もう「こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ! 」

いつまで認識変更を追いかけてるんだ?

こまけぇさんのブログには、散々お世話になってきたわけだけれども、だからこそ、もう「こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ! 」な気分になってきた。

いや、ほんとね、これまで書いた記事だけでも、やりすぎぐらい。自分の言葉でまとめている時点で、どんな達人さんの言葉よりも、しっくりくる感覚はあるし、もうこれ以上、言葉で表現できない部分まで来ている気もする。

だけど、いつまでもこんなことやってても、これ以上の探求は不要な気がしてきた。

「本願」を叶えに行くしかない、と。本願が叶っていないから、いつまでたっても「認識変更できた」って認められていない気もする。

「頭で理解している」と「実体験として理解している」の違いというか、

とっくの昔に認識変更できていて、ただ、それに気づいていないので、いつまでだっても何か方法を探していたような。ロールプレイングゲームで例えれば、レベル40もあればクリアできるのに、レベル97ぐらいまで上げちゃって、次のレベルアップはまだか?・・って、ひたすら認識を深めようとしてる。本末転倒感。

とはいえ、そういう気持ちになってきたこと自体が、「源泉」から湧き出てきたものであるので、これまでの経緯も無駄ではなかったわけだけれども

本願以外じゃ、いろいろ叶っているからね。

安心なんていらねえ

「安心」が目的になっていると、「せっかく付き合いだしても、嫌われちゃったらどうしよう」って不安を目隠しするための安心になり、だったら、「付き合わないのが安心」になってた気もする。

むしろ、これのほうが大事

願望実現を「いつか」に設定してる限り、何も起こらない
いまの自分だって、充足には違いない。 ただ、なにか、まだ100%じゃない。 どこかで、自分は、現象化を制限しているのではないか・・・そんなことを思ったときに、思い出したのが、こちらの108さんの初期の記事 自分の願望に対して「いつか実現する...

「願望を考えないようにしなきゃ」とか思ってたのも、体のいい先延ばしだったな

「絶対違うな」と思うこと

あくまで、「自分にとっては」だけど、

「愛に浸るメソッド」

これは、絶対片想いのままになる。ず~っとやって、変わらないから間違いない。気分はいいけどね。

でも、「愛されるとは思えない」「愛される自信がない」からこその、「逃げ」みたいなものだと思う。好きになってもらえなきゃ、愛されなきゃ意味がない。

自分の記事で言えば、これだ

こまけえさんの超・重要記事

というわけで、こまけえさんの「叶っている」関係の記事抜粋をひたすら貼り付ける。追記追記でだいぶ長くなっちゃったので分割しよかな。。

一番は、この記事

そこでこまけえさんのブログにイメージングについて書かれているところを読み返していると、

『小ネタ集―波動、イメージング、好転反応に答える』と言う記事の中に

「見えているこの世界自体が強烈なイメージングみたいなものです。つまり、見えている現実もイメージングの情景も本質的には同じことで、そこに現実やイメージやら境を設けているのはエゴちゃんですので、エゴ的な観点を引っ込めてイメージングをすれば、イメージングはイメージングじゃなかったと気付くかも知れません」

という部分を見つけました。

現実とイメージングの情景は同じ、現実とイメージの境を設けているのはエゴという文章を見て、何かその時私の背中を押してもらっているような気持ちになりました。

それからこのイメージしている世界は本当なんだと強く意識しながら、イメージングするようになりました。

エゴが現実を認識するように、イメージングの世界を現実だと設定し、初めは就寝前など一人の時にだけ目を閉じてしていたのですが、徐々に日常からイメージングする様になり、思えば「なる」に近いような感じになっていたと思います。今目の前に見えている現実は嘘だと退けて、ただ自分のイメージする理想の世界が本当だと思い続けました。

すると続けて行くうちに不思議と今までの不幸だった自分に違和感が出始め(自分じゃない他人のような感じ)、イメージしている理想の自分こそが自分であるという感覚に自然になって来ました。

それまでは理想の自分をイメージしても、どこかでイメージングの中だけの空想のような感じでしたが、何だかすんなりとそれを受け入れられるようになりました。

イメージした理想の自分が内面の中でしっくりくると、このままで叶っているんだからと未来に対する期待とかもなくなり、現実は気にならなくなりました。不快なことが現実に起こっても、それが他人のように淡々と流れていく感じです。

