怒涛の現象化
先週から、本願に関する、ありえね~展開の連続。まさに世界が勝手に動いてくれている感じ。
幸せすぎて、もう、なんにもいらない。こんなに幸せな気持ちになれることに対する感謝が止まんない。
あんまりにも、想定外に嬉しい方向に進み始めているので、この週末は、これはもう夢なんじゃないかと、「自分」というか「現実」という感覚がなくなってきたりもした。
こまけぇさんの影響絶大
こまけぇさんに、嬉しいご報告したいと思いつつ、いや、でも、もうちょっと実現も言語化もできてからだな、とか思いながら、いまの感覚を書いてみる。
「現実化を加速させる」プラスの要素が増えるのと、「現実化を阻むものの解消」というマイナス要素が減るのが、うまく嚙み合いだした感じ。
意図とイメージング
「現実化を加速させる」のは、意図とイメージング。こちらの記事で書いたんだけど、イメージングが自分にはすごく合っていた、ということ。自分にとっては、イメージングすることが、意図になっていたんだ。「叶っているから、いい気分」ともいえる。
イメージングだけで心地よかったけど、現実が動き出したから、確信がどんどん増してきた。
本願が現実的にも叶いつつあるので、あとはこのまま幸せに浸っていればいいんだけど、なんだか、それ以外の部分で、大小トラブルが続いて、なんだかなぁ~と思っていたんだけど、こうして振り返ってみると、本願以外に関しては「意図」してなかったな~と思う。なんでも叶っているんだから、本願以外も叶えていい、ってことだ。「本願さえ叶えば、あとはどうでもいい!」と思っていた自分を解放することなんだ。
「腹を決める」という言葉があるけど、「腹から決める」という感じか。腹の据わった、ぶれない意図。で、個別の願望というよりは、それも、イメージングというか、そうなったときの自分がすでにいる、という感覚を味わうことなんだ。自分だったら、こんな感じ
★余裕
★ゆったり感
★スッキリ感
★お金の豊かさ
★愛され感
★自己重要感
★自己受容感
★自由・開放感・解放感
まぁ、いろいろ感じてると、全部「愛」みたいになってくるけど。
エゴは止まらない
現実化を阻むものは、エゴの自動反応と一体化してしまって、現実奴隷モードになってしまうこと。幸せな現象化の一方で、同時に「無意識に不足を叶えていた」というのが、すごくよくわかるようになってきた。
会社関連の思考はエゴばっかりなんだけど、自分=個人の感覚が外れてきてからは、そもそも、この会社にずっといる必要もないよな、とか、これまで、すごく自分自身が制限されてきたことに気づいた。特定のブラック社員に煽られて、まじめに仕事をしてきたのが、急にあほらしくなってきた。他人に反応するエゴがうるさすぎて、ずっとなんとかしたかったんだけど、全部自動反応、もう、どうでもいい。そう思えるまでは、「エゴを消そう」とか、どうしても不可逆的な「悟り」を求める方向にいってしまっていたな。
「なんでこんなどうでもいいことを、なんとかしようとしていたんだろう?」って、パンツのゴムさんみたいな感覚にまたなってきた。
別の領域に浸る
で、エゴを無視しつつ、イメージングで幸せに浸っているっているっていうのは、要は、別の領域に浸るってことだ。
認識は、思考とは別の意識で行うもの。だから、「許可」も大事なんだよな~。ほんとうに、「今の」自分で受け取っていい。苦手だった自愛の要素もちょっと入ってきているかも。イメージングで幸せな気分に浸っていれば、エゴも薄いから、設定しやすい
「認識の変更」というのは、何か特殊な状態なのではなく、
【現実に関係なく】【今のままで】
望む自分の属性、「恋人がいない」から「恋人がいる」という認識に変える・・・というだけなのかもしれない。
いろいろメソッドやったりするうちに、そうなる、というか、既にそうなっている、という「確信」が高まってくる。
まとめ
「エゴから離れる=自分をやめる」と、「イメージ(在り方)」しかない、という感じ。世界=自分だから、そのイメージが、世界に反映される。求めるものは、自分の内側にあるから、外の世界は関係ない・・・ということ
なので、あとは別の領域におまかせ。
あれこれ思考を働かせて書いてきたこのブログの記事自体も、もうおまかせ
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