にたまごさんの「なる」

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記事書きかけで気が付けば1か月近くたってしまった。あけましておめでとうございます。

こまけぇさんでよいなと思っていた記事

12月の下旬にメモしていたこと。前回の「焦点」の記事にもリンクするところがあるかと。

何十年間エゴ(個人)を通した認識で生きてきたわけですから、なかなか「はい、さよなら」とエゴちゃんとお別れはできないものです(当然、できる人は制限せずにしちゃえばいいです)。ただ、逆から言えば、この個人という意識の幻想に気付けば全てが終わるといってもいいくらいです。

「今にある」などを実践して、個人という自分はいないということをベースにできれば、見たいものを採用することができます。採用と言うか、それを思い浮かんだ時点でそれと一体であることに気付けます。


今にある時の感覚としては達人の桑田さんが言っていたように、景色と一体化するという表現が端的でわかりやすいと思います。日常から思考との一体化をやめれば、思考もただの雑音になり、景色の一部となります。

思考も当然、「自分=世界」の一部なのですが、それに強く焦点を当てることはなくなります。汗が出てきても、それを拭うことはしますが、それに囚われることはしないですよね。それと同じ感覚です。焦点を当ててもいいし、当てなくてもいい。だったら好きなものに当てた方が有意義ですよね。

極端な話、自分という肉体を通して何かやろうとするのがエゴです。そうじゃなくて、肉体を飛び越えた景色(世界)全体に自分があると、こうしようと思った時に世界全体がグニャンと、もうそうなっているのです。エゴ目線で言えば、「なった」時点でほにゃららというヤツです。これを体感できるのが認識の変更なのかもしれません。

ただ願望を叶えるのに認識の変更は必須ではないです。エゴからでもガンガン内面を変えりゃ済む話ですので。

肉体を通すのではなく、景色と一体化する!!|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!

ただ、それ以上に、「にたまご」さんに衝撃をうけた。

にたまごさん

こまけぇさんへの実現報告で「認識変更しました」系と「願望実現しました」系がある中で、やっぱり「願望実現」のほうがインパクトが強いよね。当たり前だけど。

にたまごさんは、こちらの記事のコメント欄に登場したときから気になっていたんだけど、最初の記事が印象的

じゃがいもさんへ
私は少し前に、こまけえさんのブログや様々な達人さんの記事を読んで、既にあるがわかり、願望を叶えているモノです。少しでも参考になればと思いコメントします。
結論は、思考しないってことに尽きるんじゃないかと思っています。

「現実はそうは見えなくても、内面では叶った状態を選択できる」

これはこれでいいと思いますが、なんか、迷いがある感じ、つまり思考している感じに見えました。要するに、現実がどう見えようと、もう叶ってるんですよ!マジで!
例えば、異性にモテるが願望としたら、今一人であろうが、年末年始に誰とも話す人がいなかろうが、モテモテな自分なわけですよ。自分が支配者ですよ。どう思うのも自分なんですよ。

ただ、どうしても、現実を見て、今日も今日も、お前、セックスしてないじゃないかと、自分を責めてしまうと思うのですが、これが余計な思考なんですよ。

だから、結論、そんな余計な思考はしないってのが、既にあるを実感する一番の方法だと思うよです。僕にとってはですが。
こまけぇさんの記事だと最近の、
「別の領域」にあることを趣味にする
の記事が参考になるかと。こまけぇさんは、自分を天井から俯瞰して見つめるみたいなことを書いてましたが、これって、思考する自分から離れて、単に、なった自分を見つめるってことかと思います。ただただ、異性にモテモテな自分を外から見つめてる感覚です。これなら余計な思考が薄れて、既にあるを実感できるんじゃないでしょうか。
ちなみに、僕自身は、思考まみれだった頃、モテモテの自分になっても、なぜ、今この瞬間、セックスの快感を味わってないのかと、既にあるを信じられなかったのですが、自分を俯瞰してみると、見ている自分は別に気持ちよいとかどうとか、離れて見ているから関係ないわけで、そうなると、淡々と、モテモテの自分を見続けられることができました。
そうこうしてると、いつのまにか現実でもモテだしたのです。
なので、思考せず、淡々と既に叶っている自分を見続ける第三者になるのが良いのかと思いました。
じゃがいもさんが求める答えではないかもですが、僕も同じように悩みましたので、お答えさせて頂きました。

https://komakeekoto.com/kuronekosan/#comment-17202

つづいて、「自分を見る」を「イメージング」を含めて説明してくれているコメント

モテモテの自分をイメージって、寝る前とか何もしていない時間に、異性から言い寄られてる自分を頑張ってイメージする感じです。

でも、私の場合、それが苦手なんですよ。やってもあまりワクワクせず、続かないんですよ。

モテモテの私を見るは、異性に言い寄られてる自分を見るというより、単にモテモテの自分を見るって感じ、、、

説明になってないですね。
あ、モテたいさんの周りにも、めっちゃモテてる人とかいるじゃないですか?

