ここ2週間ぐらい右往左往した履歴。
自分=世界、再び
何十回目かわからないけど、また「自分=世界」ブームが来てた。きっかけは、苦悩というか、理不尽さというか、なんだか、いいところまでいって手のひら返しみたいなイベントが続いて、・・・「あれ、この世界なんか、バグってない?」みたいなところから、かえって、意識の強い影響を信じるようになったかもしれない
愚痴を言わない
その少し前から、他人の愚痴や悪口をいう=エゴと一体化、しているということだと思った。そういうところで、ガッツリエゴと一体化しておきながら、「願望」に関しては「私はエゴではないですよ^^」っていったって、それは徹底できてないよな~って。まぁ、愚痴をいいたくなるのはしょうがないんだけど、そのときに、(エゴと一体化しているな)という認識はとても重要だとおもった。
他人はいない
そんな経緯もあって、今回最も大事な気づきが「他人はいない」ってことだよなぁ・・・
あたまクソ悪い社長も、薄っぺらい〇〇も、情緒不安定な〇●ちゃんも、全部、自分の一部。そして、そんな周囲に振り回されれているエゴも、自分の一部・・・なんでこんな状況をわざわざ作り出してるんだ、ってとこだよね。
映し出している意識もなく、エゴの反応をそのまま真実として再取り込みしている、というところか。。
偽のまとめ
内容的にはエリックさんが刺さるけど、「自分はスクリーン」「自分は意識」ってよりも、昔ながらの「映写機」のたとえがいちばんしっくりくるかなぁ。桑田さんや、自我幻マンもまとめを読み返してた。
いままでのテンプレ、「自分=世界」をやっているとエゴが発狂する、の「発狂するエゴ」を、自分自身が映し出している、と距離をおけるようになったことで、深まった気がする。まぁエゴとしては、連日これでもかというぐらいに不快な現象化しているけど、そこで「うわ、また最悪な現象化だ!やっぱり、【意識】なんて信用してるからこうなるんだ!」ってエゴのコントロールが始まるのを、なんとかスルー出来ているかも
で、反転(笑)
・・・なんてノリで書いてたわけですよ。
そしたらやっぱり、久々にめちゃくちゃネガティブな精神状態になって、やっぱり「絶対、自分=意識なんて方向には行かせない」って強烈な意図が働いている気がする。
自分=意識として過ごそうとすると、ぜったいエゴが反逆する(=現実的に、嫌な事ばっかり起こってくる)ってとこはあるんだよね。 ある程度、エゴが生き生きしていたほうがいい、って感じなんだけど
でも、もう無理だろう・・これ、って。こんな、一部の隙も見せずに、意識の状態を保つ、エゴと自分は違う、ということを認識し続ける、そんな針の孔を通すようなコントールをしようとすること自体が、そもそもできないことをやろうとしてたんじゃないか、って。
だってもうやり尽くした。
なんかもう、幸せでいいんじゃないか
そういえば、7章ってそんな結論だったよな、って。
新・振動数理論
で、エゴの大型台風が過ぎ去った後で、少し冷静に考えていたんだけど、やっぱり、前記事のような「日々できる行動」、「エゴ的に対応できる日々のクオリティアップ」と、「自分=世界」的なニュアンスの「バランスが大事だ」、という記事を書こうと思ってた。
幻想なんだとしても、生きている以上「身体のメンテナンス」とかも大事だよね、って。
意識とエゴのハイブリッド型ね・・・でもそれはそれで、いままで以上に、すごくコントロールが必要な感じはしていたけど。
そんな中、たまたま目にした掲示板の書き込みが刺さった。
自分なりに説明しますと、今の自分の状態(見た目、やることなすことすべて)が自分の願望を叶えるに相応しいと認める。
ただこれだけです。
これが今までのアファメーションやなる、と違うのは、今のあなたの状態こそが相応しいと認めるところです。
アファメーションで、例えば自分は太ってるのに細い、とか唱えてもどこかで葛藤が生まれてわたしはうまく行きませんでした。
