迷走の2か月

だいぶ更新の時間が空いてしまった。まぁほんとに、いろいろあって、この期間は、自分の過去記事をひたすら読み返していた。んでもって、なんども記事を書きかけて、「やっぱ違う」と書き直し・・・過去最高レベルのあ~だこーだを繰り返し、やっとまとめられた。

と、本質的なところは、次の記事で書くんだけど、今回は補足的にこの期間によく読んでいた記事を貼り付けておきます。関連していなくもない。けど、やっぱりこういう「理論理論」もおなかいっぱい感はある。

フィルター理論

最初に元々書こうと思っていたのは、フィルター理論だったな

別の領域で感じる「無」にはすべてが含まれているんですが、
その「無」であり「すべて」というのは、実は本当の自分のことです。

別の領域では「何も起こってない」とか「既にある」とか「愛」「無限」「完璧」・・・なわけですが、そこは絶対性の世界で、そこで全部完結してしまっているので、創造のプロセス(願望→実現)
というものが存在しません。だからここは「願望=実現」の領域なのです。

で、「本当の自分」は、その創造のプロセスを体験してみたくて
「私」という個人意識のフィルターを使って相対性(分離)の世界を体験することにしたわけです。
この「本当の自分」が海で、「私」が波ということになります。

すべては幻想で、実際は何も起きていないけれど、フィルターを通すと様々な出来事が
起きているかのように見え、そして実際にはすべてがあるけれど、フィルターを通すと
何かが「足りない」ように見えます。

そうでないと、出来事を体験したり、なにかを得たりする経験ができないからです。

なので私たちがそれぞれ体験している世界というのは、「何も起きていない実相」を
「私」というフィルターを通して投影したそれぞれオリジナルの世界です。
だから「私=世界」になるんです。

私たちは、この「私」というそれぞれの個人意識を通して見る世界を知りたくて、
「OO(個人名)という人間として生きている」というフィルターを装着しました。
このフィルターというのは観念のことで、人それぞれにオリジナルのフィルターを
たくさんつけています。

私たちは長年肉体が自分自身だと思っていたので、自分の体が気に入らないと思ったり、
起きてるように見える出来事を体験して、多くの場合は苦しんだりしてきたわけですが、
「本当の自分」から観ると、そのプロセスを経験することは喜びだったりします。

退屈なストーリーよりも、悲劇的で複雑なストーリーのほうが面白いという感覚です。

エゴはそのことを知らないので、「もっと違う体がよかった」とか「環境を変えたい」と思って、投影の現れである現実の中で、あれこれ試行錯誤し続けてきたんですが、もう投影されてしまった結果を変えようとすると、そこは分離の世界なので、

「ダイエットしなきゃきれいになれない」とか「OOするにはもっとお金が必要だ」とか、
さらに分離に基づいたフィルターを増やし続けるしかなかったんです。

「OOが欲しい」と思うことは、「OOがない」というフィルターを通して世界を見ているんだけど、さらに「OOを手に入れるためには××をしなくては」というフィルターを追加して、どんどん制限を増やしているだけです。

それらのフィルターを外していけば、「既にある」ように世界が見えてくるよってことで、
リリースしようとするんだけど、結局、分離にいながら分離から抜け出ようとすることになるので、それがまた「観念をリリースできなきゃOOは手にはいらない」という新たなフィルターになることも多くて、停滞してしまう。

~略~

自分にとって当たり前になりすぎてると気づきにくいかもしれないけど、
たいてい同じシチュエーションを体験するときは、思考プログラムが起動して
自動的に思考が再生されています。

そしてその自動再生された思考に反応して、感情では「この環境のせいで不快なんだ」と感じています。

だから不快な感情やよくない思考をしていると、その通りの嫌な現実が起きてくるよというのは
正確ではなくて元々そういう体験をしたくてそのフィルターを選んたのに、エゴではそれを
体験したくないと否定してしまうので、それは完了されずに再配達されて、何度も繰り返してしまうんです。

ここでその不快な感情を感じつくすことで体験を完了させることができると、
「本当の自分」はもうそのフィルターに興味がなくなるので、それは消えていきます。
すると、同じ場面でも不快な感情を感じなくなるし、出来事自体も変化してきます。

で、この方法とは違う方法で、リリースしなくても別の領域で
気づいていれば自然と消えるよといっているのは、

別の領域は、「私」というフィルターをつける以前の領域だからです。
分離する前の、すべてである領域です。

「気づいた時点で消える」という表現は、他にどう表現したらいいかわからないんですけど、
「手放そう」とか「消そう」とか「~~しよう」とするような性質のものではないという意味で
使用しました。

