「エゴの反応」も自分がつくった。

昨日から、あらためて「エゴに気づく」をやっていたときに、ふと自己観察さんの「わかるでしょ?」って書いてた表現を思い出して、「わかるでしょ」を検索した

要は、不安な思考や「叶ってない」前提の思考のあれこれはぜーんぶ
自分じゃなくてエゴがやってることだから、と自分がエゴではないことを自覚する。
そしてエゴと一体化しないで「幸せな自分(エゴ以外の別の領域の自分)」でいるってことです。

「エゴはちっぽけな存在だな」ってさっき言ってたように、自分はエゴじゃないんですけど、
今までの自分を思い出したらエゴと同化してあれこれ心配してたのがわかるでしょ?

自己観察式 32 頭で理解しないで、理屈なしに幸せ気分に浸ってればいい | ザ・チケット板☆備忘録

そしたら、もう1つ出てきた記事に、これがあって。

エゴも根源から「起きてる現象」なんだよね。
「意図しようとしてるエゴ」が起きてくる、とか
「エゴが考えてるように感じることが起きている」とか

本当の自分は「ただ在る」だけだから。
本当に何も出来ない。そして何をしてもいい。
ここらへんを言語化するのはむずかしいよねw

自己観察式52 本当の自分は「ただ在る」だけ。何も出来ない。でも何をしてもいい | ザ・チケット板☆備忘録

ここが、何か、ブレイクのきっかけになった。

もう一回、最初の自己観察さんの記事を読むと、桑田さんでいう「源泉」的なところが気になって、「絵の具」の表現を思い出して

>感覚としては’さー今から作ろうっと’という感じなのでしょうか?
あの賞を取ろうとか、あの子を彼女にしようとか、
ピンポイントで創造できるものなの?

感覚というか、ある事を創造しようとした瞬間に感じる’印象・感情’を
重視していると言えば重視しています。
良いと感じる(エゴ視点での良い・悪いではなく)絵の具が来るまで待つ感じです。

創ったのものはまず受け入れて、次は別の絵の具で描いてみよう ー桑田さん

ふむふむ、なるほど、と。波動が低くなるようなエゴの声はスルー、ということなんだよな。

この感覚の先に、「自分が世界だ!」につながる

実はもう気づいてた

なんかこの感覚ってどっかで感じたことあるなぁと思ったら、過去記事がほぼまんまだった。

「源泉」もキーワードだよね。

これも記事書いてたけど・・・

源泉=「心の奥の奥」って感じか。

なんというか・・・

「エゴ」の捉え方がよくなかったのかも。「エゴ」というと、なんだかもう一人の人格みたい。「別の領域」が意識としての自分で、「エゴ」が人間としての自分、というか・・・

そうすると、なんだか「情」みたいなものが出てきてしまうので、「エゴ」というより、感情・思考・体感も含めて、「なんか反応がでてきた」というニュアンスのほうが、距離を取りやすいなぁ。

で、源泉から湧き上がってくる「エゴ的反応」の中で、心地いいものだけにフォーカスして、いらないものはスルーする、と。

大好き・ありがとうに包まれてって良いですね。
心地良い感覚に包まれていれば間違いないですよー。

「源泉から出てくるものを事前に感知する」というのは、源泉から湧き出るに任せた上で気に入らないものが出てきたらそのまま流れ去るのを見送って、気に入るものが出てきたらそのままそこに乗っかって一緒に楽しく流れていけば良いという感じなのです。

自己観察式60 エゴが当たり前に感じる事でも、本当は世界が丸ごと連動してる

自己観察さんと同じ結論だけど。

コメント

  1. […] ただの反応。 […]

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