すると皮肉なのですが、現実はどうでもいいと思えた時から、現実が急に動き始めたんです。

1ヶ月足らずで本願が叶い(恋愛関係です)、もう一つあった2番目の願いも来年に叶うことがほぼ確定しました。自分からは必死に何か行動したわけでもなく、勝手に世界がそう回っていき、何かドキドキしながらも、当然のように思ってる自分がいました。(本当にこれまで成功した人たちがよく語っていた感覚と同じたと思います)

正直なところ今でも自分がいなくなったり、不思議な体感があったわけでもなく、自分=世界を深く理解はできていませんが、とにかくこまけえさんの言う通りにイメージと現実の垣根を取り除き、徹底的にイメージング(なる?)をして、内面だけを真実とすることで、突き抜けることができました。

【読者様からの嬉しいご報告】~イメージングで突き抜ける~ – こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!

とくにこの

「続けて行くうちに不思議と今までの不幸だった自分に違和感が出始め」

という部分は、自分でもすごくすごく思い当たる部分がある。

「実践」に関して、絶対やりきりたいのは、これ。

と言うのも、私が根源的に求めていたものは「〇職セレブ」というよりは、金銭や時間に縛られない自由なライフスタイルにより得られる「解放感」であり、リーマン生活からの脱却や不労所得といったものは、そのツールとして立ち上っていただけでありました。

ですから思い返してみますと、私が「なる」的なことを実践する上で意識していたのは「解放感」そのもので、もちろんその前提としては不労所得を想定していましたが、現実を含めた今が理想の世界であるならば、自分は今どのような気分で過ごしているだろうかということを常に意識しておりました。ここの部分を過去記事では「思考をねじ込む」と表現していましたが、上記のように

「(充足を前提とした)気分をねじ込む」

という表現の方が近いような気がしたので、加筆するに至りました。

その「気分」というのは言ってみれば「在り方」みたいなものですが、在り方という表現がいまいちピンと来ないという方もいらっしゃいましたので、今回はあえて「気分」という言葉を使ってみたい気分になりました、テヘッ。

いずれにせよ、願望というものを掘り下げていきますと、我々が希求しているものは物質的な充足ではなく、それをツールとした「幸せ」や「安心感」といった内面(気分)の充足なのです。内面の事象であれば、それは時と環境を選ばず、瞬時に生成(実現)することができます。そして、それ(気分=内面)が本当の今(リアル)なのですから、放って置けば現実が後からディレイ放送をしてくれるのです。

金と女が降ってきた物語―私が〇職になれた理由〈番外編〉⑥ ~願望の根源~

現象化していない世界を、現象化している世界に変化させようとすると、
「現象化していない世界を、現象化している世界に変化させよう」が、
現実という鏡に映ります。

あなたの望みは、願望を叶えること ではないですよね?
すでに願望が叶っていてウハウハしている状態 が望みですよね?
おそらく今は、「なんとかして変化させよう世界」が鏡に映っているのだと思います。
なのでウハウハ世界を映したいならば、ウハウハ状態にあなたがなるといいです。

しかし一般常識ですと、願望が叶ってもいないのにすでに願望が叶っている状態になるなんて不可能にきまっているじゃないか!となると思います。
そうすると、「願望が叶っている状態になるなんて不可能にきまっている」が映ります。

―通りすがりの達人―

私が影響を受けた「まとめサイト」の書き込み!!|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!

これらのイメージング系の記事に対して思うことは、

やってみて思うんだけど「本願が叶ってる」を意識すると、異常なぐらい幸せがあふれてくる。それはそれで良き事ではあるんだけど、逆にいうと、その「本願が叶っている幸せ」がものすごく重要で、特別なこと、になっている。

条件付けになったらあれだけど、「本願」なんて大げさな言葉をつけずに、「それは当たり前」ぐらいの気持ちにならないとダメだと思うし、

「叶っている嬉しさ・幸せ感」を感じ続けていくことで、その刺激にもどんどんなじんできて、「それは当たり前」の幸せになれると思う。

向かい合うべきエゴ

3月に入ってからは、急速にエゴとの関わり方も変わってきた。いくつかやり方はあるけど、エゴと距離をおけている自分は確実にいる。

だからこそ、「本願が叶ってる」って認識したときに出てくるエゴにも向かい合える

「叶わなかったらどうしよう」
「他人は変えられないってよく書いてあるし」

すべては「自信のなさ」が絡んでいる気がするけど、そもそも「自信がない」って言ってるのが、エゴだし。

というわけで、こまけえさんのその他の関連記事を

この記事もすごく好き

ご相談の趣旨は、内面で理想の自分になり充足に浸ってみても、すぐにつまらなくなって、またいつもの不足の立ち位置に戻ってしまうということですね。直接的な私への質問としましては、常にウッキウッキを感じていたのかというものですが、さすがに常にというわけではありませんでしたが、なるべく意識するようにしていました。ある程度まで徹底していきますと、自然な在り方として定着していきます。