別の領域では「~~しよう」とすることはできないので。

そこに留まっていると、段々、自分が今まで自分だと思っていた分離の思考が、
自分のものではないということがわかってきます。
そして、体験するフィルターを選べる立場である「本当の自分」であることがわかってきます。

なので、「現状を受け入れろ」といわれているのは、「現状で我慢しろ」という意味ではなくて、
「この現状は、『本当の自分』が体験したくて選んだんだ」ということを受け入れろという意味です。
自分が体験したくて選んだんだということを受け入れられなければ、自分が体験を選べる立場
であることを否定していることになるので、エゴのなかで制限された体験しかできません。

だから今の肉体も、周りの環境も、本当は自分で選んだんだと認めて受け入れるんです。
現実は自分が選んだとおりの完璧な結果だということを受け入れていると、起きている
すべてのことが愛おしく思えてきます。

エゴから見れば不足を感じる現実だとしても、もう現実の中で格闘する必要がないことがわかるし、「本当の自分」という立場に立てば、すべては愛からだったということがわかるからです。
そしてもちろん、自分の望む現実が選べるということがわかるからです。

自己観察式 03 この現状は 「本当の自分」 が体験したくて選んだもの。 | ザ・チケット板☆備忘録

自分の価値を認める

現実的に傲慢な人たちから「自分たちのほうが優れている人間だと、決めつけられる辛さ」があったんだけど、そんな中、「結局自愛が必要だ」と思い、登山家さんの記事も、何度も読み直していた。

「エゴ(≒個人という存在)」こそ、最も大事に大切に扱うべき存在で、そんな唯一無二の存在を大事にしない、大切にしないどころか、「存在しない」認定をしようとしていたわけで、自分の本当の存在価値を認める、的なところかなぁ、と。でもそこから、「インナーチャイルド癒さなきゃ」となると、また、ぐるぐると思考の渦に沈んでいく。

自愛も自己観察も、要は「スルー力」

「エゴと一体化しない」というのがポイントなわけで。

今回、桑田さんの「寸止め波動砲」も妙に思い出していたんだけど、納得。

昨日も書きましたが、何者かが心の「声」を聞いているというのは結構ポイントです。
この「声」を音声処理する前、つまり得体の知れない「何か」が湧き上がって来る場所こそ、
本来の自分が居る場所です(多分)

この湧き上がってくる「源泉掛け流し」に常に居る、ということは何か湧き上がってきたときに
最も適切な行動を取れるという事でもあります。昨日のボディワークの話で言えば、重力を感じているからこそ、スポーツなどで、その場その場で適切な動作が取れるのと同じ理屈であります。

もちろんこの「適切な行動」とはエゴ視点から見た場合の話です。
実際は「行動している」とかいちいち判断しないでしょう、虎や熊に追いかけられたら何も考えずに逃げるのと同じです。

源泉掛け流しに居るという事は、つまり心の声(らしきもの)を思考やエゴで肉付けする前の
段階に居るともいえます、つまり「もうだめだ」という”言葉”は思考で「もうだめだ」と
「心で喋っている」と判断した時点で初めて「もうだめだ」となります。

そしてエゴが「私」は「もうだめだ」とさらに判断し、ここで初めて「私はもうだめだ」が
エゴにとっての「真実」となるわけです。

実際は「もうだめだ」は湧き上がった時点では「%&#$=」みたいな記号というか、
発射される前の波動砲のようなものであります、それに思考が目に見えている状況やその他で
勝手に判断し、「これは、”もうだめだ”である」とし、それをエゴは「心の声」として知覚するわけです。

しかし、源泉掛け流しに居れば絶対の「真実」など無い事に気付けます。
全てのものは何だかわからないチャージ中の波動砲っぽいものだったのであります。
そこに居ることで初めて世界の創造というものを垣間見えるかもしれません。

寸止め波動砲

自己観察さんの「源泉」の記事も関連

思考停止してる状態というのは、何かを認識する直前の状態です。
例えば「これはパソコンだ」と認識したり、画面の文字とか誰かの顔や言葉を認識したり、普段当たり前にしてることですが、思考で捉える前は、ただのモノだったり音だったりが
ただ在るだけですよね。

つまり、思考停止してるだけのなんでもないような場所が
「物事のすべてを認識する前の場所」です。
そこに意識が在ると、何かを認識することに気づくことができます。
それは目に見えるものだけじゃなく、目に見えない感情とか思考とかも同じです。
そこが源泉だといわれてるところです。

そこから出てきたもの、認識や判別をされた対象(思考や感情)を自分だと思ってるか、
認識や判断をしてることを気づいてる意識の方を自分だとするか、
そのどちらかで現実が大きく変わってくるんですよね。