ただ、わたしは自尊心を取り戻すために潜在意識を活用したかったのでわざわざ痩せてる必要は無かったんです。そこで太ってるのになかなか痩せないわたしってなんて素晴らしくて健康で強いんだろう、と唱えました。
すると何の違和感もありません。わたしはたしかに痩せてはいませんが、痩せていない自分の素晴らしさに気づきました。それで自尊心を保った自分になることもできました。
とにかくわたしはそれを自分の全ての状態に対して唱えました。わたしはお金がない引きこもりなのに路頭にも迷っていない。わたしはなんて素晴らしいんだろう!と。これだと、事実お金はないですがそれが素晴らしいと思えました。
以前までわたしは自分は大金を持ってる。と唱えていましたが、それは明らかに嘘なのでなんの効果もありませんでした。でも今回は気分がとても晴れたんです。
こんな具合で、わたしは自分のすべての特徴に対して嘘をつかずありのままの素晴らしさを認めることで、自然に自尊心ある自分へと認識変更できました。
すると、楽しいフランス旅行の間に主にわたしを心理的虐待した母と祖母からいままでの人生で初めて心から謝られたんです。むせび泣きながら。
今まで本当にあなたの気持ちを考えず、好きなことをなにもさせてやらなかったし、母の離婚のストレスであなたに当たってしまっていた。
本当に反省してるので許してください、と。
これからはあなたのためにだけ生きると、母に言われました。
わたしのことを子供時代からうざい、俗物だ、価値がないとか言い続けてきた母からのこの言葉には本当にびっくりしましたし、やっと報われたと思いました。そして帰国後、さきほど少し述べましたがバイナリーオプション関連で以前詐欺に遭って19万ほどカードで払ってしまっていたのですが、その請求をカード会社に異議申し立てして返金申請していたのが認められ、無事返金されたんです。
認識の変更のみを目指すスレ5 – 潜在意識ちゃんねる – したらば掲示板
消費者センターに相談した時にはその例だと返金されないかもしれないと言われて絶望していたのですが、とことん自分の事を認めていたら忘れた頃に返ってきました。
ちなみに、自分の今の状態そのままで素晴らしいと認めまくって一週間しない間に起きた事です。びっくりしています。
やっと、なる がわかった気がします。
自分は「アファ」メインではないので、今の自分を肯定する、って要素はあまりないんだけど、いちばん大事な認識変更は「私はすばらしい」だと思ったんだよね
私はすばらしい
要は、「自分がすばらしい存在だ」って認識が刷り込まれるから、前回記事みたいな、自分のための環境整備っていう、実際の行動も無理なく進むようになる。振動数が高い/低い、も、その延長線上の話かと。
セルフイメージ、だよね
立場的には、この「登山家」さんが近いけど
ただ、「自分を愛そう」も素晴らしいけど、そうじゃなくて、「自分は素晴らしい」「自分は愛されるに値する存在」って認識が先、だから、自分を「愛する」っていう現象化が起きるわけで、その結果、なんだか世界にも「すばらしい自分の現象化」がしているようにみえるってことだね。
結局、願望、というか、現象化に振り回されてしまっているんだよなぁ。「自分」よりも「願望」「現象化」のほうが上になってしまっている状態。
108さんのような「既にある」系の話ばっかり読んでると、その「当たり前の大前提」を見逃してしまいがちかも。そこにさらに「自分はいない」系のニュアンスまで加わってしまうと、さらに「自分」を薄めてしまうから、例によって爆発・・・
「エゴを大事にしないから、エゴが暴れる」、ってことを痛感した
まぁ、エゴの爆発というよりも、そっち(悟り)にいくな、という意識のブレーキ、っていったほうがよいかもしれないけど。
「実像」とかの理論も大事だけど、こういう実体験の感覚って大事だと思う。
ダメなパターンの自愛
