「自分=世界」の実践

「真実の自分」=「意識」

「本当の自分」というと、なんかエゴが入り込みがちなので、「真実の自分」といったほうがいいと思うんだけど、自分とは「意識」である、と。

エゴから距離を置けているこの「意識」の状態こそが、

・何よりの「基礎」

・絶対的な「ベース」

全部が自分の認識である、と。

・意識=完璧

自分=世界=いま

「いま」には思考がない。

「いま」にいない = 思考の世界にいる(エゴの世界・過去にいる)

「分離している」ことに気づく

思考に自分を重ねていると、世界から分離してしまう。

絶対的な安心感は意識でしか感じられない

・エゴの領域では安心することができない

・エゴの安心は、「心配してたほうが安心」と思考しまくっている。思考で脳内を埋め尽くすことによって、不安を感じないようにさせている

・思考に意味はない

・「自動」で「勝手」に判断しているモノから離れる。

エゴまみれになってるときのおすすめ

・紙に書きなぐる

・ゆったりとした呼吸

自分が望んでることに反することをつい考えてムカついたり悲しくなったりしたときに、
それが「自分が望んでいないものと一体になって不安になってるんだ」ということに気づく、ということが大切だということなんです。

つまり「不安になってるなー」と気づいたとき、思考が入ってるのはいいんです。
そこで、自分がエゴと一体になっていたことに気づいた上で、
『この思考、この不安は自分が望んでいるものとは違う、
自分はこの不安を選ぶ必要はない。自分は望む現実、幸せを選べるんだ。』という意識になって、

『ああ、自分はエゴと一緒に不安になる必要はなかったな。』
という安心の立場にいられるんです。そこがエゴとは「別の領域」です。

自己観察式 37 別の領域を感じ、現実を選べる立場にいるという事を意識する | ザ・チケット板☆備忘録

慣れ

自分が無くなれば、よく世界の全てが自分になるなんて言いますよね。「好きな人も嫌いな人も自分だった」なんて。皆さんもおそらくロジックでは理解できると思うんです。「主観が消滅すれば、対象を持てなくなるわけだから、そりゃそうなるだろう」と。でも体感ができない。機関車トーマスが自分自身だとはとても思えない。でも、これって私の個人的見解では、ただの慣れの問題です。

ずっと今まで一人の人間目線で生きてきましたから、世界に対して分離するようなバイアスが強くかかっているだけなんです。つまりそれを徐々に緩めていく、つまり上に書いた自分という意識を遠ざけた状態に長くいることで、あら不思議。あの人もこの人も、トーマスも自分という感覚を取り戻すことができます。というか、なんでそんなに進んで自ら分離してたんだとなります(エゴは分離してた方が快感や達成感があるので)。決してスピの才能とかじゃなく、継続、慣れなんですね。

急に認識が変わったなんて人もおそらく、この自己観察や今にあることで一日における自分を辞めている時間がある程度の水準を超えたから(割合はわかりません)、認識が転換したんじゃなかろうかというのが、私の見解です。

認識の変更はただの慣れ説|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!

Without mindさんとこのよきまとめ

参考リンクがいっぱいあって、良きです。

潜在意識にはすべてがあるが、意思決定は顕在意識の仕事、と言われてると思う。
‘どうすればいいんだ?’という思考の方向性だと、
潜在意識の中に存在する、潜在的な可能性が’どうすれば~’というループしてしまう。
だから’楽しもう!’と顕在意識が決定して、
楽しい方向に気持ちを向ければその方向に現実が展開する。
潜在意識では、世界は内面の投影ということが前提だと思うのでそうなるしかない。

それと、’楽しもう’と決めることは、’今’に強力に焦点を合わせることになる。
‘今に在る’ということは、不要な観念とか抵抗が関係なくなる。
(これらは過去に関連するものだから)
最も願望が叶いやすいメンタリティでもある。

‘楽しもう’とするのに、何かの根拠とか’どうすれば楽しめるか’とかそういったものも不要
そんなのは一切すっ飛ばして、たった今、楽しむと決めればいい。
顕在意識で出来ることのなかで最良のこと。
シンプルなことだから逆に難しく考えすぎるのかもしれないが。

‘私=世界’として、最大限に’全体’に近い視点で’人生を楽しむ’ : Without the Mind
タイトルとURLをコピーしました