自愛カスタマイズ

土日慌ただしくて、ブログ関連はすっかり放置だったんだけど、かえって整理できたというか。

超長くなっちゃったので、要点を整理すると

・今のままの自分で叶えていい

・「叶えたくない」自分に気づく

・自分にあやまる

・「自分の感情」を「自分のこども」として受け入れる

みたいな話。

どちらかというと、「願望実現」というよりは、自分が長々苦労してきた

「激烈なネガティブ感情との付き合い方」

の話が多め。

ブチ切れる

何がきっかけだったか、忘れちゃったけど

  • どんな自分でもいい
  • 今のままの自分で受け取っていい
  • もう、コントロールしなくていい
  • どんな感情に対しても、何もしなくていい
  • もうそのままで、全部受け取っていい
  • いまの「不足」の自分として、何もしなくていい。

って、思えた・・・思えたというか、「いやこんなに努力してんのに、もう潜在意識もチケットも全部叶わねえじゃん!」ってブチ切れた瞬間があって。

まさにこの「覚醒後の激変さん」の心境だった。

「エゴをどうにかしなきゃ」
「この現実は自分の内面の反映だから、内面を良い様にしなきゃ」
「~さんが言ってたから自愛しなきゃ」
「イライラするのはエゴ」
「絶望するのはエゴ」
「エゴにのまれちゃいけない」
「コントロールしなきゃ」

別にエゴがいたっていいじゃない。それよりコントロールをしようとするな。
自分の心に聞いてみろ。本心に聞くんだよ。
コントロールされていることに疲弊しているかも知れない という気持ちのあぶり出し。

「潜在意識とかチケットとかもうたくさんなんだよ!」「自分をコントロールするな!」
これが私のエゴ(?)よく分かんないけど私の中の何かの悲痛の叫びでした。
これを許したら一気に心が軽くなりました。別の領域?も何となく分かりました。

激変さん:j4TFXGiQ0(覚醒後) | 潜在意識の達人語録

自分自身よりも、外側の「現象」を重視していて、コントロールに苦しんでいたんだよな。

こまけぇさんが、こちらの記事で書いてる「どんな自分であってもいいという羽を持ったような自由感、自由になった心を感じられた。

迷走?

でもそれって、ちょっと前の「内面を変える必要がない」って気づいてんじゃん、とか自分でツッコミをいれつつ、ここ最近の記事が、また自分の中でも矛盾してるような気もしてて

「叶っている」がすべて!

と同時に、

いまの現状は、100%、自分の望みを叶えている!

とも思えてきて。

「ひねくれ式」をやってたわけじゃないけど、
なんだか、いまの現状に納得できてしまった自分もいて。

現象化していないのは「叶えたくない」

また、条件化させてもあれなんだけど、

「どんな自分でも許す」という自愛よりは、

「潜在意識が、叶えたくないと思っている」

という、心理学的アプローチ、「インナーチャイルド」的アプローチが一番向いている、

感情面を、納得させてあげることが、こまけぇさんでいう「果てがある」ことを感じやすい気がする。

ネガを無視しようとするよりも、

「そうだね、そうだね」と、受け入れるほうが、早いし、エゴがおとなしくなる

あやまる

もう一つ、ネガティブ塗れになったときに必要だな、と思ったのは、「自分にあやまる」という要素。たとえば、318さんの記事

>ネガな感情やイメージはあいかわらずでてきます。
そのたび、そうなんだ。とか、こんなこと思っているんだな。と受け入れてみても、
ふとした瞬間に私の望まない結果になってしまって、その情報を耳にしたらどうしよう、
とネガが大噴出してしまい、一人で考えて真っ青になったりしてもうわけがわからないです。

自分では、これで大丈夫だなと思っても、ふとした瞬間にネガがでてきて台無しになってしまいます。

~略~ 

僕の中にも、同じような観念がありますよ。
中々消えてくれない、しつこい観念です。ふとした瞬間に出てきます。
僕は何年間も、その観念を使って自分を責め、傷つけ、押さえこみ続けてきました。

