自由意志はない系

何回か読んだ気がしたけど、今日は腑に落ちたなぁ

先にも書いたが、私たちに自由意志はない。
常に何かの刺激によって行動が導き出される。

比喩で言うなら、私たちは上流から下流へと流れる水のごとく、流れに身を任せるしかないんだ。
だがここで思い違いをする。水滴一滴が自分自身だと勘違いし(エゴ)、
どうしても上流へ戻りたい(願望)という。
ところが水滴一滴には到底叶わない夢。だから「現実は辛い」。

そうして水滴一滴は上流へ戻ることを諦め、流れに身を任せることを決意する(受け入れる)。
全てを受け入れ流されていくうちに気づく。

自分も水だったんだ、いや、川の流れそのもの(本当の自分)だったんだ、と。
上流も中流も下流も、本当は全て自分自身だったんだ、と。
一歩もそこから外れたことはなかったんだ、と。
川そのものだったから水滴一滴も存在できたんだ、と。

私が「受け入れる」で伝えたいことはざっと言えばこういうこと。
全てを受け入れたそのとき、エゴによる制限が消え、本当の自由が見える。

全てを受け入れたそのとき、エゴによる制限が消え、本当の自由が見える。

本当は全てがコントロールの範囲外である。自分の内面さえも。

前とは意味合いが違って感じられる。

世界は自分の内面の投影なのだから、
自分の外側ではなく内側に働きかけて望みを叶えようとするのが
願望実現や自己啓発の様々なメソッドですよね。

もし、自分の外側の世界である現実がコントロールできないのと同様に
本当は自分の内面もコントロールできないとしたらどうでしょう。
今まで“自分の意思”であると感じていた思考も、感情も、行動も、
全て自分以外の力によるものだとしたら?

あなたが願望実現に取り組む発端となった願望を叶えたいという思いも
叶えるために行ったいろいろな取り組みも、うまくいかないという悩みや不安も
自分でコントロールしていると思っていたこと全て実は、自分のコントロール外の出来事だとしたら
あなたはどのように感じますか?(自由意思のことは、哲学や科学で論じられていますね)

この考えを起点とすると、あなたは自分を責めることができなくなります。
だって全ては勝手に起きているからです。

例えば何かネガティブな考えが浮かんでも、それはあなたのせいではありません。
その考えに対して「ああ、またネガティブに考えてしまった」と反省したとしても
それも勝手に起きたのであって、あなたのせいではありませんね。

それから、失敗を恐れる必要もありませんね。
まず、失敗したらどうしようと先々を心配しても無意味です。
どうせ失敗するときはします。あなたのせいではなく。

だからって、心配を止める必要はありません。
心配が湧いてくるのもあなたのせいではないのだから。
あ、止めようとしたっていいんですよ。

止めたいという気持ちも勝手に起きたことです。
もうわけがわかりませんね。

もはや改善の余地はありません。お手上げ状態です。
全てはあなたのコントロールの範囲外のことだったのです。
あなたが自分の意思でできる唯一のことは、自分の内外で起きてくる
あるがままの出来事をただただ見ていることくらいでしょうか。

それからどうなるでしょうか。

長くなりましたが、まあだまされたと思ってやってみてください。
本当にだまれちゃった方はごめんなさいねw

本当は全てがコントロールの範囲外である。自分の内面さえも。 | ザ・チケット板☆備忘録

願うのをやめたら願わないで済むような世界が広がっていた

TgG5さんに近い話だねえ

それはありふれた言い方になりますけど、
「この世界で完璧だったのだ。この世界を自分は選んでいたのだ」ということが
腑に落ちたということです。

不足のあるこの世界を「自分で望んで」選択していたのだ、ということです。
エゴからすれば「足りない!どうにかしたい!」と思うような世界ですが、
そもそもそういう世界を自分は作っていたんです。
だから変える必要もなかった。(そもそも変えられませんが)
エゴが「こんなの嫌だ」と物申すのは当たり前です。
だってわざわざそういう風にプログラミングしたんですから。

てゆうか、「不足の出前一丁!」と電話で注文しておいて、
いざ届いたら「なんだよこれ。」っておかしくないですか?

自分が完璧に世界を創っていたことを知って、
心の底から、自分やるじゃん、て思いました。

それと同時に、今まで、エゴと同化して
「どうにかしよう。なんだこの世界。コントロールしないと」と取り組んでいたのがばかばかしくなりました。
エゴはエゴとして仕事をしているだけなんですね。
そういうエゴすらも自分でプログラミングしたのかもしれません。

自分なんていないという感覚はわかりません。
けれど自由意志がないというのは良くわかるようになりました。

そもそも「不足のある世界」を頼んでおいて、それが完璧に出来上がっている中で、
何も変えられないし、変える必要がないということです。
「ああ、また意図したとおりに完璧にできたなぁ」と感激して
他の世界が良かったらただそっちを選ぶだけです。

選ぶ、というと何かするような印象を受けますが、
エゴや不足が湧いてきたら、それをスルーして(これが選択)
常に満たされていればいいだけなんだと思います。

エゴが想像する以上に素晴らしい世界が広がるだろうと確信しています。

長々書きましたが、端的にいうと、
「願うのをやめたら願わないで済むような世界が広がっていた」ということです。

叶えるために何かする世界から物事を見るのをやめるんです | ザ・チケット板☆備忘録


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