ただ、「私はすばらしい」は、自愛とはまた違うんだよね。もっとたんたんとした、「設定」って感じ。
「自分を愛する」がうまくはまらないのは、「ダメな自分」を愛そうとするから。「ダメな自分」、という認識自体が間違っている。
おなじように、「何もしなくていい」「このままでいい」だと、「現状維持」的な感じになっちゃう人、いると思う。いわゆる、ひなたぼっこ状態。
あと、「今の自分で完璧」、とか。「完璧」ってことばは、個人的にはいまいちだなぁ。ネガティブが起こっても、「これも完璧な流れの中だから・・・^^;」って我慢しちゃうところがある。
「安心・安全・ここちよさ」の別の領域に浸っていても、過去の自分のように、
「願望も叶わなくたってかまわない^^」→ ほんとに願望かなわない現実 → (泣)
ってなること請け合い。
執着とか、受け取り許可とか
執着を外す、じゃないよなぁ。
執着を外すっていうのは、「何か特定の願望(執着)」が、「叶わなくていい」ってすることではなくて、
「叶って当たり前」って認識に変わるのが、本当の執着の外し方だよなぁ
あと、よくある「受け取り許可」
これも、その大前提として「すばらしい私」が足りていないと思った。これまでも、何度も何度も「受け取る許可」を出してきたつもりだけど、自分自身を「すばらしい存在」と定義していないから、どこか制限がかかっていたような気がする。
だから、 繰り返すけど、一番大事な認識変更は、「私はすばらしい」だったんだ、と思う
自分=世界の理論で、「エゴを手放す」とか「何かしようとするのはエゴ」って、分離を進めていたけど、「エゴが幻想、嘘の存在だ」ってなると、結果的に、エゴとしての自分の価値を著しく下げることにもつながっていたね。そうして、エゴを大事にしないから、余計にエゴが暴れる。
ただ、自分=エゴの状態のまま、「私はすばらしい」ってやっても、むなしさが溢れるだけかもしれないけど、「自分=世界」の立ち位置から、「私はすばらしい」とやるから、「効く」んだと思う
イメージングとの関係
イメージングによって「既にある」が実感できるからイメージングにより、自分自身のすばらしさに切り替わるから実現する、「最高の彼女に愛されている自分」をイメージしているうちに「最高な自分」のセルフイメージがしみついて、実現した、みたいな。
お金についても同じで、それを手に入れるにふさわしい、自分自身だから、手に入る、ってわけで、そのあたり、「まず自分が変わるから、現象が変わる」って意味で、「宝くじで一攫千金!」とはまた違うような気がする。
ほんとのまとめ
今回は「叶っている」という内面よりも、「セルフイメージ」が最重要、ってまとめにもなっちゃうんだけど、セルフイメージ、であまり記事を書いてなくて、今日の話は、1年半前ぐらいの記事のアップデート、って感じだったな。
「私は素晴らしい」は、「器」の話といってもいいかもしれない。
だいぶ叶うようになってきたけど、何かまだ「壁」があるように感じている人がいたら、突破口になるかも・・・主に自分。
「自分が普段どういう意識でいて、どういう現象が起こっているのか」がすべてで、もうあんまり達人を信用しない(笑)。少なくとも、言葉を鵜呑みにしない。
「目覚めろ。ニューヨーク!」って感じ

コメント
こんばんは、記事を見て私のエゴがモヤモヤとするのでコメントさせていただきます。自分の考えのまとめも含め書き込み失礼します。
>「自分を愛する」がうまくはまらないのは、「ダメな自分」を愛そうとするから。「ダメな自分」、という認識自体が間違っている。
↓
ジャッジしてはダメだと言われてますが、これは自愛的には合っていると思います。ダメな自分を否定するから、ダメな自分を肯定させる現実が目の前に現れてくるのではないですか?『愛する』というのが違和感があるから、なかなかできないのではないでしょうか?『愛する』を『許す』に変えてみるのはどうでしょうか?