で、僕は今自分自身に謝っています。
その観念が顔を出したら「今までごめん」「受け止めるから」と話しかけています。
何度も出てくるので、何度も謝ろうと思っています。これも自愛だと思うので。
まだ完全に消えてくれてはいませんが、随分と大人しくなってくれました。

昔はそれが湧き出てきたら、長ければ1時間近く、酷いときは
変な汗までかいていましたが、今は1分も経たないうちに消えてくれます。
まだ僕も途中なので、胸を張ってお勧めする事は出来ないのですが、
ご自身に謝ってみるのも良いかもしれません。

318式02 純粋な「大好き」の気持ちの先には、想像以上の素敵な事が待っている | ザ・チケット板☆備忘録

「脳内破壊」とか、ゴリ押しイメージの強い浜崎さんも、ちゃんと「自分にあやまる」について書いてた。

私は大切に愛されていると洗脳すると「大切に愛されている」のを前提に
相手に向き合えますので今までみたいに「好かれたいからこうしよう」というのは全くなくなりました。

私はもともと愛されてたんだな、今まで気がつけなくてごめんねと自分に謝っています。

徹底アファと徹底自愛は最強のコンビです。
自愛を徹底しだしてからは出会う男性は優しくて内面が素敵な人ばかりですし
今まで私を強い口調で批判してきたり裏切ってきて傷つけたような人たちは何人か
連絡先を削除して「もう会うこともない」と決めました。

今まで無理させてごめんね、とひたすら自分に謝罪しています。

徹底して自分に向き合うといろんなことがわかってきて
現実でもいろいろ流れも変わります。

自分を大事にすることがいかに大事だったのか痛感しています。
今うまく行かなくて悩んでいる方は
自分のことが心から大好きで大切と思えるのか確認してみてください。

浜崎さん-5/今うまく行かなくて悩んでいる方は 自分のことが心から大好きで大切と思えるのか確認して | 引き寄せの法則と潜在意識で願望実現

個別願望でもいいけど、もっと大きなレベルで

「完全な認識変更したくない」

「幸せになりたくない」

そういう自分を、受け入れていくほうが、楽になる気がする。

まぁ、これ、心理学やってたときの理論で行くと、「自分が幸せになりたくないのは、親への復讐」みたいな、また遠回りな話になっちゃうんだけど(人とタイミングによっては、親との関係を振り返る事って、非常に大事だとも思うけど)

「どんだけ自分も、抵抗しているんだ」とも思うんだけど、抵抗している理由もきっとそれなりにあって、「今」幸せになってしまうと、苦しくて抱えている気持ちが成仏できない、ってことなんだろうな。

おそらくこいつらが、「黒幕」

思考も感情も、一緒くたに「エゴ」って言ってるけど、自分にとって、いちばんきつかったのは、「破壊的にネガティブな感情的なエネルギー」をもったエゴ。

とにかく、この自分を全否定にもっていくネガティブな感情をなんとかしたい。特に、不安と、さみしさ。願望実現よりも、むしろ、この苦しみをなんとかしたいって、去年はとにかくそうだった。

