ライフストリーム

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自愛道は、「願望実現」ブログではなく、「スピリチュアル」ブログでした!

怒涛の1週間+過酷な現場実習

前回「真相解明編」とか言っといて、そこから結論が二転三転・・・なんなら四回転半ぐらいして、遅くなっちゃったんですけど、やっと、納得のいく答えがでました。

あまりにもたくさんのことがあったわりには、時間的には一瞬で過ぎ去ってしまった感じ。「現実は嘘」によって、たくさんの気づきがあったけど、意味のない(効果のない)気づきもだいぶ多かったり・・・

「どんなに苦しい現実だって、一瞬の「流れ星」みたいなものだな、と思ったら、世界に対して、はかなさと同時に愛しさがこみあげてきて・・」

「突然、胸の内側が、キラキラしはじめたんです!」

とんぺい 1月の日記

みたいなスピリチュアルな経験もした

→ しかしそのあと、またもその「はかない現実」が牙をむき、叩き潰された。

そんなすったもんだを濃密な短期間で繰り返しつつ、考えてたどり着いたというよりは、現実という現場で集中的に実践して、これしかないな、と思った次第。
そんなすったもんだの一部を書いてみる。

現実対策本部

 前回のブログで書いたように、「願望実現」よりも「不足実現」を避けたい、という気持ちが強かったわけで。

 「恋愛面最高だけど、金欠激しつぎてつらい」

 「会社の仕事大好きだけど、人間関係最悪」

そういう、「慢性的不足」、があると、どうしたって、そっちの方向に引っ張られてしまう。

で、そもそも「不幸」は「嘘」なんだけど、まずそこを見抜けないと、どうしたって「この不幸をなんとかせねば!」みたいな、虚偽の前提をもとに「架空の理論」が構築されてしまうため、「現実対策本部」は、いつまでもマッチポンプを続けてしまう。まぁこれが、前回の「大迷宮」の原因でもあったわけだけど。

究極の「なる」

 「なる」は、いまの自分とは違う、新しい何かに「なる」ではなく、もともと「そうだった」ことを思い出す・・・みたいな気づきもあったけど、「願望実現」のためには、あんまり関係なかった。
→ ただ、よくよく考えると、本質的なところだった。

王様ごっこ

 これまでの実践の中で、「幸せの上限」があるような気がしたので、受け取るキャパシティの上限を引き上げるために、「我は王である」みたいなイメージングもしてた。女性向けスピ本には、よく「ご自身をプリンセスのように扱いましょう」みたいなのあるよね、あれの男バージョン。

 途中まではいい感じで進んでいて、エゴ的に考えれば 「こんなに魅力的で、能力も高い自分なら、なんでも手に入るでしょ」みたいな、根拠もある自信をもった状態にもなれたけど・・・3日天下で現実にボコられた。

 ライフストリーム理論

んでもって、最終的にたどり着いたのが「ライフストリーム」・・・命の流れ、って感覚。

「エゴから離れる」&「エゴは自分でないと気づく」ための、自分なりのファイナルアンサー。

現実は嘘 → 幸せ以外は、全部嘘

 「全部嘘」とは、若干違うかもしれなくって もうちょっと補足すると「幸せ以外は、全部嘘」みたいな感じだったのかと思う。まぁ、前の記事読むと「すべてのエゴを嘘だと切り捨てていけば、勝手に充足しか湧いてこなくなる」みたいにも書いてあるので、間違いでもないんだけど、「嘘」という現実ではなく、「湧いてくる充足」に注目した、というところがポイント。

「別の領域」

「別の領域」=「意識」というよりも、「別の領域」=「充足」、幸せの「源泉」ととらえてます。そこには、自分の望むのがすべてある、みたいな、「既にある」の総本山。

ライフストリーム

「ライフストリーム」・・・勝手に自分でしっくりくる名前を付けたんだけど、源泉から流れてくる、心地よいエネルギーを意識するようにした。
FF7のライフストリームとは、ちょっと概念が違うんだけど、文字通り、「命の流れ」。自分のハートから溢れる心地よいエネルギー

 源泉に「既にある」があって、「こっちの方向にいくとそれが叶うよ」みたいな方向指示器でもある。感情ナビの、体感版みたいな感じでも、ライフストリームに触れていること自体が、心地よくて、幸せな感じ。

