7章4日目 シンプルに

まぁまぁまぁ、よくもまぁ、エゴが抵抗してくれたもんだが、

「望まない現実」を自分自身で「確定させている」と気づけた瞬間があって、

そこから、備忘録を(なぜか)「決定している」で検索したら、シンプルな自己観察の記事にたどり着いた

「やめたいんだけど」と思う必要ないよ。だって自然に沸いてくるものは止められないし。
蓋っていうのは「やめよう」とするから蓋になるんであって「沸いてくる思考を眺めている意識」の方が
自分だと気づいてれば、思考が何を言っていようと「何いってんだw」って感じでどーでもよくなるよ。

そもそも「やめたいんだけど」と思ってしまうのは、その思考に力を与えてるからだよ。
自分のものだと思ってるから「こんなこと考えたらだめだ。やめなきゃ。」ってなる。

例えば、今目の前にコップとかペンとかPCとか何か「あなたの物」があると思うけど、
「それは自分のもの」でしかないわけだけど、もし誰かが「それ君のものじゃないよ」って
どんなに大声で喚いてたって、何言ってんのー?ってどうでもいいでしょ?

むきになって「自分のものだー!」って相手を黙らせようとするより、知らん振りしてたほうが楽でしょ。

それと同じで、どんな思考が沸いてきても、それは自分じゃないってことに気づけば、
「やめよう」とする必要が無いことがわかってくるよ。
つまり「無いが前提の思考」っていうのは本当の自分じゃない外野の声なんだけど、
それを自分のものだと思い込んでるから苦しいだけ。

で「眺めてる意識」が自分なんだと気づくために、
まずその沸いてくる「無いが前提の思考」のあれこれをよーく観てみたらいいと思うよ。

自己観察式 26 「意図」と「意図を取り下げる思考」について

マトリックスも見たし、もう迷わない

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