そういう感情を受け入れたくないとき、思考が活発化して、いろんな本やブログを読み漁って「頭で解決」しようとしてる。

これまでやってきた、苦しい感情の受け入れ方としては、

 → 書き出す(吐き出し)
 → スルー
 → 却下
 → 嘘
 → 何もしない

なんだけど・・・なんというか、完璧な、万能なものがなくて。

せっかく浸っていた別の領域から「ずれた」ときに、早めに軌道修正したいとは思いつつも、沸き上がった激烈な感情を「コントロール」しなきゃいけないのが、キツイ。

「ネガティブな感情」を「思考」で押さえつけるのは、ほんっとうにキツイ。

というか、「ネガティブな感情」は、「思考」を叩き潰すまで、意識を乗っ取るまで、どんどん拡大して、強烈になる。最終的に「死にたい」まで行く。

結果、「あ~、認識変更できたと思ったのに、また戻っちゃった」って、なる。

そうじゃなくて、「思考・感情」と「認識」は別。

  • 幸せを受け取っていいんだよ
  • 愛されていいいんだよ
  • 責めなくていいいんだよ

みたいな「言葉」が、自愛なのではなく、「どんな自分でも、叶っているから、なんでもオッケーだよ」ってのが自愛、なはず。

でも、エゴ塗れで苦しんでいるときの自分は、苦しさのあまりいつの間にか「叶っている」ことすら、解除してしまうんだ。意識(認識)が乗っ取られちゃうから。そこから、どうしても、不足感ベースの、「ほしい」になってしまう。

もちろん、これまでの実践の繰り返しで、ネガの超大型台風でも、こころのどこかで「叶ってるとしか思えない」、という感覚になれたこともあるんだけどね。割合としては、間違いなく増えてきているんだけれども。

でも、そういう「自分にはキツすぎて無理」っていうレベルの、消えてなくなれという感情すら100%受け入れられるようになると、やっと、先の世界が見えてくる気がする。昔どこかの記事で書いた気がするけど、ネガティブすら自分で生み出していると認識できるからこそ、自分がすべて生み出している、という立場に立てるんだ。

まぁ、ここにきて、結局、バーソロミューの「感情はあなたの子供です」が一番なのかな、と思えてきた。バーソロミューの記事探していて出てきた、こちらのブログもまたいい感じでした。

「感情はあなたの子供なのです。

それはあなたの子供です。

子供たちが欲しいのはあなたの愛です。

その感情を生んだのは、ほかならぬあなたなのに、

あなたはそうした感情を

まるで親なし子のように扱っています。

けれども、それを創りだしたのはあなた自身なのです」

(『バーソロミュー』p80)

~略~

大人になって、

就職したり、

恋愛・結婚したり、

夫婦や家族や対人関係で悩んだり、

楽しんだり喜んだり、

苦しかったり泣いたりしたこと

昨日起きたその出来事で感じた

感情や感覚、本音や望みだって、

ある意味「インナーチャイルド」です。

なんでもう大人なのに

「チャイルド」って表現するかというと 

あなたから生まれたものだから。

そう考えるとしっくりくるかもしれません。

~略~

インナーチャイルドは、

今もあなたと共に普通に存在します。

だって

感情や感覚や本音や望みは、

今この瞬間にも、

あなたの中にうまれているから。

あなたの中に

昔から今この瞬間まで生まれ続けている

何億という感情、本音、本当の望み、 

それらすべてを

まるで自分の子どものように

「そうだね」

「そう思ったんだね」

なんて毎瞬寄り添って愛せたら。

それは

自分自身をまるごと愛することにも

なりますね。

「感情は、あなたの子ども」(インナーチャイルドと繋がるって?)

自愛と「自分=世界」

受け入れられる範囲が広がれば、isaさんの言わんとしてたような、下記の記事も頭に入ってくる。今まで、isaさんの自愛が受け入れられなかったのは、「分離が根負けするまで」自愛できなかったから、強烈な分離の感情に、こちらが負けていたからだと思うんだ。

また自愛の方面からアプローチすると、だ。
叶っているきみも叶っていないきみもどちらも丸ごと愛してやれ、だ。
叶っていようが叶っていまいが愛してやれ。自愛できようができまいが。快であろうが不快であろうが。

知識がついた。あれはダメこれはダメと知識が増える。
そのダメな事をするたびにきみはきみを叱責する。
車を気持ち良く運転するのに隣りでやんや否定されたら嫌な気分だろ。
言われ続けると萎縮するし、いつもしないミスまでやらかしてさらに怒られる。