ライフストリームに触れていると、エゴレベルの「〇〇な自分だから好き」ではなく、ただただ、自分自身でいることが心地よい『自分が好き』という感覚(自己受容・自己愛の感覚)に浸れる

一度この、ライフストリームの感覚に気づいてからは、それを『最大出力』で放ち続けること、を意識していたんだけど・・・そうするとどうしても「エゴ」が介入しちゃうので、やめた。自然に流れるままにしておくほうが、長続きする。

ライフストリームの本質

で、「これは心地よい実践だな・・・」と思っているうちに、そもそも「ライフストリーム」の本質は、「自分自身」だと考えていた存在が「何か心地いい感覚」を感じているのではなく、この「流れているエネルギー」そのものが、自分なんだ、ってことに気づいた。

エゴによってせき止められていた、自分から溢れ出るエネルギーこそ、「自分だと気づけ」みたいな感じ。愛や幸せとして流れているものこそ、あなたそのものですよ・・・という、これが、前述した「究極のなる」の話に繋がる。

いままでの自分=エゴは、とにかく「言葉をしゃべる」。あるいは、「思考する」。それがうるさいから、ついそれを自分だと思い込んでしまう(というか、現実的にはそれが当たり前)

だけど、エネルギーとしての自分は、言葉を使わない、出てこない。ただ、なんとなく、「方向性」みたいなところだけがある。

だから、「自分はいない」にもなるし、桑田さんか誰かが言ってたような、「自分自身が、ワクワクさんだったんです」ってことなんだと思う。

ライフストリームの良いところ

 「あなたは神のような存在です」というのは、達人の詭弁だと思っているけど・・・もし仮に、そんな「究極の認識変更」によって、世の中のすべてを自由自在にできる「神様」になれたとして、「それで楽しいか?」ってところ。

ライフストリームの概念がいいなぁと思うのは、単に「別の領域に浸る」よりも「生きている心地がする」ってところもある。「流れているいのちそのもの」を自分として定義しているんだから、当たり前っていや当たり前なんだけど。生きること自体が、楽しくなってくる、というかね。悲壮感がまったくない、状態

 〇百万円手に入った、結婚した、家を建てた、みたいな「単発イベント」のための願望実現ではなくて、ただ、毎日たのしい、元気、うれしい、みたいな生活の上に、欲しいものも手に入っていく、みたいな、そんな感覚。欲しいものを手に入れたから幸せなのではなく、幸せだから、ほしいものが手に入る、という、よくあるアレです。

戻るべき指針となる「アンカー」

「思考は自分ではない」ってやったって、なかなか、戻るべき「アンカ―」がないと、難しいと思うんだよね。

同じく、「別の領域にいる」って、けっこう難しいんだよね。意識を同じ場所にと固定させておく・・・みたいな、少なくとも、思考過多なお仕事している方には、仕事中無理だろ、と思う。

その一方で、「自分の身体の中から何かが湧き建ている~」みたいな感覚は、ささやかなものだから、何か別の事をやりながらも感じていられるし、つながっているか、いないかは、結構わかりやすい。ネガティブな事を感じて、思考が動き出すと、すぐこのライフストリームが止まる、切断される感覚がすごくある。

思考はうるさいけど、弱い。「許可しました」「設定しました」で、何も実現しないのと同じ。その点、「既にある」や「いまここにある幸せ」が「体感」として感じられるし、体感があるからこそ、ふとした瞬間にライフストリームから外れ、エゴの自分に「なっていた」ことにも気づける。

健康大事

 ライフストリームの理論は、「体の繊細な感覚を感じることによって、思考から離れた、【今】にいる」、という要素もあるので、その母体となる【からだ】はとても大事。とくに睡眠不足が敵かなぁ・・・からだに不調があったら、繊細なエネルギーは感じられない。
深呼吸とかもよい気がする。

