家の中から眺める雪
ここ1日2日で、自分のブログ整理してたら、桑田さんブログの記事で「家の中から眺める雪」という表現があって、そこから過去記事をいくつか読んでいったら、なんか、きた。
まずはこの記事。
とにかく源泉掛け流しから勝手に
湧いているだけということであり、本当にただそれだけなのであります。湧いてきたものを心の声で音声処理して、思考で「だからこれは良くないのだ」とか
何やかんや騒がしくやっているだけで、真実は単なる静寂があるだけです。その静寂の中に在れば、あとは「行動」という形で世界に影響を及ぼすことが出来るでしょう。
世界で行動するのではなく、「世界に」行動という要素が出現するのです。真のミラーマン=真の自分には何の被害も及ぼしません。何の被害も及ばさないのですから、全てを受け入れる事が出来るのです。
そもそも「被害」と書くと何だか悪いもののように思えますが、実際は被害もクソもありません。
部屋の中から外で降ってる雪を眺めているのと同じです。降っている雪を眺めるのは楽しいものです。降っている雪全てを受け入れ、言い方を変えれば
アドバンスド ミラーマンメソッド
「愛」に満たされるかもしれません。
現実が幻想・夢
んで、下記の2つの記事を2,3回読むうちに、「現実が幻想・夢」っていうのが、なんか・・・なんか、わかってしまった。。
夢を見ている時は夢の中が現実だと思い、行動したり考えたりしていますが、
夢だと気付いて目覚めれば「俺は夢の中で生きていたのだ」とは思いませんし、
「夢の中の登場人物は存在しない」事も当然のごとく受け入れるでしょう。それと同じで、この現実と思っている世界も、実は存在しないし
生きている者も誰一人いないのです。私がこの前まで行ってたブラジルも存在しないし、
いい加減なブラジル人も、ナンパしたらスルーされたブラジル美女も実はいないのです。寝ている時に「ああ、これって夢なんだ。何が起きようが俺には関係ないんだ」と気付いた状態、
この時の「俺」が「今に在る」状態に近いです。「今に在るのはわかったけど、じゃあどんなメリットがあるんだい?」とここまで読んで頂いている
ヒマな読者は思ったかもしれません。「今に在る」とは理屈で言うと「現実世界(と思っている)からの解放」であります。
我々は現実世界に対し様々な悩みや、思考を向けています。これはもう癖みたいなもので
それこそインドの山奥で修業でもすればともかく、一般人にはどうしようもないものです。しかし、「今に在る」意識は現実世界(と思っている)がどうなろうがまったく傷付く事もないし
ダメージを負う事もありません。
夢の中でパンチやキックやチョークスリーパーを食らってもダメージが無いのに似ています。つまり思いきり単純に言うと、「今に在れ」ば「何もする必要がない」事に目覚めるわけです。
言い換えれば幻に対して願望実現だ何だと思い悩んでいた事からの解放、「願望からの解放」とも言えます。
願望からの解放
夢に気付けば、夢は何だかんだありながらも意図したストーリーになっていきます。
エゴに惑わされていると、寝ていても気付けない「寝ぼけ」ですが、気付いてしまえば
明晰夢みたいなもので、明晰夢では自分は眺める視点、カッコつけて言うなら神の視点に
移ることが出来るのです。この事に気付いてしまえば、ネガティブ思考もポジティブ思考も、もはや関係ありません。
「寝ぼけて」いると「あの野郎ぶっ飛ばしたい」とか「もう死にたい」とかの
ネガティブ思考を「現実である」と捉えて勝手にウンウン唸ってしまいますが、
明晰夢ならどんなにネガティブになろうが関係ありません、何故なら「目覚めれば」
夢の世界に対して思っていたそれらの思考は自分には何の関係も無いし、
何の危害も加えない事がわかりきっているからです。悪夢を現実と思うからうなされるわけで、「これって夢じゃないか」と気付けば
もはやのんびりと悪夢っぽいストーリーを観ている単なる鑑賞者です。映画を観ている人が、映画の中でどんなに凄惨な人殺しシーンを見ても
願望からの解放パート2
自分に危害は無いとわかりきって観ている状態であります。
人殺し映画など見たくないから何か別のにしようと意図すれば、
観ていれば勝手に変わっていきます。何故変わるのかというと、あなた自身が
変わったからです。結局の所、何度も書いていますが世界とは自分だったのです。
あと、最近の「自分はいない」系で引用した記事のここの部分
思い出して欲しいのは本当の自分は肉体も感情も持たない’意識’であること。
だから最初から問題も起きていなければ、最初からエゴで言う完璧なんだ。自分の思い込みに気づけた時点で自分とエゴとを一線引けているわけだ。
最初から何も失っていないし、何も持っていない。上にかいたことが分かっても、人間から解脱するわけではない。
人間が自分自身だと思い込んでいた視点で’お先真っ暗’と思っていたことが
‘このやばい状況を楽しもう’とすることができる視点に変わるんだ。先程も書いたように、‘本当の自分には一切の問題も起きていないから’。
本当の自分には最初から一切の問題も起きていない ー全てを傍観する : Without the Mind
だからそこからは無条件に幸せが選べる。
結局、エゴは「傷つくことを極端に恐れていた」ということになるのか??
現実(と思っていた世界)では、エゴの親玉みたいな奴に「エゴ防衛本能」みたいのを刺激されていたから、強く反応してしまっていたんだけど、その結果、強烈に「現実」を意識させられていたんだけど、現実世界の「個人」としての自分が、外界から攻撃されることに対して、自分の「幸せ」を、「安心」を、「平穏」を守ろうと、徹底抗戦しようとしてた。
でも、「本当の自分」には、なんの影響を与えることもできていなかったんだよなぁ。。「私」を守る必要なんて、まったくなかったわけだ。
現実の認識が薄くなりつつあるところだったので、なんか、桑田さんの記事に響くものがあったのかな?
まぁ、イォーク師匠の「カンペキング」が効いたのは間違いないと思う。
そうなると、このへんもよりわかる
今まで 「 手に入れるモノ 」「 叶えるモノ 」 って前提でメソッドをしたりあれこれしていた。
で、叶ったり叶わなかったり。
でも 「 既にある 」 って前提だと手に入れる必要なんてない。
既にあるのだから全部関係ない。
本当に最初から全部叶ってる。それが何故か突然しっくりきました。
今まで全然しっくりこなかったのに。
思い切ってエゴとか現実を無視し続けたからか、本当に突然。そしたら全部叶いました。
卒業スレ: 既にあるのだから全部関係ない、本当に最初から全部叶ってる | 潜在意識の達人語録
まだエゴ自体は存在しますが、全部既にあるんだから関係無いよなーと落ち着いていられます。
それを七章に適応すると
七章では全てあるって前提だけど。
お金がある、愛がある、幸せである、全てあるって前提だとそもそもあるんだから欲っする事はできないし。
既にあるから何もすることはない。
それでこれを上記の図式みたいに前提=結果とすると。
(前提) (結果)
全てある→全てある
愛がある→愛がある
お金がある→お金がある
幸せがある→幸せがあるこのように過程をすっ飛ばして結果と直結してる、だから叶える事はできないし欲することはできない。
「今から私は前提を『ある』にする」と決めるだけ – subconscious 潜在意識まとめ
前提が「ある」なら「ある」が結果として叶うんじゃないかってわかった。
よしおが関係ないって言ってたのはこういう事かって腑に落ちたし、叶わないを叶えてるってのもわかった。
ループしたり何かやっても叶わないってのは前提であり結果の「ない」を叶えてる。
だから「ある」って認めるだけで終わりなんだってわかった。
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