自分を好きになりたい

自愛、再び。

このタイミングで、再びブログタイトルを「自愛道」に変更

21 :もぎりの名無しさん:2010/09/28(火) 21:05:07 ID:ZtiP1ZR.0

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あ、私はですが、きっとみんなの本当の願望は
「今よりもっと自分を好きになること」ということです。
ほしい彼も、彼女も、お金も、仕事も、全部そのための手段。

それは今ここで叶えることができる。
大元の願望を叶えちゃえよ。って言われていたのだと思ってる。

23 :もぎりの名無しさん:2010/09/28(火) 21:11:31 ID:rDjWgsSw0

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その通りだ。
本当の願望を叶えたら、その為の唯一の手段だと考えていたきみらが
願望だと思っていたものは、ただの純粋な選択肢になる。選べるようになる。

更にいうと
「望んだ物、望まなかった物(素晴らしい方の意味な)全てを受け取っていい私」になるんだよ。
無償の愛を送る事で「条件はなし。きみがどうであろうが。」がつく。

実践あるのみ、だ。

28 :もぎりの名無しさん:2010/09/28(火) 21:41:21 ID:ZtiP1ZR.0

ほっ、よかった。ありがとう。

まだ正直できていない私が言うのもなんだけど、
先に幸せになったほうが絶対にいいというのはわかった。
今もし私の願望が叶ったらそれはそれは幸せだろう。

でもそれはきっと一瞬の(まやかしの)幸せなのだと思う。
まだ渇望感があれば、きっとまた同じことを繰り返すと思うんだよね。

望まなかった物(素晴らしい方の意味な)←これって何ですか?

30 :もぎりの名無しさん:2010/09/28(火) 21:44:02 ID:rDjWgsSw0

うまく言葉に出来ないが、例えばAを望んでAも手に入れたがもっと素晴らしいBも手に入れた。
Bを手にいれるなんて夢にも思わなかった、という感じかな。

33 :もぎりの名無しさん:2010/09/28(火) 21:54:45 ID:rDjWgsSw0

あと不安とかが来た時、またどこかに書いた自分の子供だとする、を応用するとだ。
自分の子供が怯えるようなまだおきてもいない事を言って脅すのか?

不安や恐れは、脅して怖がらせているだけだ。泣くし傷付くからやめろ、だろ?

isa式11 君がどうであれ、君の望む物を受け取っていいし、その価値がある。 | ザ・チケット板☆備忘録

どこが理解できない?解説するぞ。
自分を愛せない自分、そんな自分でも、ま、いっかだ。
ま、いっかと思えない自分も許してやれ。
きみの外側に対する不満や悲しみ、恐怖はきみに対するきみからの訴えなんだよ。

自愛ってどんな自分でも許すに近い。
そんな風に考えてしまう自分も許す、それもできない自分を許す。
動揺している自分も許す。別に掲示板の批判は許さなくていい。
許せない自分は許すんだよ、やってみ。

掲示板の出来事に関わらず、きみが世界に不満を持っている数だけ
自分に対して不満を持っている。それも許してやれ、だ。

自分=世界、現実は内面の投影、全ては同じ事を言っている。
世界や現実、他人に対する不満は、自分から自分への不満だ。

他人や現象に対して無償の愛を送るのはなかなか難しいだろ。出来るならいいが。
あるがままの自分を愛する=別の領域、だ。つまり完璧を採用する、という事だ。

あるがままの自分を愛するという事は、自分のなす事、考えたことを責めるな、
裁くな、ま、いいか、と許す、愛す、そんな自分も認める、
それも出来ない自分も許す、だ。

~~

ズコーだよ。もう一度読んでこい。
相手の存在に翻弄され相手に愛を求めてしまう自分も許すんだよ。
特に相手を許す必要も都合良く解釈してやる必要もない。立ち直る必要もない。無理にな。
ただし傷ついた自分、そんな自分である事は許してやれという意味だ。

あるがままの自分である事を許す事=完璧を採用、なんだよ。

isa式23 あるがままの自分である事を許す事=完璧を採用、なんだよ | ザ・チケット板☆備忘録

どういった願望であれ、その根底には自分を好きになりたいという思いが秘められています。望む世界にいる自分は、自分のことが好きな自分です。現実世界に働きかけてあくせくするより、先に自分のことを好きになれば、望むような世界が展開していきます。自分を好きになるのに条件はいりませんが、普段から自分に愛を向けているなんて人はあまりいないかと思いますので、慣れないうちは上述のように好きな人から愛される自分をイメージするのがいいかと思います。

芸能人との付き合い方指南・シーズン2ー④ ~自分が好き?~|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!!