ダメな自分を『許す』
ダメな自分を許せない自分も『許す』
許せないとそう思う自分も『許す』
ひたすらに『許す』
>「何もしなくていい」
↓
これは既に願望実現しているので、願望を達成させようと思考、行動を『する事を止める』という事
>「このままでいい」
↓
自愛的には、今この瞬間何を考えてもいい、何をしていようと自分は完璧だし、自分に愛されている(許されている)ということ。イライラしていようと不快であろうと不安であろうと問題があろうと、私は完璧だし愛されている(許されている)から安心して良い。今この瞬間の自分を丸ごと愛する(許す)。
もう1つの考え方としては、『現実は本当の自分が選んだ完璧な結果だ』と受け入れる。完璧な結果なので変える必要がない、このままで良い。別の言い方をすると、『叶っている自分』だから何が起きようが起きまいが『叶っている世界』での現象として受け入れる。
何もしなくていい、このままでいい、は『既にある』が前提の考え方です。
>「願望も叶わなくたってかまわない^^」→ ほんとに願望かなわない現実 → (泣)
↓
本当に願望が叶わない現実と思っているのはエゴではありませんか?エゴは不安や問題をでっち上げるのが仕事です。願望を叶えるのは別の領域です。エゴに叶える力はないです。
>受け取り許可
↓
『素晴らしい私』と認定して、観念や罪悪感があっても受け取りできますか?あの掲示板の方は『今の自分の状態が自分の願望を叶えるに相応しいと認める』と自分で覚悟を決めたから叶えられたのだと思います。ハンターハンターの制約と誓約です。
なので以前もチケット7章の言葉を出しましたが『例え私の内面や外面がどうあろうと、私は幸せであって構わない』これを私は採用してます。
>「エゴを手放す」とか「何かしようとするのはエゴ」って、分離を進めていたけど、
↓
分離は進めてはいけません。『分離』というのはエゴの属性です。チケット1章に書いてありますが、エゴは『個別に分離した存在であり安全から切り離されている』と言われてます。するなら分離ではなく統合です。isaさんは分離は無かったと言っています。
あとisaさんの自愛についてまとめてみたのでこれも読んでみてください。
自愛とは、別の領域を自分=全てに採用しているということ。だから別の領域に属するしっくりする言葉なら何でも良い。別の領域に属する言葉は、無償の愛(許容、許しも含む)、完璧、完全、既にある、自由、充足、無限、永遠、一体、感謝、など。この属性を自分=全てに与える。私は完璧だ、と認定さるのも自愛。
自愛は自分に向かってするもの、対自分。対現象、対世界ではない。自分を裁かない。
自愛は別の領域の見解を全面採用すること。
欲するは分離。完璧な属性で似た言葉は『選ぶ』既に在るという事が大前提。
他人があなたを理不尽に扱うように見えるのであれば、自分自身が自分を理不尽に扱っている。でも全部許してあげる。他人からの愛を渇望する自分を許す。愛を感じられず落ち込む自分を許す。それでもいいんだよ、まぁいっか、と許す。どんな感情が出ても許して、それを感じて、快になろうが不快になろうが自分を許す。不安、悲しみ、痛み、恐怖などネガティブを身体から出すには、息を吐き切る、その後口角を上げて微笑んでいると波動が上昇する。呼吸と心は繋がっている。
このままの自分を愛する。と呟くだけで少し楽になる。今の自分を否定するから苦しくなる。願いがあるってことは今の自分が嫌だから。でも嫌だという気持ちのままいると、嫌だという気持ちがそのまま現実に返ってくる。それを断ち切るために今ここにいる自分を愛する。そうすれば愛する状況、理由、原因が後から作られる。そのために今の自分を丸ごと愛する。
自愛とは、今この瞬間何を考えてもいい、何をしていようと自分は完璧だし、自分に愛されているということ。イライラしていようと不快であろうと、私は完璧だし愛されているから安心して良い。今この瞬間の自分を丸ごと愛する。
君は君自身にしていることを誰かからされていないか?全ての欲求を流さないで自分に向けられている、と思い向かい合う。
参考
https://be-okay.net/2018/06/14/isa-49/
追伸
私は素晴らしいを推したいのであれば、潜在意識まとめに出てくる500さんが参考になるかも
ぽっぽさん
ご無沙汰しています。
コメントありがとうございます。
ぽっぽさんが書き込んでくれた認識で、ぽっぽさんにとっての嬉しい現象化や幸せな日々が続いているのであれば、それはとてもすばらしいことだと思います。
ただ、自分は、いくら達人の理論を突き詰めたところで、思ったような結果は出ませんでした。
また次の記事で書いているところですが、今の自分はもう、「外部の達人が過去にどう言っていたか?」ではなく、「いまの自分の現実にどういう結果が出たか?」を重要視しています。
isaさんの文章も10年以上、記事は暗記するぐらい読み込んでいますが、「自分をまるごと愛する、許す」をやっていた時期よりも、いまの自分のほうが、確実に周囲に愛されているなぁという実感があります。そういう思考から離れたほうが、うまくいっているという感じです。コントロールしすぎだったのでしょうね
みなさんそれぞれのやり方で、いい感じの人生になればよいなぁと思います。
tonpeiさんお返事ありがとうございます。独自の道を進まれるということですね、凄いです。自分はできなかったので先人の知恵を借りまくりです。
それぞれのやり方。そうですね、自分に引き寄せの法則で何を適用させるか、映写機の映像を見るのか、投影元になるのか、どうやって自分を満たせるようになるか、人それぞれですね。