実践でいちばんキツイところ

こまけぇさんの更新も楽しみにしつつ、公私ともに絶好調になりつつある今、最近おもっていたこと

にたまごさんがすごいわけ 「自己観察」と「なる」の融合

自己観察は根性がいる。

エゴの反応を「見てるだけ」なので、刺激がなく、どこかでエゴに乗っ取られる

あと、やっぱり「別の領域にいるだけでいい」というのは、嘘で。嘘というか、日向ぼっこ期間が続きがちなる。

絶対に「意図」したほうがいい。

一方の「なる」がうまくいかないのは、「エゴ」がなろうとするから

「なっている」自分を、(意識としての自分が)、世界の要素として認識する

自己観察の立場から、自分を「設定しつづける」という感じ

これまでの自分の経験上、「自己観察」も「なる」も、エゴにのっとられやすい部分があるんだけど、両者を組み合わせると、エゴがおとなしくなる、という。

それがすごく、自分にとては画期的だった。

自分の失敗例

ある時期から、明らかに「願望」が叶いやすくなった、「こうなったらいいな」が、即出現しやすくなったんだけど、そういうことが続くと

エゴがはりきりだしてしまう

んだよな。

エゴ自身が、すごくゲームをやりたがりなので。

だから、自分の場合は、オンラインゲームに没頭して、エゴに仕事をさせないのがいいのかもしれない

不愉快な事情の現象化

もうひとつ、リズムを崩す要因だったのが、

「あ、なんか調子よくなってきたかも・・・」となりかけているときに突然発生する、不愉快な現象化。上り調子から突き落とされる感があり、その落差がよけいにエゴを反応させる。

そこに関しては、

「客観視」がほんとうにポイントだと思った。

「他人事」といったらいいんだろうか。

「こいつまた悲観的になってんな」みたいな。スルーでいいんだよな。

これが、「自愛」を実践していると、「エゴ」の自分に対して、どうしても「情」みたいなのが発生して、どうしてもエゴから離れにくい部分があった。

そうして、いつの間にか、エゴが不足を意図している瞬間があり、それがそのまま現象化しているところはあるな、とふとおもった。

実践で一番きついところ

結局のところ「願望実現」を目指してメソッドなり実勢を積み重ねているときにいちばんしんどいのは、「タイムラグ」なのではないかとおもう

ただ、やっぱりこれまでの自分の経験上、どん底からいきなり「願望実現!」みたいになることはなくて、うまく実践がまわっていれば、必ずなんらかの形でよい変化がエゴに起きてくる。

いきなり「現象化した」がなくても、現実として着々として進んでいる様子が、エゴとして生きていても、視界に入ってくる。

なので、ある程度実践をしていても現実が変わってこないときに「いつ叶うんだろう?」と気になるのはごく当たり前の反応で、それを「現実見すぎ」とか指摘されちゃって、それは間違った方向の実践を続けてしまう・・・で、さらに月日が経過して、「全然かなわねーじゃんか」って、ふりだしにもどる、

で、「そんな自分も認めましょう」、と「自愛」をすすめられて、また変わらない期間が続く。

で、どこかで発狂。

ほんと、達人さんの誰かが言ってたけど、「現象が変わらないのは認識が変わっていない」に尽きるとおもうので、PDCAというか、どういう自分の内面だと、どういう現象が起きているか、というのはちゃんと検証したほうがよいとおもう。

少なくとも自分は、つい1年ほど前までは、いかにエゴがおぞましい内面を作りだし、それを現実に投影していたかが、身に染みて感じるようになったので、そういう点で、やっと、内面=現象、がやっとやっと、納得できているわけで、

プラス、いままた、現象化が続いてるので、余計に自分の内面と世界は一致しているというのが、よくわかる。

であれば、「タイムラグ」なんか気にせず、むしろその期間に内面を充実させたほうがいい、って結論になる。

まとめ

ほんと、にたまごさんの一連の投稿のおかげで、潜在意識界隈で学んだ無駄なものがそぎ落とされたというか・・・かなり自分のスタンスが明確になって、過去一の理解を伴ってよき現象化も発生している。

せっかくこまけぇさんがいい話書いてくれているのに、コメント欄のごく一部によろしくない雰囲気があるのが残念だけど、まさにその、コメント欄なり掲示板なりで、中途半端なアドバイスを真に受けて迷走、というのがこれまでも何度もあったので、やっぱり自分にしっくりきて、ちゃんと変化が表れてくるものを採用するのは、本当に大事だなぁと思うわけです。

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