21日目 コントロールエゴへのねぎらい

よくやってきた

今までありがとう

大丈夫だよ

こういうことか?

手放す必要があるのはエゴと一体化してるからです。
エゴの領域から→実現可能な領域に手放す事によって実現させてるわけです。

この方法だとエゴと一体化したままなので叶ったり叶わなかったりします。
本願というものは叶いにくいと思いますし、
方法論による願望実現の限界点だと思ってます。

七章に書いてある部分はその先なんです。
全て叶っていて幸せの絶頂である事を受け入れる。
エゴと手を切り本当の自分に気付くという事になります。

この部分は体感でしか理解できません、
思考(エゴ)の領域外の部分だからです。
それを知覚する為に充足を見るに意味が出てくるんです。

是非そこまで行って欲しいと思います、
チケットには七章のメソッドもあります。
この部分に関しては実践あるのみとしか言えません。

~~

現実が主であなたが従という考えでいる限りは
起こった事に振り回されるだけになります。

結局願望実現の為にやってるから振り回されるんですよ、
自分が主なら従である現実に起こる事に振り回される必要はなくなります。

現実とは関係なく幸せを選択し、
幸せな存在(主)である時に従である現実はそれに従った物になります。
最初からその観点で話してます、だから叶える為にやらないでって
言ってるんですよ。

あなたが現実の従として振るまうなら、現実はずっとあなたを振り回します。
だからそれを立ち切って違うスタンスを取り始めないといけないんです。

従に振り回される存在じゃなくて、
自分で経験を選べる主体にならないと何も変わりません。

今既にある幸せを感じ始める(受け入れる)事が、受け取りを許可する姿勢になる。 | ザ・チケット板☆備忘録

結論としては、「コントロールエゴ」自愛

「自分の声を聞けば、感情は収まる」

 → ぜんぜんできない。むしろ、激化する

ジャッジしている本体

ジャッジしてきた自分をねぎらう

「ジャッジしまくり」

「自信がない」

「ルール作りまくり」

理屈づくり

お兄ちゃんエゴ

責任感

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