
それは現状が「嫌いな彼から好かれて困ってる」とかそういう状況でなければなりません。
そんな事実はないので「うまくいきたくない」は願望として成立しません。つまり「彼とうまくいってる現実」が存在するからこそ、
あなたはそれを受け取ることを拒否できるんです。だから「彼とうまくいかないかも」という不安な想像は
「ある」ではなくて、ある」を否定するもの「彼とうまくいってる」現実が真実で、
あなたが見てる現実は真実ではなくて、真実を否定してるエゴのでっちあげにだまされてるんです。
ちょっとややこしいですが。ラジオでいうと、ちゃんと聞きたい放送を受信してるのに、
耳をふさいで自分の不安と対話してる状態かな。
思いっきり抵抗してる状態です。。なんでエゴが真実を否定してるかというと、エゴは「ない→ある」という過程を
でっち上げるのが習性なので、そういう見方しかできない。
だからあなたがエゴと一緒になって「ない→ある」を経験しようとすれば、
エゴは分離なので「叶ったり叶わなかったり」の範疇でしか実現はありませんあなたがそのエゴの習性を、ただそういうものなんだな、という見方が出来れば、
「ない→ある」を超えた見方すなわち「もう叶っている」ということがわかるようになります。「だまされてる現実」を不安が実現した、と見ることも出来ますが、
それも「ない→ある」を前提とした見方ですよね。
だからあなたが「叶ったり叶わなかったり」はもう嫌だ、と思うんなら、
そろそろだまされてることに気づいて真実の方を見てみるといいんじゃないでしょうか。ということで不安は実現しません。
不安になったからといってそんなおおごとでもないんです。
「不安になった」=「望む現実が実現してるのに、わざわざ否定しているだけのこと」です。
だからその否定や抵抗をやめればいいわけです。「不安になってるなー」くらいでもいいし、不安の声を聞いてあげてもいいし。
自分に合うやり方で、その不安と向き合ってみれば抵抗してる力がぬけてくるんじゃないかな。とりあえず「不安が実現するかも」と言う理解をしてると「不安になっちゃいけない」となって
自己観察式47 何かを望むのは、その「意図」が無意識にあるから
余計に不安が増幅するように思うので、不安は実現しない、というのがわかれば
少しは安心できるんではないでしょうか、と思って書いてみました。
「なる」が「解除された」ではなく、
「ない」自分に「なっていた」
幸せでいるよりも、愚痴っていたい。文句をいっていたい。
そんなエゴの性質にも気づいた
その正体は何かって思ったときに・・・
拗ね
やっぱり、「拗ねてる」という言葉がぴったり。過去何度も、「拗ね」については書いているんだよな。
ここで自愛が必要だ。
そんな、実像を感じられない「拗ね」モードが3日ぐらい続いたあと、ふと「あ、ここで自愛だ」と思ったんだよね。
与える愛と、受け取る愛。
実像を感じるというのは、どちらかというと「受け取る愛」だと思う。自分のなかの源泉から、ぽかぽか湧き出してくる愛を味わう感覚というか。
ただ、その源泉を感じられなくなっていたので、「風船自愛」みたいに、積極的に自愛(=与える愛)をしてみた。そしたら、上記のような「拗ねてる」みたいな気持ちはだんだん薄れてきて、再び充足も感じやすくなってきた。
近況
そういえば、いまの時点で、エゴ目線でも「願望」って特にないんだよなぁ。かなりのことが叶ったし、やりたいこと、やってるし。
通帳やカードの引き落としで「【減った】と思ったお金が減ってない」ってことが3回ぐらい起こって、感覚的には20万ぐらい浮いた。現実が変化してきているのは確か。
今回、停滞を感じてしまったのも、筋トレしはじめたから、日中身体にダメージがあるから、ちょっといい気分が感じられなかっただけかもしれないな。
まとめ
願望実現するために、いい気分になろう、ではなく、単純にいい気分でいたいから、いい気分でいる。
それが自分の本質=実像だから。
それに、「いつか」の願望実現ではなく、「いま」叶っているわけだから。
基本的に、実像を感じられているときって、エゴはおとなしい。
「エゴを無視する」という方向に突っ切ると、エゴが暴れやすくなる。一方で、「自愛」の言葉がけをやっていくのも、思考につながりやすく、かえってエゴが活性化する。
基本的には、エゴに関わるよりも「実像」だけを意識して生活しつつ、「実像」を感じにくい、イメージングもやりたくない、というあんまり実践が進まない無気力状態になってきたときだけ、自愛、って感じが、いまの自分にとってはベストなんだと思う。
せっかく自愛道だし、自愛もうまいこと併用したい。
毎日いろんなことが実現していくのを楽しみたい。
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