参考文献など

 と、一連のなんか自分なりの答えが出た後で、「あーそういえばそういう話があった!」と思い出した内容など。

サラとソロモン

このブログの中でもタイトルぐらいは紹介したことあると思うんだけど、あらためてよい本だと思った。

君がここにいるのは、味わい愛でることができる物事を選ぶためなんだ。

味わい愛でることによって、君自身の波動が、君が見つけようとしていた完璧な状況の波動と同じ波動になる。

そうしてこそ、その完璧な状況を自分に引き寄せられるんだ。

これは、君が思っているほど複雑なことではないんだ。

実は、人々が自分たちを取り囲む状況から意味を見つけ出そうと努力する際に、このことを必要以上に複雑なものにしてしまっている。

「すべての状況の1つ、1つが、どのようにして創り出されているのか」とか、「どの状況が正しくて、どの状況が間違っているのか」というようなことを解明しようと努力するなら、人はひどく混乱してしまうことになる。

そんなことを全部うまく整理しようとしても、頭がこんがらがってくるだけだろう。

でも、もしも君が、ただ自分の心の扉が開いているか閉じているかだけに注意を払うのなら、君の人生はもっとずっと簡単で、幸せなものとなるんだ。

どの瞬間でも、混じりけのない至福のエネルギーの流れが君の中を流れているんだ。

君の家の水道の水圧みたいなものだと言ってもいい。

水圧はバルブに圧力をかけながら、いつでもそこにある。

家の中で水が欲しい時には、君はバルブを開けて、水を中に流れさせる。

けれども、バルブが閉じている時には水が流れ込まない。

それと同じように、君がやるべきことは、自分の中に流れ込んで来る《幸せ》に向かって《心の扉》を開けておくことなんだ。

《幸せ》は君のために常にそこにあるのだけれど、君自身がそれを取り込まなければならないんだ。

まず第一に、《心の扉》が開いている時には、意地悪なことにはあまり気がつかないし、君の目の前で意地悪さが消えてしまうこともある。

開きかけた《心の扉》や閉じかけた《心の扉》の端っこでためらっている人々がたくさんいるんだ。

だから、そういう人々が君と接して、君の《心の扉》が大きく開いていたら、その人たちは容易に君の微笑みにつられて微笑んでくれたり、愛想のいい応対をしてくれる。

それに、覚えておくべきことは、開いている《心の扉》というのは、今現在起こっていることに影響を与えるだけではないということなんだ。

それは明日にも、あさってにも影響を与えている。

だから、いい気持ちでいられる「今日」をたくさん体験すればするほど、「明日」や「あさって」の状況がどんどん気持ちのいいものになっていくんだ。

これを練習してごらん。

今という瞬間においてはどんなに悪い状況のように見えても、どんな状況も、自分の《心の扉》を閉じてしまうには値しないと決断をするんだ。

自分の《心の扉》をずっと開いておくことが一番、重要なことだと決めてごらん。

覚えておくといい言葉を教えてあげよう。できるだけ頻繁にこれを言ってみることだ。

「何がなんでも、《幸せの流れ》に向かって《心の扉》を開けたままにしておこう」という言葉だ。

君の幸せは、君の周りの状況で決まるものなのかい?

これは練習するには絶好のチャンスかもしれないよ。

ただ、《心の扉》を開ければいいんだよ。

いやな気持ちがしている時は、君の《心の扉》は閉じているんだ。

だから、君の《心の扉》がまた開いて来るまで、いい感じのする考えをどんどん考えるようにしてみてごらん。

サラとソロモン-―-少女サラが賢いふくろうソロモンから学んだ幸せの秘訣-エスター・ヒックス

まさに赤字の部分、自分がこの10日前後、いや、このブログ自体が、「あたまがこんがりそうなこと」をやっていた・・・という感じ。

「源泉」からの「扉」を意識するのか、自分のように「流れ」を意識するのかは、個人の感覚次第だと思うけど、ライフストリームは、まさに「混じりけのない至福のエネルギーの流れ」でもある。

よっしーさんの「愛」

 「愛が自分を見守っている」って体だと、結局、自分=エゴ、になっちゃうんだよね。そうじゃなくて、「自分自身が求めていた愛なんだ」、ってことにに気づけってこと。

そういう意味では、下記のよっしーさんの話は「源泉」のほうの話ではあるけれど、すごく「アンカ―」になる話だとおもう。

もし、あなたが恋愛で悩んでいるなら、真っ先に、やらなければいけない事は相手への要求や欲求の実現する為にメソッドや、おまじないを頑張る事では無くて、その要求や欲求を【エゴの働き】として捉えて気付きつづけエゴの同一化を解除し自由になる事です。