自分がそんな人になって、そんな自分を見ている感じですかね。
雰囲気というか。

私が思うモテモテの人って、常にリラックスしていて、いい感じに力が抜けていて、穏やかな印象ってのがあったので、自然とそんな感じの自分を見ているという感じですね。
決してチヤホヤされてるような、外部の反応についてのイメージは全くしてないですね。

https://komakeekoto.com/kuronekosan/#comment-17243

個人的には、イメージングのほうがやりやすいけど、説明わかりやすかった

次は、「とことんやる」ことについて書いてくれたコメント。

天井からもう1人の自分を俯瞰する感じは私にはちょっと難しすぎて、、、
なので、普通に自分自身の中から見てる感覚かな。でも、自分自身とは別ってゆう、、、
基本1日中やってますね。最初は意識的でしたが、今は自然と自分自身とは切り離されて、自分自身を見ています。コレはとってもラクです笑
自分自身と一体化して思考してるのって、仕事で集中するときぐらいですかね

https://komakeekoto.com/kuronekosan/#comment-17247

もういっちょ。最後の赤字部分が、もう、なるほど!って感じ。

>私が思うモテモテの人って、常にリラックスしていて、いい感じに力が抜けていて、穏やかな印象ってのがあったので、自然とそんな感じの自分を見ているという感じですね。

これはほんとそうだと思っていて、そんな自分を見ています。

>女の子と話すときガッチガチに緊張してしまって、イメージ通り余裕ある感じの態度にできないとき

これマジでないんですよ。
何でかっていうと、その子の前で、良い印象を与えようとか、カッコよく見られたいとか、なんとか距離を縮めたいとか、そういう思考が全くないんですよ。
女の子の話は聞きますが、女の子と対面している自分自体に思考はなくて、ただ、そんなモテている自分をみてるだけなんですよ。
自分を見てるだけなので、女の子の反応とか一切そっちに意識がいってないんですよ。

https://komakeekoto.com/kuronekosan/#comment-17270

にたまごさん実現報告編

にたまごさん自身がこまけぇさんに実現報告を送ってくれて。この記事はコメント欄を含めて、ひたすら読むべしですね。

私の場合、長く【なる】をしていました。
モテる自分になるというやつです。
ところが、なったところで、女性は寄ってこないし、周りのカップルが気になるし、年齢はアラフォーで、こんな年齢でモテたいなんて、、、と自分を卑下してしまうし、老化は見た目にも進んでいくしで、全然なれなかったのです。
何がなるだよ!ふざけんなって感じです笑

そんな時に、よく達人さんが言われていた【思考しない】について、なぜそれが、願望実現や既にあるといったことに結びつくのかと考えることがありました。

そしてそれは、自分の思い込みや、現実からの反応をもとに、オマエはこういう理由でモテないという、いらん思考をしていて、そんな思考をやめちまえってことだと気づきました。

それで、思考しないってことの必要性がわかり、とにかく思考をやめて、【なる】をしようと思ったのです。

思考をやめてみると、自分自身の行動をただただ見ているだけになる感じでした。
モテている自分をただ見ている感覚です。
そうなると、もう、モテている自分は、それを見ている自分とは異なるので、モテている自分が思考することはありません。

で、単に自分が設定したモテている自分をただ淡々と見ているだけになりました。思考なしに。
そして、モテモテの設定だけして、そんな自分を見ていると、見ている自分が、モテモテの自分の雰囲気を勝手に決めていきました。

穏やかな自分、人に対して気遣いのある自分、リラックスした自分、人を好きであろうとする自分(親しみを持つみたいな感じ)、常に清潔にしている自分。

そうなってくると、現実の反応はほとんど気にならなくなりました。

彼女がいない時にカップルだらけのカフェに入ろうが、デートスポットに一人で迷い込もうが、周りの反応でモテモテの自分がモテない自分に変わることはありませんでした。自分の世界なんで。