「願望を叶えたいという根底には自分を好きになりたいという本丸が隠れている。これを「自分=世界」に当てはめれば、「自分(自分のことが好きな自分)=世界(願望が叶った世界)」となる。であるなら、先に自分を好きになってしまえば、世界も実現した現実を見せてくれる」といったものです。

これは自愛の効能を一つの側面から強調したものです。これはこれで自愛の特性を活用した有効なアプローチなのですが、自愛の本質はよりダイナミズミに溢れ、全てのメソッドの短所を補うエバラ黄金のたれのような万能メソッド(在り方?)なのです。

前回の記事でも申し上げましたが、自愛とはとにかく今の自分を許すのです。日常の一挙手一投足を愛でるのです。

普段の生活において我々は思考によって様々な関連付けを行い、そのことで世界の広がりに制限をかけています。関連付けとは具体的には「〇〇であるには〇〇でなければならない」といったことです。メソッドをしている間も、「アファメーション」であれば言葉を呟かなければならない、「今今メソッド」では「今」にあらねばならないと、そこに関連付けが発生してしまいます。

そして、その関連性から逸脱した時、そこから「不足」というものをさらに関連づけるのです。「呟くのをサボってしまった…」「『今』に集中できなかった…」などと消沈し、そこから「これでは願いが叶わない…」と柔道さながらの合わせ技を行い、頼んでもいないのに不足という一本を取りに行くのです。もはや一人乱取り状態で、一人で投げの所作を行い、一人でスッ飛んでいるのです。

自己観察などはその思考の一人乱取りに気付くことで、不足を受け流すものですが、やはりそこに気付くという行為がある以上、それに対しての出来不出来が発生してきます。「思考に飲み込まれてしまった…」と不出来であれば、やはりそこも不足の温床となってしまいます。

つまり、どういったメソッドであれ、在り方であれ、不足は忌避の対象なのです

しかし、自愛はそうではありません。

思考や不足さえも肯定し、許して受け入れてしまうのです。思考と対峙するという図式そのものを消滅させるのです。自愛さんは実にダイナミックです。

「呟くのをサボってしまった…」なんぼでもサボったらええやん。「『今』に集中できなかった…」でも…それって素敵やん。「思考に飲み込まれてしまった…」飲み込まれたん? これで願い事叶うやん。

もうメチャクチャです。自愛とは言い換えれば「コミュ障メソッド」とも言えるかもしれません。エゴ(思考など)がいかに不足で討論を挑んでこようが、とにかく受け入れ、肯定していくので議論になりません。思考や不足でさえも肯定することで、逆に関連付けを消滅させ、エゴをいかに対処していくのかという潜在意識のテーマすらも破壊してしまう、恐るべきデストロイヤーなのです。

と、同時にいかに今の今まで自分が無意識に自分を責め続けていたのかを実感することができます。そして、その責めていた過去すらも肯定します。肯定とは完璧認定とも言えます。どんなに不完全でも不足まみれでも、「オーッケーイ!」と解説者・古田並みに、決してそれは間違えではなかったと受け入れ、肯定していくのです。続けていけば、無防備になります。メソッドやら不足やら潜在意識やら、そういった重い具足は既に周りに転がっているはずです。無防備とは何に対してかと言いますと、充足です。無防備ですから充足という熱風を肌で体感することができるのです。今のままで完璧だと、今のままで叶えていいんだと(叶っている)とわかります。いや、元々そうであったと。

デストロイヤー「自愛」さん!!|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!

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