全ては自分の「認識」である。

こまけえさんのこちらの記事がきっかけ

「認識なしには、そう在れない」という一文がきっかけで、

自分=世界がわかった、

「意図しても叶わない世界」を認識していたのは、誰だ?って話

おれは・・・馬鹿なのか?と本気で思った。

若干ニュアンスが違うけど、このブログ中の画像はいい

認識している私を認識

で、そのあとで、こまけぇさんの記事を1から読み漁り、補填してった。

で、そこから、もうちょっと理解が進んだ。

この記事もすごくよかった

そして、「エゴ」であろうが「自分=世界」であろうが、また「理想の自分」であろうが、何かを発生源とした思考がそのまま世界に適用されるのです。この思考がエゴという器に収まっていますと、一人の人間という物理的な限界が適用されますので、なかなか世界がダイナミックに動いてくれません。

逆にこれがエゴの束縛から離れますと、それは自分が世界という位置から思考は発せられるわけですから、世界がその思考とダイナミックに連動していきます。「理想の自分」であれば、それに沿った理想の世界が展開されます。

思考の発せられるその立ち位置、在り方が重要なのです。その在り方に気付くのも、形成しているのも、やはり思考なのです。よく達人らが「どんな思考であっても、願望は叶う」「放っておけばいい」と言っているのは、少しリスクのある表現とも感じますが、これも実は「エゴ」を客観視できる「自分=世界」の立ち位置が揺るぎないからこそ、初めて出てくる言葉なのです。

ただ、無理やり思考の上に思考を被せるのではなく、思考をエゴに閉じ込めてしまう無意識の思考のシステムに能動的な思考で気付いていくことです。被せるのではその思考をキャッチできず、無効化されない危険性があります。

ですから、まずはエゴの思考に気付き、認めることです。認めることで在り方を明瞭にし、明瞭にすることで「なんだ、ただの思考じゃん」と虚構と見抜け易くなります。見抜けると肩の荷が下りたようにフッと心が軽くなり、これを心地いいとか、安心の場所だとかいう人もいます。

自分の思考がどんな在り方を前提にしているか、思考で気付いていく。思考は止められませんが、その在り方を思考で気付き、在り方を思考で修正していけば、思考の質は変わっていきます。思考の質が変われば、自ずと世界も変わります。まあ、結局は思考というファンタジーが世界を創っているわけです。

全部、思考で突っ切った方がわかりやすい!?|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!

認識の変更

変えるべき内面は、思考や感情じゃなくて、「認識」

「内面」=「在り方」(立ち位置、前提)=「認識」

「彼女と結婚してる」とかでもいいけど、ざっくり、「幸せ」や「充足」「愛」とでも、認識すればいい。

「認識」(在り方)から生まれるエゴに、自由意志はない。

「認識」に「外側(現実)」も「内面(思考・感情)」もない。

まだそこまでいかないけど、「在り方」と「既にある」は、同じ理解でいいような気がする。

「不足」の思考・感情

感情ナビゲーションと、近い感覚だけど、「不足」がわいてきたときに、消そうとか、スルーしようとか、ダメなんだよね。

「どういう在り方」をしているから、その「不足」がわいてくるのか、元を絶たないといけない。

だから、いつまで自己観察やっても(別の領域に浸っていたとしても)、ダメ。

元の認識が1mmも変わってない。

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