意識の領域

久々、何をどうやっても解放できない、エゴまみれになった。

体感覚、胃のあたりまで不快感があった。

夜中も、2,3時間寝れなかったかなぁ。

その間、ずっと、別の領域に浸ろうとしてた。

「目覚めるなら、今だ!」とか思って。

別の領域に浸るにも、いろんな形の愛がある。

不快感に対して、「いいよ」と伝えたり、「愛で包み込む」をやってみたり。

でも、変わらなかった。いっつも根本的なとこ変わんねえんだよな、と思った。

だけど次の日、ふと病院で読み返していた自分のブログで、改めて気づきがあった。

こちらの記事を、リライト気味に

きっかけ

★いまのエゴをつくったのは、真の自分

→ 認識変更できない自分を作っている

というのが浮かんだ。

★いまの状況を書き出す。

 → 出るわ出るわ、エゴにまみれた世界が・・・

 → でも、全部、自分だったんだ。

★できていなかったのは、自分の作った「ネガティブに見える」世界も、受け入れること

「すべては、愛」だった。

ということは・・・

「潜在意識を使って叶えたい」という状況だけではなくて、そもそもの「認識変更したいのにできない」という苦悩すら、作り出している?

→ 「意識」が作り出した、自分

→ 「意識」が作り出した、エゴ。。

「最悪な状況」を作り出して、「最悪」と思っているエゴすら、真の自分が作り出している。。

基本的には桑田さんの映写機の意識なんだけど・・・

自分が映写機なので、「自分=世界」

「世界」だけでなく、「エゴ」も本当の自分が作った、と思うほうが、わかりやすい。

全部自分で作り出している。

全部、自作自演

・スピリチュアルジプシー状態も、自分で作り出している。

・「認識変更に迷っているエゴ」を作り出しているのも、自分

★全部自分が作り出しているのだったら、どんなに悲惨な状況だと思っていても、愛を帯びてくる

知らんさん

この前「思考やエゴを眺めるのは家の中から外で降ってる雪を眺めているのと同じ」みたいな
事を書きましたが、エゴ視点で「良くない事」「とにかく悪い事」という思考が
湧いてきたら、それを「雪が降っているのを眺めていたら、ドリフのコントのように
突然タライが降ってきた」と捉えれば良いのです。結局本当の自分には「楽」とか「愛」しか無いんですよ。

(略)
全てを面白がって全てを愛しているのです。何故なら世界そのものが 
「愛すべき、楽しむべき自分」だからです

知らんモンは知らん 8時だよ全員集合メソッド

・いい悪いを決めているのは、エゴ
 → だけど、その「いい悪い」のジャッジを作っているのも、意識

映写機と源泉

「自分自身が愛」「自分自身が幸せそのもの」の感覚を「味わう」

愛が広がっていく感じ

その時の中心は・・・と思うと、映写機のたとえがわかりやすい。

映写機から、放たれるのは・・・「光」

光だけを見る

すべて自分が創造したものだと認識が変わった

「エゴ」も、「エゴが過剰反応する現実」も、本当の自分が作り出している、という認識にたったときに、エゴは、自分の現実を悪夢にする悪の元凶だと怖れたり、ネガティブなものではなくなった。

やっぱり、桑田さんから始まる。読み返して、やっと桑田式の言わんとすることがわかるようになった。「願望」という概念がおかしい、というのもよくわかる。

願望が叶わん!と言っている人は「今の状況を何とかしたいから」
という人が多いのではないかと思います。

でも世界は全部自分が創造したものなんで、今の状況も自分が創造したんだって事を
まず認識する事から全てが始まるんじゃないかと感じます。

状況はもちろん性格や人間性(と思っているもの)を作ったのも自分、
今の肉体を作ったのも自分(本当の自分)です。
本当の自分は一切の一般的な感情を持たない全知全能の存在みたいなもんですから。

自分の世界に出現させたい状況(容姿・性格・財産その他全て)をただ淡々と
チョイスしていけば良いだけなんだと気付いてから、何でもかんでも叶う
(叶うという言い方も違和感ありますけど)ようになりました。

桑田式01 世界は全部自分が創造したもの | ザ・チケット板☆備忘録

でもって、これがすごい大事。これがずっと受け入れられなかった。

前の方でも書きましたが「こんな苦しい状況なんて創るつもりなんてなかった!」
と思う方もいると思います。が、その苦しい苦しくないというのは全部エゴの部分が
判断しているだけで本当の自分には関係無いのです。