分離は勘違いだ。愛、完璧、一体以外は勘違いだ。

思い出すだけでいい。
抵抗や不快感、恐怖がでてきたら、きみが感じる事を許せ。感じてもいいと。それが自愛だろ。

きみが世界や人生、願望の対象物に言いたい事、文句があるとすれば、
それはきみがきみにいいたい事だ。きみからきみへの不満だ。

~略~

自分を許せない→まあいいや→まあいいやと思えない自分にいらつく→それも構わない→構う
(いいわけないじゃん!)→構ってもいい(いやいや、別にOKだよ)→‥だ。

分離を採用→愛を採用→分離→愛
って感じだ。最後に分離が根負けするまでやってみ。結局分離は錯覚、幻想なんだよ。

クレさんも言っていたろ?自分を裁くな。ま~いっかだ。
つまり丸ごと自分を許してるし愛しているし、自分が完璧であると認めているだろ。
言葉は違えど同じだよ。

~略~

世界はきみだろ。きみがきみを愛するという事は、世界がきみを愛しきみが世界を愛する事だ。
不足や不安や恐怖を感じたっていい。そんな自分も愛してやれ。
愛せなかったとしても、そんな自分を愛してやれ、だ。

~略~

きみが世界に少しでも不満があるなら、きみがきみにもっと愛してほしいサインだ。

isa式20 世界に少しでも不満があるなら、きみがきみにもっと愛して欲しいサインだ | ザ・チケット板☆備忘録

isaさんを改めて読んで、「あぁ、自愛も、自分=世界につながるのか」と改めて思って。

「自分」がいなくなれば、「自分=世界」がわかると思っていたんだけど、

「自愛」を貫き通しても、自分はやめられる

「いいよ」っていうのは、自由意志がない、ってことだ。

「あなたがそう考えちゃうのは、全自動なんだから、しょうがないよ」って。

まぁ、そもそも、「そう考えちゃう」と思うのも、自動なんだけどね、的な。

自分から愛されたい

自分から愛されたかった。

というのは、

世界=自分としての「意識」「認識」「本当の自分」から愛されたい

ってことだよな。

うまくいってるとはいっても、いまの彼女との関係は、どんどん欲求が高くなる。

・もっと話したい

・もっと好きになってほしい

・もっと感謝してほしい

などなど。幸せが、いつの間にか、エゴの不足に切り替わっていることが多々あり。

でもこれって、(エゴの)自分が、(世界としての)自分に、思ってることそのままじゃねえか・・・って思って。

・もっと、自分と会話する(本心を探る、的な。エゴ塗れのどうこうじゃなくて)

・もっと、自分を好きになる

・もっと、自分に感謝する

過去振り返っても、恋愛がうまくいかなくなるのは、相手を好きになればなるほど、自分のことがおざなりになるからではないかと思ってしまったりもした。

まぁ、みなさん、同じ結論に達するわけですけれども。

ただ、最近強く思うのですが
恋愛系は相手じゃなくて真っ先に自分を愛しまくることが先決だと思うのです。
好きなのは相手じゃなくて自分。
相手にいくら愛を送ろうが愛そうが自分に愛が貯金されてないと。

愛されているというアファも好きですが
最近自分にずっと「愛してるよ」と言い続けています。

浜崎さん-16/恋愛系は相手じゃなくて真っ先に自分を愛しまくること | 引き寄せの法則と潜在意識で願望実現

ミチカさんの、「本当は誰に愛されたい?」が自分だったんだと思います、も、そう。

自分に感謝する

「自分を愛する」っていうと、ちょっと大げさになっちゃうけど、自分を認めるとか、感謝するとか、ねぎらう、とか、そういうとこからでいいんだ。

そういや、最近仕事でなんかムカつきっぱなしだった営業も、よくよく気持ちを探ってみると本音は「こいつ全然感謝がねえな」だった。

そういう意味でも、「自分に感謝」は、いま自分に必要なことなんだろう。

「からだありがとう」「こころありがとう」と言って寝るのを習慣にするといい、って、なんかで読んだな。

こまけぇさんだと、この記事

そんなエゴの足跡を今一度、伝記を読むように改めて客観視してみてください。そこにはエゴと言う名の主人公が、ささやかな人生の中で不器用だけれども、健気に、必死に頑張って来た姿が描かれ、必死に頑張れなかった人でさえ、少なくとも自分を幸せにしたい(幸せになりたい)との切実なる意志あったはずです。そうした思いを抱え、もがきながら日々を生きて来たエゴと言う存在を顧みれば、決して貶すに値するものではなく、むしろ愛しさしか湧いてこないはずです。それがあなたの化身なんです。身近であり過ぎるために、そのありがたみ、尊さ、愛しさに私たちは気づけないのです。

