気づきからの大号泣
ブログをアップした後で、
「自己観察すら条件付けになっていた」という気づきがあり、ほんとに「チケットそのもの」なんだと思えた。
もう家に帰る前の車の中から、涙止まんなくなってきて(それでも、夕ご飯は買っていこうと思って、涙こらえてコンビニ寄ったけど)
で、帰って、わけもわからず過去最高ぐらいに大号泣。
自分に対して、「ごめんね、ごめんね」という思いと、これまでの苦しくてたまらなかった
これが最後のブロックなのか
しかし・・
意識を抜く
昨日ほとんど寝れなかったので、今日は早く休もうと思ったら、それでも、寝れない。
ここ数日、いろいろあって、身体も心も疲れているのに、だからこそ寝れない。
もう、まじでほんとに困り果ててた
2時間ぐらいたったころかな、ふと「意識を抜く」って言葉が浮かんできて
「意識」の焦点を、自分の身体(というか、頭)から少し外すようにしたら、
(額の斜め上、数十センチに意識あるイメージ)
すこし、うとうとしてきて、
これが、本来の別の領域の感覚か・・なんて思っていたら、
そのあとは、わりとぐっすり寝られた。
翌朝
朝も自然がきれいに見える。ああ、こういうことだったのか、と思った。
これまでもなんどか、こういう状況にはなったな。
ぼんやりと、感覚を整理してみる。
感覚として近いのは、
「自分をやめる」
自分のブログで書いてた、「意識の切替方法」ってやつ
へんな例えだが、頭にストッキングをかぶって、スーッと抜いていくような感覚。
その時に、
自分がいない
自分=世界
メソッドとしては、
「思考を止める以外の思考を無視する」
自己観察でも、自愛でも、突破できなかった
自分が自己観察をしていた位置よりも、もっと外側。もっと客観的
自愛をしていたよりも、もっと客観的。もっと離れている感じ
そういや、自己観察さんも、ちょっと離れてみる、みたいなことを言ってたか。
で、その後も、いろいろと記事を見返したり、思いついたことを書き留めたり。
「愛」と「愛情」は違う
「愛」と「愛情」は違うんだなぁ・・
まさにこの記事
本当に愛するってことは「存在することをただ認める、許す」ということです。
もう何もしないということです。
「それでもいいよ」ってことです。感情も存在です。エゴも存在です。
「勝手にしやがれ」ってことです。全部オーケーだよ、と。
これがリリースです。そして7章です。さっき読み直して分かりました。
意味が分からない方もいらっしゃるかもしれません。
あらゆるものを握り締め、塞き止めていたのは自分だったということに気付くと思います。自由になります。何も関係ないんですから。
自分がどう考えどう感じどう行動しようが、何も関係ないんです。
全て許されているんです。自分で決めていいんです。何も関係ないんです。愛に限界はないですから。
q1RQB5MM0氏:108式成功体験談・その2スレの255~263 | 潜在意識の達人語録
「自分を愛してほしい」が本当の願望
だけど、「愛情」じゃなかった
ハイヤーセルフ
「大泣きしているとき、どこか冷静な自分いたな」と思って思い出したのが、心理学講座やってたときの、先生のハイヤーマインドの解説。
「すんごく静かで、(白けているほどに静かで)冷めている自分」
「頭の、後頭部のほうへ意識を向けたときの感覚」
ああ、そうそう、そんな感じ、と思って。
今回の自分の感覚とは違うけど、
「下腹のあたりを内視鏡で探っていていったときの、真っ暗な宇宙のようなスペース」
「そこはものすごく静かで、音が本当になくて、しかも時が流れている感覚さえありません。」
すごいわかる気がする。。
ギアを上げる
意識を抜いても、まだネガティブがひっかかるような場合は、もっと上に上に意識を持っていく。まるで、ギアを上にあげるように。
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