そんな感じで、淡々とモテモテの自分を見続けるのに慣れたら、なぜか、あまり接点のなかった女性と一緒になることが多くなり、自然と付き合うようになり。

さらに、過去一で、男女問わず色々な方からお誘い頂くことが多くなり、それが楽しくて、自分から男女問わずお誘いすることも多くなり、、、

で、この2ヶ月ぐらいを振り返ってみると、お付き合いした女性以外にも、様々女性とご飯にいったり、相談話を受けたりしています。

数カ月前までほぼ、なることのなかったLINE通知が、頻繁になっているのが驚きです笑

こんな感じで私はモテモテの自分になることができました。これは後から思ったことですが、思考しなくなって、キレイな女性の前でも、自分がどう見られてるとかあまり考えず、緊張しなくなったので、それは気持ち的にラクになって良かったです笑

【読者様からの嬉しいご報告】~「なる」を俯瞰してモテモテに~

んでもって、にたまごさんのコメント欄への回答も、非常にわかりやすい。

>思考しないというのは目の前に起きてる物事も例えば『大好きな人と結婚した私』が起こしてることとして淡々と見ればいいんですか?

淡々と『大好きな人と結婚した私』を見るというのはおっしゃる通りなのですが、文面を見ると、みくりさんは目の前の起きてることをかなり重要視しているように見えます。(違ってたらすみません
!)私は、目の前で起きていることについては、特に意味を持たせずというか、何が起きても興味ないというか、反応しません。それよりも、なった自分だけを見ている感じです。目の前で良いことがおこれば反応はしますが、基本、なった自分だけを見ていますね。
『大好きな人と結婚した私』はとても幸せそうでルンルンしていて、みくるさんもそんな自分を見ていてめっちゃ幸せな気持ちになりませんか?私はそんな感覚でモテる自分を見ていますね。「めっちゃモテるなーオマエ!」みたいな感じです。

https://komakeekoto.com/nitamagosan/#comment-17392

すんなり「なる」なんて絶対無理ですよね。私もそれが数年続きまして完全に心折れました。
特に私は、下世話な話なのですが、「何でモテモテになったのに誰とも〇〇できねえんだよ!」と、数日というか、日常で女性を見るたびに、なるを解除していたので相当重症でしたよ。なれていない自分と、その不足を感じる自分が一体なのでとても苦しいんですよね。

そんな色彩さんと同じような苦しみを抱えて私が考えたのは、まずなれない自分(モテていない自分)となれないで苦しむ自分(モテることができないことにいら立つ自分)を完全切り離すことでした。

これは、ざっくりとしたイメージなので、完全に切り離すっていうのは無理なのですが、なれない、なっていない自分を他人事のように見ると、ちょっと楽になれるかなと思いました。

で、それだけだと、苦痛が和らぐかもってだけで、生きていても楽しくないので、その切り離した自分をめちゃめちゃモテる男としてみることにしました。ちょっとゲームみたいな感覚です。
切り離したとは言いつつも、結局は自分自身なので、そいつがモテるようになれば悪い気分ではありません。
そんな感じで、切り離した自分をモテる自分にどんどん仕立てていきました。具体的に何がどうということはなく、「こいつ、モテモテやなー、モテるやろなー」っていう雰囲気です。軽いノリみたいな感じです。

そんな切り離した自分が現実世界で生活していく様を見ていったいう感じです。
もちろん、切り離したとは言いつつ一人の人間ですから、思考まみれになりそうな時もありましたし、ふと、モテない自分に戻るときもありました。
だけど、とにかく切り離して、「もう、こいつは完全にモテモテって感じ」で見ていました。
これをすると、「オレは〇年も女性に触れていない」「40代にもなって・・・」みたいなキモイ思考が自然とでなくなりました。出そうなときは意識的にモテる自分を集中してみていました。

で、他に何かやったかなと考えると、コメント欄で書いたように「鏡を極力見ない・薄目で見る」なんてことをやりました。これはつまり、現実を薄めるという行為かと。
不細工な自分という現実に戻ってしまわないように、鏡を見ない、華やかな人が映るyoutubeは見ないなどしました。

現実を薄めるっていうのは結構有効じゃないかと思っています。私の場合だと鏡の他にも、モテる自分を見ていると、モテる自分の部屋が汚れているってのは違和感あるなと思ってめちゃめちゃ綺麗にしたり、服装を変えたり、家に帰ってすることを変えたり(ネットサーフィン→ドライブっするとか)、少しずつですが、これまでの日常も少しずつ変えていった気がします。自然に。

