源泉の感覚

こちらの記事にまとめる過程で、大事なところが抜け落ちちゃった。

抜け落ちたというか、「意識(別の領域)」と「充足(源泉)」を分ける、という方向とは別に、こういう見方もあるよ、的なところをまとめておく。

体の不快感

「モヤモヤ」「ソワソワ」といった体の不快感があったときに「この不快感も源泉から生み出されたもの」と意識すると、すごく楽になった。

一方で、「不快感」を「自分が生み出した」と内包することで、結果的に前回の記事と同じように「その反対側」を意識することになる。「すべてを生み出している源泉を向く」という「向き」の話にもつながるし、その反対側の源泉こそ「既にある」の世界であると思う。

そんな、「既にある」という「源泉に集中する」。

愛の源泉の感覚

ハートの奥の一点でありながらも、エゴを含むすべて現象化を包み込んでいる愛のような感覚

というところかな。

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