エゴから自由になる事であなたは純粋な意図で相手の事を想うようになれます。

「大好き‥ただそれだけ。」

「あの人の事を想うだけで幸せ。」

「あの人が生きている。それだけで喜び。」

ただ愛で在り続ける…

愛とはエゴ以外の全て。ゆえにエゴに気付いて一体化を解除すると愛が顕現します。

愛を英語で訳すと動詞のLOVEですけれど『愛』の一文字はシンプルな自己完了形です。

愛は、あなたの中で何にも依存せず力強くただ存在している。

例えば、あなたの事を心から大事に思ってくれている、信頼してくれている家族や友人て、そばに居てくれるだけで特に何もしてくれなくても気持ちが伝わって心が温かくなりますよね?

例え、離れていても気持ちが通じる事があって、電話をしようと思った相手から電話が掛かってきたというのはよく聞くシンクロです。

恋愛も例外ではありません。それどころかお互いの気持ちがもっと顕著に伝わります。

光の速さで☆

もしも、あなたの近くであなたに要求や欲求からで無くて本当に純粋な愛で接してくれる人が居たならば、あなたはどう感じますか?

あなたがエゴに気付き、エゴから自由になれた時。あなたは本当は愛で在った事に気付く。

愛そう、愛されようと努力する必要は無い。なぜなら、あなたは愛そのものだからだ。

もしも今、大好きな人に愛されていないと感じるのは自分が愛だと気付いていないからだ。自分が愛で在れば大好きな人も愛にしか成らない。

あなたは愛で在るがままに大好きな人の前で振る舞えばいい。もしも今は離れて暮らしているならば愛のままに日常を送ればいい。

目の前の相手が愛に気付いてなくてもいい。愛を送らなくていい。自分が愛と気付けば相手を含めた世界全体が愛に『成る』

今はエゴに気付くだけでいい。

自分は既に愛で幸せと気付けば、望むものは既に得ている。なぜなら現象化とは本質的なものを表面から捉えたものだからだ。

ただエゴに気付く、愛に気付く。

「大好き‥ただそれだけ。」

そう、それだけでいい。

大好き…ただ、それだけ。【恋愛に悩む全ての方へ】:よっしー気付きの愛らんど☆:So-netブログ

U4さん

 最終的に自分は、U4さんと一番親和性高かったように思う。なんとなく、U4さんは、108さんよりもエスターヒックスの影響が強い感じがするけど、そういうところも、自分のたどってきた道と似ているんだろうな

これなんか、そのまんまだからね。

「ある」という知覚を使うという事を別な表現でいうならば「本当の自分」とか「別の領域」
あるいは「源」、まぁ表現は何でもいいんだが、それとオンライン状態になるという事だ。

つまり幸せを感じるという事は「本当の自分」と同じ見方で現実を見ているという事だ。
一方でネガティブな気持ちになるという事「ない」という知覚を使うというのはオフライン状態。

つまり依然としてあなたが自我としての私を私だと認識しているとしても、
本当の自分へ歩み寄ろうとしているという事になるわけだ。

そして瞑想によって感じる安心感というものもオンライン状態になっているということを意味している。

U4式14 投影済みの現象とこれから投影される現象の辻褄が合っている必要は全くない

実践において

 超濃密な10日間で、気づきがあり理論をまとめ、それを実践し「あれ、なんかちがうぞ!?」と後戻りし、苦痛ばっかりの現実を味わいながら感じたこと。

達人のトラップ

前回記事でも書いたような達人批判ではあるが、「書いてある【本質】は間違ってないけど、エゴとしての自分を継続させるトラップ」みたいのが、けっこうある。「おーいいいこと書いてある!」と思って採用すると、それがエゴ生存の前提だったする。「Doとしての自愛」なんかまさにそうだよね。

「エゴ」なんてほんとにいるのか??