その「苦しい・辛い」と勝手に思ってる状況は、やっぱり自分が創ったものなんです。
ですから苦しんでも良いし苦しまなくても良い、どっちでも良いのです。

何故なら「本当の自分」が書いた絵をエゴが勝手に評価を下して「この絵はダメだね」とか
言ってるだけなので、そんなどうでもいい評価は言わせておけば良いのです。

エゴの評価は無視して本当の自分が創った絵を受け入れる事です。
それから新しい絵を選べば良いんです、絶対に自分の創ったものを否定しない事です。
まず受け入れて、別の作品を描けば良いだけです。

桑田式02 全て自分だから、他の物(者)という概念は無い | ザ・チケット板☆備忘録

こちらも改めて読み返して納得。

本当に愛するってことは「存在することをただ認める、許す」ということです。
もうなにもしないということです。

「それでもいいよ」ってことです。感情も存在です。エゴも存在です。
「勝手にしやがれ」ってことです。全部オーケーだよ、と。

「ID:q1RQB5MM0」 01 あなたの存在は愛そのもの。全ての存在は等価です。 | ザ・チケット板☆備忘録

→ これが、頭でもわかっては、受け入れがたかったのは
「なんでこんな状況を受け入れなきゃいけないんだ」っていう、押し付けられた状態への、抵抗。

その抵抗すら、「全部自分で作り出した」となれば、認識も変わる。

★「こんな状況つくりだす、本当の自分ってすげーなー」的な。

「エゴのストーリー」って、いい表現かも

とりあえず、今望まないことが起こっているのなら、そういう物語を自分がその手で作ってるんだなぁ、
よくわからんけどそんなことできる自分すげえなぁ、くらいに実感してみたらどうかな。

現実は辻褄合わせで勝手に起こる。最終的に行き着くのは 「そんなの関係ねぇ!」 | ザ・チケット板☆備忘録

なんでも自分・全部自分

わかったー、おー、すっきりした!という感覚ではない。でも、

・体のモヤモヤ

・これで本当に大丈夫かな?

も、全部いまの自分が作り出している。

「愛」しかない。

だから、安心していていい。

安心できなくても、安心していていい。「安心できない」を作り出しているのは、本当の自分だから。

ずっとやってきた、「愛をもった自愛」とか「愛の目で見る」とか思ってたのも、悪くないんだけど

「誰がこんなひどい状況をつくりだしたんだ!」っていう、エゴの怒りすら、自分で作り出している、という部分を、フォローできていなかったな。

意識の領域

これまで、自分が「別の領域」だと思っていたのは、エゴの中での別の領域だったと思う。

エゴの「いい・悪い」の範疇での別の領域。エゴ=悪、別の領域=善、みたいな。

「自己観察式で叶わない理由」はそれだった。

「意識」自体を感じることをずーっとやっていたけど、結局、何も変わらなかった。

 → その変わらなさに嫌気がさして、エゴまみれ

 → エゴまみれになると、「待ってました!」とばかりに、現実もエゴまみれになる

この自分の記事も、めっちゃいいと思って自画自賛してたんだけど

これもねー。難しいなぁ・・・うまくいけば、ここから「意識の領域」につながっていたと思うんだけど、映写機の「自覚」がなかったから、結局、エゴの世界から出られなかった。

もうちょっと言えば、ネガティブを見ないように、「コントロール」、「制御」するような方向だった。

既にある

「真の別の領域」からの、「すでにある」

・これまでの望みがすべて叶った世界にいるし、今望むものも、すでにある。

「ある」から、映し出せる。対象になる。

「すでにある」は真実。

「別の領域に浸る」ことに関係なく、あるものはある。

エゴに振り回され、「(エゴの範囲の)別の領域」に浸らなきゃダメだ!って感じだったから、うまくいかなかった。

↓これもいい記事

それまでは愛して欲しいと必死にもがいていたけれど、愛されていないと思っていたのはエゴの錯覚だった。
既に愛されていたと知るだけでよかった。
探す限り見つからない。
眼鏡はもう既にかけていた、という感じです。

卒業スレ: 既にあるのだから全部関係ない、本当に最初から全部叶ってる | 潜在意識の達人語録

ほんとうの自分

源泉、映写機の意識に立てば、「こっちが本当の自分だったんだ」、はよくわかる

これまでの「内側とつながる」話もよくわかる
「不足前提で、不足を避けて、内側とつながろうとしていた」仮初の安心感と、

「不足も含めて、包み込む」、本当の安心感

コメント

  1. […] 真の別の領域 […]

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