あと、これは非常に役立ったのですが、達人の方で719さんという方がおられまして、その方は「なる」を解除してしまうのは、記憶が邪魔するからだとして、「記憶をなくす」のが良いということを言っておられて、私もなるほどと思い、今でもやっています。
実際に、私は飲みに行く女友達がこれまで全くいなかったという記憶を消して、昔からしょっちゅう数人の女の子と飲みに行ったなーみたいな記憶にしようとしています。
そうしようとしているところであり、完全には変わるかどうかはわからないですが、以外と昔から複数の女の子と飲みに行ってたなーって感じにはなります。

こんな感じで、私は結構軽い感じでなるをやって上手くいったなと感じています。お答えになったかどうかはわかりませんが。

https://komakeekoto.com/nitamagosan/#comment-17396

にたまごさん自身の回答じゃないけど、下記の方のコメントもとても参考になる

>そんな色彩さんと同じような苦しみを抱えて私が考えたのは、まずなれない自分(モテていない自分)となれないで苦しむ自分(モテることができないことにいら立つ自分)を完全切り離すことでした。
>これは、ざっくりとしたイメージなので、完全に切り離すっていうのは無理なのですが、なれない、なっていない自分を他人事のように見ると、ちょっと楽になれるかなと思いました。

この切り離して、なれない、なっていない自分を他人事のように見ることをここのところやっています。すると、楽になりますね。助かりました。

こうして試していて思い出したのが、まとめサイトに載っている

「断言法により1ヶ月で偏差値50台から東大に合格」

です。この体験談の主は携帯の待受に大学の建物の写真をバックに「〇〇〇〇は一か月の勉強で東大に受かった」と書いたものを毎朝見てやる気になっていたようですが、ある日を境に他人ごとのように「へ~すごいなぁ」と、まるで他人事のように文章を読むようになってから、劇的な変化が起こっています。

https://komakeekoto.com/nitamagosan/#comment-17534

東大の話は、下記のまとめですな

でもその頃の俺はせいぜい代ゼミのハイレベル記述で偏差値が50後半といったところ。
到底無理な話だった。でもどうしても諦めがつかなくて、何を思ったか実際に
東大をこの目で見たいという気持ちになり、電車で駒場まで行った(俺は文系)。

実物で見た東大は鳥肌もので、感激して1号館を携帯で撮り、帰りの電車で何回も見まくった。
俺はそれを待ち受けにして自分のモチベーションを上げようと思っていた。

でも何か素っ気無い。そこで写真の中央に赤い字で「〇〇〇〇は一か月の勉強で東大に受かった」
(○○○○は自分の名前)と、思い込みの効用を知ってか知らずか何となくこんな文章を入れてみた。

851 :本当にあった怖い名無し[sage]:2007/12/11(火) 16:28:40 ID:B7zM1NLoO

赤い文字は非常にインパクトがあり、携帯を開くたびその文章を見ることによって勉強にも熱が入った。
しかし、ちょうどセンター試験まであと20日ほどになった頃、朝起きていつものように携帯のメールチェックをする時、普段なら例の文章を見てやる気が起きるはずが、その日を境に「へ~すごいなぁ」と、まるで他人事のように文章を読むようになった。

自分の名前が入っているのに、まるで新聞記事の見出しを読んでいる感覚だった。
でも、それが普通のことのようになっていくにつれて勉強の量が恐ろしいことになった。

一日二日はろくに寝なくても平気になり、腹もたいして減らなくなり、欲という欲がほとんどなくなっていった。

そしておかしいことに、途中のほうから「自分」という存在が勉強をしているという感覚が無くなっていった。

「無意識に体が動く」というのは言い過ぎだが、何か得体の知れない義務感のようなものに体がつき動かされるような感じだった。誰かが勝手にやってくれていたという訳ではないが、実際、今でも三年前の12月末から二次試験までのことをほとんど思い出せない。
センター試験を受けたのは記憶にあるけれど、詳しいことは覚えていない。

852 :本当にあった怖い名無し[sage]:2007/12/11(火) 16:46:24 ID:B7zM1NLoO

しかし、毎日携帯を開いてはあの文章を読み、「すごいなぁ」と思っていたということは漠然と覚えている。

まるで、これからそうなると決まりきった出来事に向かって決められた道を
決められたように歩いていくような感覚だった。

そして俺は当たり前のように合格した。
合格したのを知った時、まったく嬉しいとも何とも思わなかった。
笑顔さえこぼれなかった。やはり「おー、すげぇ」と、自分とは関係のないこととして捉えていた。

