ここ1週間ぐらい、こまけえさんの、特に第二期まわりの記事を読んでいて気になったのをピックアップ
自分の存在自体を疑う
とあるセッションでアドバイスを受け、心がぶれてしまい、その疑問をこの怪しいサイトに書き込んでしまったねこちゃんさん。それって本当にあなたですか?
それは全て思考の自動反応によって行われたものではありませんか? そこに主体性はありましたでしょうか? 振り返ってみると全てねこちゃんという人格(エゴ=個人)によって引き起こされたものではないですか? そしてその人格(記憶)に実態らしきものはありますでしょうか? クローゼットにしまってある…そんなわけないですよね。
つまり本当のあなた(思考を取り除いた意識)はとあるセッションを受けたわけでも、心がぶれたわけでも、コメント欄に書き込んだわけでもないのです。ただねこちゃんという暴走したエゴの行動を見ていた意識そのものだったのです。本来はそうして見ているだけだった意識が没入するあまり自分をねこちゃんだと思い込んでしまっていたに過ぎないのです。ウクライナのゼレンスキー大統領がトランプ大統領に「偽情報の空間に生きている」と批判していましたが、我々もまさにエゴの偽情報の空間に生きていたのです。
我々はその偽情報の空間にのめり込み、それを世界として採用してしまっています。普段の我々は思考に侵されながら主体性のないちっぽけな個人(エゴ)としての生活を送り、その在り方ががそのまま世界になっているのです。それをつぶさに観察するのです。認識の変更とか難しいことを考える必要はありません。リアルタイムでなくても風呂の中で今日一日の思考のありようと現実に対する認識を対比してみて、鏡のように思考が世界に反映されていたこと、世界は全て思考の自作自演だったことをキャッチし、我々本来の主体性を取り戻せばいいのです。
エゴという偽情報空間|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!
今にある=今叶っている
ちょっと流れが違うけど、「既にある」の体感として、すごくわかりやすい説明だなぁと
そして先週、元々何度も読んでいて、一番自分に合う内容がかかれていたこまけえさんのブログを読み、まず自分の立ち位置を叶っている立ち位置にし、内面が真実だというのを、理解しきれていませんでしたが、前提として採用しました。
そこからさらに自分の認識を見つめ続け、いかに自分がただニュートラルあるだけの「現実」に対して自分の認識であれこれ名前や意味づけを無意味にしていたかに気づきました。ニュートラルな現実に気付いてからは、本当に世界が幻というかただの映像のように見え始め、既にすべてあることにも気づき、「今」にあることを重視し続けていたところで更に今回の認識の変更が起こりました。
お風呂に入っているとき、人生は「今」の連続である、という部分に焦点を当てて「今」にあり続けた結果、知識として持っていた「今」や内面の自分には時間の概念がないという言葉がふと頭によぎり、「今まで時間がずっと流れ続けているという認識でいたけど、『今』の連続なのであれば、『時間が流れてる』、という考えも完全に幻想なのではないか、ということは頭の中にある願望は浮かんだ瞬間そりゃ『今』叶ってるよな、実現してるよな」という考えに至り、今まで「そういうもの」、として扱っていたいわゆる願望は、意図した瞬間に既に叶っているということが完全に腑に落ちました。
【読者様からの嬉しいご報告】~今にあり続けた結果、既に叶っていた~|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!
内面のトリガー
例えば夢の中で意中の人とデートをしたとします。その夢の中ではウキウキランランで天にも昇る気持ちです。まさに幸せの絶頂です。その幸せって…内面での充足ですよね? あら、現実の世界では意中の人とデートどころか自室のベッドでいびきを立てながら寝ているにも拘わらず、内面が充足されちゃっているのです。
これはまさに「現実での理想の状況」に頼らなくても内面は充足されるということの証左です。「現実の理想の状況」を頭(内面)の中に描き出し、それをさらに内面の中で味わって充足(幸せ)を感じているのです。それは一貫して内面世界での出来事であり、現実世界はノータッチなのです。
で、この夢の中で味わった「内面の充足」なのですが、これは仮に現実世界で意中の人とデートをした時の「内面の充足」とは何が違うのでしょうか? それに至るまでの過程は違えど、充足自体は違わないですよね? 内面において感じた幸せに差異はありません。つまり「内面の充足」に関してはそのトリガーが現実であれ夢であれ、同じものなのです。そして何かトリガーがあっての内面が充足するという、この方程式も同じです。しかしほとんど双子のように見えるこの「内面の充足」の発生過程ですが、エゴは前者(現実で理想の状況を経験)のみを願望実現と呼び、後者(夢orイメージングでの体験)を妄想と一蹴してしまうのです。
エゴが拘る願望実現の定義|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!
