前回記事からの反転
まぁ、昨日もまた、かなり落ち込む出来事があったんだけど、実際昨日は、それ以外はいろいろ「叶った」ということもあり、本来ならとても嬉しくて幸せなはずが、それどころじゃない、と全然喜べなかった。
今日あらためて思ったのは、このブログ開設後、大なり小なり、いろいろ叶ってきて、結局のところ「願望実現」よりも、「自愛」が大切だってこと。そう思うようになった。
基本的に願望は(ほおっておけば)叶うのだから、あとはどれだけ、普段からエゴとしての自分を、心地よくさせていられるか。
それは、願望実現のために、というよりは、「人生の質」をあげるため、といったらいいのか、単純にしあわせを感じるため。
願望叶う叶わない関係なく、エゴが暴れるとしんどい。
願望が叶っても、エゴが大暴れしているときは、全然幸せを感じられない。
エゴに対してのアプローチ
エゴは消す必要はない
結局、前回記事みたいに、「エゴは自分ではない」と、エゴをお粗末に扱っているので、「不足」にエゴが過剰に反応し、「自分を大事にしましょう」みたいな当たり前のことが、すごくつまんなく感じて、「自分のことなんでどうでもいいから、願望実現!」みたいになる。
願望>自分、みたいな状態
ただ、そのときは、結果的に「エゴ」に乗っ取られているので、不足しか見られなくなる。
エゴとしての自分を差し置いて願望実現しようとしても、エゴは「叶っている」を、全力で否定する。
だれの言葉だったっけ、結局エゴは「かまってちゃん」なんだ。
エゴは、願望を叶えないことで、不幸になることで、注目される、愛されると思っているのかもしれないな・・・
やっぱり自分の自愛はコレ
んで、いろいろな自愛があるなかで、やはり自分に効果がある(エゴが落ち着きやすい)のは、「風船自愛」
声かけするような、べたべたした自愛でもないし、自己観察みたいに、冷静な感覚でもない。
「見守っている」っていう感覚がいちばんわかりやすい。
「やさしい神様」の話とか、さきこさんの「View」の話に近いかも。
なんとなくで書き始めた記事だけど、いいこと書いてるかも。
もうちょっと内容整理したいけど、とりあえずこれで。
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