答え書いてあるじゃん

昨日あれこれ書いてたことは、つまり、こういうことだよね、というのが、この記事読んでわかった。これも以前から何度か読んでいた記事だけどなぁ。

その行動は自分が’している’のではない。’起こっている’だけ。
‘起こっている’のを見ている、経験しているのが本当の自分。
エゴは’何もしない’というより、’何もできない’。
それに気づいている視点は、もはやエゴとは無関係な視点。
全てを傍観する。

それを’やっている’のはあなたではない。’やっている’が起こっているだけ。
それを見ていればいい。

本当の自分は肉体でも精神でもない。
本当の自分は欠乏や不安をもたない。 純粋な意識そのもの。
それに気づけば幸せはすぐそこにある。

自分が幸せであるので、幸せだと感じることが世界で’起こる’。
それをリアルタイムで体験するのも本当の自分だ。
そして私たちはいつも意識としてここに在る。ただ、在る。

分かるだろうか。 自分とは肉体でも感情でも思考でもない。
それら全てを一度に感じている’意識’だ。

それらが’在る’ことを感じている’意識’、それだけが自分だ。

このことを是非自分のなかで突き止めて欲しい。 ‘発信源’に意識を向けて欲しい。

思い出して欲しいのは本当の自分は肉体も感情も持たない’意識’であること。
だから最初から問題も起きていなければ、最初からエゴで言う完璧なんだ。

自分の思い込みに気づけた時点で自分とエゴとを一線引けているわけだ。
最初から何も失っていないし、何も持っていない。

人間が自分自身だと思い込んでいた視点で’お先真っ暗’と思っていたことが
‘このやばい状況を楽しもう’とすることができる視点に変わるんだ。

先程も書いたように、’本当の自分には一切の問題も起きていないから’。
だからそこからは無条件に幸せが選べる。

フィルターを通して’苦しみ’しか選べないと思っていたのが’幸せ’も選べる立場に変わる。
とは言っても、 選ばなくても問題はない。選ぶかどうかは問題ではないからだ。

本当の自分には最初から一切の問題も起きていない ー全てを傍観する : Without the Mind

「内面が主」とういのも、あたり前だよな・・と思えてきた。

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