断言法により1ヶ月で偏差値50台から東大に合格 | 引き寄せの法則と潜在意識で願望実現

んで、もう一度最後に、にたまごさんのレスを

「これしかできない自分」というのは最初の設定をそうしてしまっているということですね。
どうしても思考が邪魔して、それに打ち勝つってムズいですよね。
なので、なった自分とそれを見ている自分を切り離したのが私のやり方です。
そうは言いながら完全に思考はなくならないですが、なったとか、なってないとか、思考によってなった自分をキャンセルすることは圧倒的に減りました。
ムズいとは思いますが、私は現実への関心を薄めて、なった自分のみを見続けるようにしたのが良かったと思っています。
そして、なった自分を見続けているから、まぁまぁ楽しいなという心境でした。現実に現れることに対して執着がなくなることはなかったですが、なった自分を離れてみることでだいぶ執着は減っていたと思います。現実への関心薄めたら現実に現れたみたいな感じですね。
こまけぇさんが、金と女の物語のどこかで言ってましたね。現実が内面に忖度してくるみたいなことを。まさにそんな感じです。

https://komakeekoto.com/nitamagosan/#comment-17412

わからなかった部分

個人的にも質問をしたいぐらいだったのが、下記の方の内容

誰かにたまごさんのやり方のコツを掴んだ方教えていただきたいのですが、

「理想の自分」を「見ている自分」

この見ている自分が普段のエゴ的な、いわゆる思考をしている自分という理解で良いでしょうか?

理解の自分はもうすでに理想の自分で、こうしなきゃ、ああしなきゃと余計な思考をしない。

そんな「理想の自分」を、「いつもの余計な思考をしてしまったりうまくいかなくて凹んだりする人間的なエゴ的な自分」が見ている

ということで良いですか?

潜在意識界隈では見ている自分、観察している自分が「本当の自分(叶っている自分)」ということになっているので少し混乱してしまっていて…

でもにたまごさんのやり方のほうが自分的にはしっくりきているので自分に落とし込みたくて。

誰かご助言よろしくお願いいたします。

https://komakeekoto.com/nitamagosan/#comment-17439

ただ、このあと、にたまごさんの返答もなくなったのと、このコメントに対して別の人がわかっている体で別の領域を絡めたよくわからない回答をしちゃってるんで話がブレた気がするんだけど、たぶん、下記の方が自分が望んでいた回答に近いとおもう。

にたまごさんのやり方は

「なった自分」を自分(思考する自分)が見る

というやり方なんですね。
自己観察や潜在意識界隈で言われている俯瞰して見るというのは

「ごちゃごちゃ考えているエゴエゴな自分」を「叶った自分」「別の領域」「既にある自分」が見る、観察する

というものだと思うのですが、

にたまごさんは逆なんだなと。

この世界に正解はなく、自分のやり方が正解の世界なので全く問題ないのですが、

ただ逆って斬新だなと思ったのでコメントさせていただきました。

https://komakeekoto.com/nitamagosan/#comment-17534

まとめ

にたまごさんのポイントをまとめれば、

「他人事」として「なる」という感じだろうか?

プラス、「なった自分のみを見続ける」と。

最初に語られていた「思考を止める」と「なる」が相反するようで、自分でも質問したいぐらいだったけど、急にその感覚がつかめるようになってきた。最初は、これまで自分が願望実現しやすかった「イメージング」だと思っていたんだけど、またちょっと、ニュアンスが違う。

「思考を止める」というよりも、「他人事」だから、思考があまり湧いてこない

思考を見ている第三者の視点だから、結果的に思考が止まる、という感じか。

「自己観察」と同じようでいて、そこから見ているだけでなく「設定」してしまうのが、肝なんだと思う。

なんか、願望実現の精度が高まりそう。

にたまごさんも「望む自分にはなれましたが、別の領域がどれを指すのかはさっぱりわかりません笑」って書いてくれてたけど、「別の領域がわかりました!現実変化ないけど幸せです」みたいな人も多いのではないだろうか。別の領域は手段のひとつというか。

このにたまごさんの投稿の前でも、例年以上の幸せな年末年始を過ごしました。いろいろあって、家を建てようとか、マンションを買おうとか、そんな話もでてきたり。

このままいきたい

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