なのでまずはその意識、源泉に気づくというところを書いてみました。
もちろん思考停止するだけでも、自分をニュートラルに戻すという感じでいいかと思います。
今はよくわからなくても、頭の隅にでも留めておいてくれればあとから腑に落ちたりすると思います。

~~~

大好き・ありがとうに包まれてって良いですね。
心地良い感覚に包まれていれば間違いないですよー。

「源泉から出てくるものを事前に感知する」というのは、源泉から湧き出るに任せた上で気に入らないものが出てきたらそのまま流れ去るのを見送って、気に入るものが出てきたらそのままそこに乗っかって一緒に楽しく流れていけば良いという感じなのです。

自己観察式60 エゴが当たり前に感じる事でも、本当は世界が丸ごと連動してる

「お前誰?」とかもすごくいいね

自分の決め手はエゴをただの反応として、重要視しないようにしたことでした。
こまけぇさんの記事で書かれている、認識の変更編でもエゴはただの鳥の声と同じと書いてあり、自分もエゴがごちゃごちゃ言ってきているときは、

まるで自己観察のような感じでしていました。
そうするとエゴが「自分の心の声」→「たまによく見るコンビニで店員にぶちぎれてる老害」→「イ〇ンで走りまわってうるさいキッズ」→「自分の家で飼っているすごいじゃれてくるペットの犬」ぐらいに不快感が減っていき、3か月ぐらいでこいつは俺じゃないのか、となってからは早かったです。
今はエゴってただの習慣だなと感じている次第です。なので根気よく暇なとき継続していると変わっていくと思うので、

とありきたりなことしか言えなくて申し訳ないです。

【読者様からの嬉しいご報告】~ 認識の変更(?)できました!~

充足がデフォルト

前述のこまけぇさんの記事のコメントであったけど、

充足をデフォルトとする

「願望自体」が、「あきらめている」に近いニュアンスで、どうでもよくなってきてしまったり、素直に実現を望むことができなくなってしまったり。

「無思考」という自愛

ネガティブ感情は、受け入れちゃダメだってことだ。もへじさんのこの記事とか

でもね、最近私が思うのは、

その自愛の在り方自体の、方向が間違っていたってこと。

私はまず、「ダメで、不細工で、無能」な自分を自愛で受け入れようと頑張ってたの。

でも、ここに大きな間違いがあるのね。

まず、そもそも「ダメで、不細工で、無能な自分」は、存在しないんだってことを、知らないといけなかった。

その、「ダメで、不細工で、無能」な自分っていうのは、

エゴが作り上げて、エゴが認識して、エゴがそうだと決めた自分というもの、なんだよね。

で、そのエゴが言っている自分ってのは、すべて真っ赤な嘘なんだよ。

ってことを、しっかり分からないといけない。

私がまず間違えてたのは、

エゴが作り上げた私、ってのを受け入れて認めて許すことが、自愛だと思っていたこと。

そもそも、その自分の評価は嘘っぱちで、そんなダメな自分なんて存在しないのに、

それを自愛と称して「受け入れよう!」「認めよう!」「そんな自分でもいい!」

・・・そうなんだよね。 おかしいんだよね。

ありもしない虚像を、認めるも何も、ないんだからしょうがない。

違和感や拒否反応が起こってもしょうがないよね。

私は自愛を間違って、

「嘘を信じて受け入れましょう」っていうふうに使ってた。

本当にしなきゃいけないのは、

「この自分は、真っ赤な嘘で、偽物で、そんなダメな自分なんて存在しない」

っていうのを受け入れて、信じて、認めなきゃいけなかったのです。

ここ、同じように躓いて失敗している人、いるんじゃないかな?

〘 元祖1式 〙30日目 自愛について – 潜在意識 〘 元祖1式 〙 人生反転実験してます

「全部嘘」でもいいし。

自分の思考がどんな在り方を前提にしているか、思考で気付いていく。思考は止められませんが、その在り方を思考で気付き、在り方を思考で修正していけば、思考の質は変わっていきます。思考の質が変われば、自ずと世界も変わります。まあ、結局は思考というファンタジーが世界を創っているわけです。

全部、思考で突っ切った方がわかりやすい!?|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!

まとめ

「思考は自分ではない」のだけれど、エゴが強いというか、ほんとに、無意識に「するっ」と入り込む。「風邪」みたいなもので、いっかいエゴウィルスを引き込んじゃうと、けっこう長続きしちゃう。「エゴから離れる」こと自体が、困難になってしまう。

エゴにとって最後の砦は、「体調不良」。「睡眠&休息」体が疲れていると、やっぱり、思考もネガティブになりがちだよなぁ。土日にめちゃくちゃ寝て過ごすことで、回復しました。

まぁ、ほんとに、生きていればいろいろあります。自分の中でも、わかりやすい「指針」をまとめたかったので、とりあえず実践

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