「なる」ことが難しかったり、自分を好きになれなくてもいいです。ただ、願望を追う余りに蔑ろにされてきたエゴに気付き、その頑張りを労い、褒めて、感謝するだけでいいです。エゴは斥けるべき外敵ではないのです。あなたのために不足の世界でずっと戦ってくれていたのですから。なので、もうそろそろ「矛を収めていいよ」と優しい言葉をかけてあげませんか? それだけでスピ的な在り方や立ち位置はずいぶんと変わって来るかと思います。

そして、その「がんばらなくてもいいよ」とのスタンス(在り方)は現実として跳ね返って来ては、「がんばらなくてもいい世界」が展開していきます。なぜなら、ほとんどの人はエゴに本当の自分が乗っ取られているからです。つまり「エゴ=世界(=自分)」になっているので、それを逆に活用する形になるわけなんですね。まあ、これも結局、自愛の一言に帰結するわけですが(汗)。

エゴに勤労感謝する|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!

そうやって、恋愛面だけではなく、「自分が外部に望んでいること」を突き詰めていくと、現象化ではなく、自分が自分に望んでいたことだと思う。

自信のない自分を設定していたかのような。

自分で自分を認めていなかっただけのような。

でもそれって、ふとしたきっかけで、ほんとうに無意識に「そう思い込んでいた」だけなんじゃないか、ということに気づく。

行動面

なんといったらいいのか、たぶん、自分の「内面」が本当に変わったら、
自然と現実に対する「行動」も変わると思っているんだけど、

たとえば、全然、部屋の掃除に手がつかない自分とかに対して、

「汚い部屋でも、いいよ」、って思考で押さえつけるのではなくてね。

本当の自愛をやっていったときに、自然と自分を大事にしたくなって、

ごく自然に、自分にとって、快適な環境を作ろうとするような・・・

週末に久々、布団干して、シーツも洗ったりしたら、やっぱり、気持ちよくて、心も軽くなって。

ささいなことだけど、やっていると、登山家さんのいう

「宇宙いちの価値をもった大切な自分」

というニュアンスが、頭の理解だけではなくてわかってくるし。

いや、やっていると、というより、心が落ち着いてくると、自然とやりたくなってくる、ってほうが正確か。

自己流にカスタマイズ

心理学をやってたとき、たしかに効果は感じられたんだけど、一方で延々と「心の癒し」が続き、「これじゃキリがない!」と思って、離れた心理学業界。だけどいまは、108さんやこまけぇさん達の理論と組み合わせることで、自分にとって一番ベストな、「解釈」ができそうな気がする。

心理学の時は、「既にある」なんて概念はなかったからな。

一方で、チケット系の理論は知り尽くしたはずでも、何か「壁」を感じていたわけだし、その「壁」が、受け入れたくないネガティブな感情で、インナーチャイルド的アプローチで解決できるのかもしれない。

とにかく、メソッドや方法論がどうであろうと、「実践」

エゴの領域から抜けることが実践なんだよ

なわけだし。

もう、自分の感覚を信じるのみ!ってところなんだろうな。

これも「完璧」な流れのひとつ

最新の「自愛集大成」みたいな記事になってしまった。

と、まぁ、長々書いてきたような、自分のいまの変化も

「全て叶っている」

という認識が浸透してきたからこそ、現象化のステップの一部として、足りなかった要素が出てきているような気もするし、

なんか、ここ数日「上位概念」という言葉がやけに頭に残っているんだけど、あらゆる理屈を飛び越えて

「全て叶っている」

という認識だけずらさなければ、あとはどうにでもなるのかもしれないな。

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