 そもそも、業界入りした方がほぼ最初に学ぶ「エゴ」という概念、これ自体が、嘘そのものなんじゃないかと・・・「サラとソロモン」に「エゴ」って概念は出てこなかった(はず)だけど、とにかく、一回忘れたほうがいいと思った。「エゴ」って「概念」が入ると、「エゴが〇〇だから~」みたいな、思考が止まらなくなる。エゴがエゴ自身を「お前が願望を阻む敵だ!」と判断して、自分の中で終わりなき内戦が始まる・・・まさに、エゴがエゴを呼ぶ無限増殖地獄。

単なる思考のループに名前をつけただけで、そもそもそんなものに実体はない。

無条件で叶う

「無条件で叶う」を主張する達人は、間違いなく「ベースが上がっている(108さんで言えば振動数が高い)状態」だと思うので、調子の悪い時に参考にするとハマる。「流れに乗っている」状態はまさに「無条件で叶う」、マリオのスター状態にも感じる無敵感があるけど、そうじゃなくエゴの暴動が起きてたら、「こんなに苦しくて悲しくても叶う!!」とか無理矢理やるよりも、まずエゴを落ち着かせたほうがいい。

インナーチャイルド理論

一時的な手段としてはアリだけど、これを続けると、無限に「幼少期からの不幸な私」というストーリーを作り出し、本当に本当に泥沼にはまる。マッチポンプの極致。

とはいえ、突き詰めるならとことん突き詰めるしかないわけで・・・自分は、毎朝の吐き気に襲われながらも潜りに潜ったインナーチャイルドの奥底に「虚無」をみつけた。まるでそこに亡骸だけがあるような、絶望することすらあきらめたような大きな穴だけがあいていた・・・

でも、そこまでやる必要もない気がする。

現象化が証拠

以前どこかの記事でも書いたけど、ほんとに「ゾーン」というか、別の領域にパチンとハマったときは、1,2日以内に、何か変化が起こってくるんだよね。いきなり願望叶わないにしても、何かそれを予感させるような変化が・・・ここんとこずっと逆ギレばかりしていた彼女が、こちらが戸惑うほどに急にデレたりとか。

数か月同じメソッドで実践やってて現状が変わらないんだったら、何か間違ってるかも?と気にしてもいいかも?

なじむまで、待つ

上記と若干矛盾する部分もあるけど、自分もまだ「ライフストリームつながりっぱなし」ができるわけじゃない。まぁこれまでのうん十年のエゴとしての生活があるから、仕方ないところではあるし、「あ、いまつながってない」ってのはすぐにわかるようになったから、それだけでも、不快な現象化には歯止めがかかっている気がする。

肝心なのは、サラとソロモンでいう「心の扉を開きっぱなし」にすること、あるいは「つながっていることを思い出す」でもいいかもしれないけど、さらにそれを、ソロモンがいうように「練習してごらん」ってとこなんだよね。そもそも、ライフストリームの感覚は、無理矢理ねじ込むアファメーションとかと違って、「継続していて心地いい」メソッド?のはずだし、心地よさを基準に、なじんでいけばいいと思ってる。

まとめ

最終的に「ライフストリームだ!」と思ったのは、つい2日前なんだよね。

で、一夜明けた今日になって、「劇的な彼女の変化」とか、「2年半越しに案件の受注」とか、「おおお!」みたいな出来事も起こり始めたけど、何より一番うれしいのは、「もう、これが【探求の終わり】だな」と思えていることかな~

「ライフストリーム」と名付けてはみたものの、むしろ、「命の根源・原点」まで、駆け抜けてしまったわけだし。

その幸せの流れと一体化していれば、願望は勝手に叶っていくような気がするし、むしろ、「ファミマで好きだったサンドイッチが復活した」とか、そういう些細なことの嬉しさを強く感じるようになる。

ライフストリームの心地よさを優先して、「願望」という不足を気にしなくなると、目の前の日常がスムーズになってくるというか、まさに波にのって流れるように、より楽しめるようになる。不快なことや、恐れていたことも、自然と解決するようになってきたし・・・現実対策本部は解散してよさそう。

あるいは、ライフストリームを意識していると、エゴが薄くなるので、特定の願望についても「既に叶っている」を認識しやすいから、そういう喜びを感じて、ホクホクするのも楽しい。

というわけで、これまでの自愛道で語ってきたようなすべての本質、自分にとって真実だと思える感覚が、この「ライフストリーム」という概念にきれいに集約された気がします。

とはいえ、まだまだブログを書きたい気はするので、この期間に体感した「ライフストリームが世界に溶け込んだ話」とかは、自分=世界にもつながりそうな気がするので、またボチボチ書いてゆきます。

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