わからないのはエゴだから
前述からの続き記事。自戒をこめて、超・大事。理解を捨てる
エゴちゃんがなぜ現実真理教なのかというところでぶった斬ったのですが、これは何も私が説明するまでもなく、そうです…エゴちゃんに取っては現実世界がこの世の全てだからです。
エゴちゃんは現実しか認知できないため、自ずと理想の状況が物理的に現出することしか願望実現と認めることができません。夢やイメージングといった五感を通過しない充足は門前払いです。しかし逆から見ればこれはつまりエゴちゃんにはこの業界の仕組みが全く理解できないことの証左ということにもなります。エゴちゃんは「自分=世界」や「既に叶っている」などが全く理解できない無垢な存在なのです。
よってエゴちゃんが「既に叶っている」が理解できないと喚いたところでそれは全く正常な反応なのです。エゴちゃんには不足の状態から何かをゲットして充足を得るという時間軸を前提とした流れしか理解できないため、時間の概念がなく既に充足に浸かっているという世界を理解できないのは至極真っ当なことなのです。ですからエゴがちゃんが「わからない」と騒ぎ出しても自分を責めたり落ち込んだりする必要は全くありません。それがこそがエゴちゃんのあるべき姿なんですから。理解できる方がおかしいってもんです。
するとここで「だったらどうすりゃいいの?!」とのエゴちゃんの嘆きが聞こえてきそうですが、過去にも散々申しましたように別に理解がなくても願望は叶いますから。例えば皆さんは電子レンジを使用する際にわざわざ電子レンジを解体してからネットで全ての構造を調べた上で再び組み立て直してからようやく温めボタンを押しますか? そんなことはないですよね? 仕組みがわからくともボタンを押せば中の物は温まるとの認識だけで電子レンジを使いこなしているはずです。そのボタン1つの感覚でいいのです。足の裏にできた魚の目を押せば願うは叶う。これです(ちなみに電子レンジを解体する行為が体感系のメソッドです)。
実践を行い(「既に叶っている」を採用)つつエゴちゃんの思考で仕組みを理解しよう(「既に叶っている」への不信)とするから迷走するのです。アクセルとブレーキを同時に踏んだところで前には進みません。ですから理解しようとする行為をきっぱりと止めてしまうのです。わからくてもいい、むしろわかっている方が異常と割り切る。「なるをしたのに何だか実感が湧かない」…はい、それが普通です。エゴちゃんに実感がなくて当然。そのまま続けて下さい。エゴちゃんの「わからない」という思考で以て実践を止めないでください。「既に叶っている」を否定しないでください。エゴちゃんの「わからない」と「既に叶っている」は両立するんです。
それでもなお「わからないまま踏み出すのが怖い。現実に見えていることしか信じられない」とエゴちゃんは叫んでくるかもしれません。しかし仕組みがわからないにせよ、私たちは現実(風景)とはまた別の世界があることを確かに認識しているはずです。それこそがエゴも含めた内面世界です。
前々回の記事で私は現実であろうが夢であろうが「内面の充足」は同じであると言及しました。現実として見えている世界から隔絶し、時間と場所を問わずに叶った世界を想像するだけで充足が湧いてくるその場所。それってよくよく考えれば不思議ですよね。常日頃から行っている内面での想像作業を私たちは当然のように認識して軽視していますが、現実世界のように五感を通さずとも感じられる世界があること自体、何か神秘的なスピリチュアルの息吹を感じるのには十分ではないでしょうか。
「わからない」と「叶っている」は両立する|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!
諸悪の根源・・・「記憶」
こまけぇさんのこちらの記事がねえ・・・、改めて衝撃だったんだよねえ
「思考を止めるという思考も思考じゃないの、ムキー!」とパニクってしまう方もいるかもですが、そう厳密に捉える必要はありませんし、また思考停止とはエゴの抹消なのですからその逆からのアプローチからでも何ら問題ありません。つまり先に自分(エゴ)を辞めるのです。自分とはすなわち記憶ですから、その自身の属性やら肩書やらの過去という実態がない想念を意識から取り除けばいいのです。そして「願望は叶っていない」というのも記憶であり、その除去もお忘れないように。それらを取り除いた後は過去という幻影からもたらされる不足は介在できなくなるので、嫌でも今という充足にしかいられなくなっていくのです。つまりこの業界では尾崎豊(僕が僕であるため♪)的な生き方はタブーだったというわけです。
思考停止メソッドの本義|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!
いまここに、記憶はない
「記憶」に対して、絶対的な信頼を持っていると、いくら、「ゼロになろう」をやっても、難しいんだよね。
108さんの、知覚を疑う、も近いかもしれない。
まとめ
まとめ始めた当初は「記憶」の話にいたく感銘を受けていたけど・・・そんなことはどうでもよかった。
せっかくまとめたので、公開しちゃうけど、この記事自体はいまとなってはどうでもよく、この記事に載せなかったこまけぇさんの2本の記事が、大本命です。

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