こまけぇさんの完璧認定

すべて完璧な展開

これまで自分のやってきた、イメージング系の願望実現とは

「現実(思考)的には叶っていないけど、気持ち的に叶っているから、叶っている」

という感じだったと思うんだけど、

こまけぇさんの書いてる「自愛」や「完璧認定」は

「現実にも叶ってないし、気持ちも叶ってない、けど、叶っている」

いや、むしろ

「現実にも叶ってない、気持ちも叶ってない、”から”、叶ってる」

ぐらいの勢いの、エゴとしては、到底容認できないような方法。

その理屈だけが、ど~してもわからなかった。

でも、それが、なんとなくわかってきた。

いまの「自分」と思っているものが、不足を感じていたとしても、苦しんでいるとしても、それは、「完璧な自分」が生み出した、エゴとしての自分だから、

そんなエゴの不足の自分が何を考え、感じようと、関係ない。

「不足」を感じている自分に、自由意志はないし、変わる必要がない。

ただの反応。

そんな反応も含めて、すべて完璧な展開なんだ。

不足の世界すら生み出している、という「創造主」としての認識なんだ。

自分が全部創り出しているから、全部愛なんだ。

そして、「今この瞬間」の源泉から生み出されるのは、過去の「不足」を引きずった自分ではなく、全くつながっていない、新しい自分なんだ。

現実をすべて受け入れる

「現実をすべて受け入れる」という言葉に対して、すごく抵抗感があったんだけど、その時点で、なんでも自由に創造できる自分の立場を手放しているってこと。

散々「現実は内面の付属物」って、読んでるつもりなのに、いまだに現実重視だった、ってこと。

「今の現実は、すべて受け入れる」からこそ、好きな現実や自分を創造できる。

桑田さんも同じようなこと書いてたな

イメージングしたり、いい気分になるのは、単にそうしたいからするだけであって、願望実現とは関係ない。

いや、もう、願望っていう言い方も、ちょっと違和感でてきたな~

わざわざ「叶ってない」前提にする必要もないような、

現象化に関係なく、手に入った状態は「ある」んだから。

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