ただ、充足そのものを無理に創出して感じるというものではなく、

今この瞬間、この世界が理想であると意識の立ち位置を変えた時に自然と湧き上がってくる副次的な充足のことです。

もし、無理に「充足」「充足」と気分や感情を追い求めているようでしたら、その前提となる在り方に注意するように心がけてください。

【読者のお悩み相談室】~充足はオセロのように~ – こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!

何を呟くかということなんですが、個人的には「叶っている状況」ではなく、「叶っている状況での感情」を採用する方がベターかなと思います。例えば、A作さんと結婚したいという場合、「私はA作さんと結婚している」「私はA作さんの妻だ」的なことより、A作さんの妻であることをリアルにイメージした時に湧き出る感情、つまり「なんて幸せなんだろ」「ああ楽しい」といった感嘆文的なものです

こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!|「アファメーション」よ、もう一度

力技系、と呼ぶべきか

「ねじ込む」っていう表現が好き

過去に何度もお伝えしたように、私は「自分=世界」を前提として、内面に理想の自分を強引にねじ込んでおりました。そうしているうちに、自分の在り方で世界の見え方が変わるんだということを何となく肌で感じ、内面を軸にした主(内面)従(現実)関係を確立するに至りました。ただ、この時点ではある意味「自分=世界」を活用した洗脳の結果で、振り返れば現在の自分に定着した認識とはかなり距離のあるものでした。

それでも徹底した実践は内面から不足を弾き出し、充足を迎える余地を与え、徐々に現実が動き出したのは既報の通りであります。スピ的な体感があろうとなかろうと、どんなアプローチを取っていようがいまいが、とにかく内面さえ変われば現実は勝手にそれに応じて変化していきます。

悟り的なことを求めている修行者のような方は別として、私のような煩悩の欲求を満たしたいだけのスケベエな御仁であれば、体感を求める必要はありません。ただ、内面を変える。内面が変われば世界の見え方が変わります。その見え方がそのまま世界の設定になるだけです。これは様々な気付きを経た現在の私の結論でもあります。体感を求めるまでもなく、メソッドなどを通して内面と世界との連動を見ていけば願望は叶っていきますし、それと並行して「自分=世界」も体で落とし込めるようになっていきます。

https://komakeekoto.com/hitsuyounashi/

後、心がけていましたことは寝起きですね。皆さまもご経験があるかと思うのですが、前日どんなにメソッドをがんばっても、寝覚めの意識って妙に不足やネガティブに支配されていることってありませんか? おそらく寝覚めというのは内面における無意識の専有率が非常に高いので、ある意味その時の意識の在り方が現状における内面のデフォルトなんですね。ですので、私はそこに勝負を掛けました。朝は有無も言わさず目覚めた瞬間に「はい、俺〇職セレブ!」と宣言し、毎日ベン・ジョンソン並みに充足のスタートダッシュを切るようにしていました。

https://komakeekoto.com/bangaihen-3/

もうちょっと、自由意志についても書いてみたいけど・・

全てが正解という世界の中で、意図(願望)が湧いてきたということは、自分がそれを受け取るのに値するということであります。自分というエゴがあって特定の意図が湧いたのではなく、湧いた意図を体験するために自分というエゴが形成されているのです。つまり、自分が在るということは意図が現象化するということを前提にしているということなのです。

https://komakeekoto.com/subetegaseikai/

本願に関する現象化を求めている一方で、「内面で満足しているから、どうでもいい」という感覚になってみたいのも確か。

マジでもう、実践あるのみ

分割しました

この記事には、「とにかく実践」の記事だけでまとめたく、他の引用記事は分割

コメント

  1. […] 「現実化を加速させる」のは、意図とイメージング。こちらの記事で書いたんだけど、イメージングが自分にはすごく合っていた、ということ。自分にとっては、イメージングすることが、意図になっていたんだ。「叶っているから、いい気分」ともいえる。 […]

タイトルとURLをコピーしました