思考自体は、だいぶスルーできるようになって、そもそも、あまり浮かばなくなってきている。
これまで、ずっときつかったのが、不安と被害妄想
不安に備えて、被害妄想する
不安だから、思考する
そんなパターンの繰り返しだった
何もしない
「何もしないでも、愛されていい」
何もしないで、愛されていい
そのために、ほんとうに何もしない、というのは重要だと思う
自分が存在していない
思考を止めて、別の領域のあたたかさに触れていれば、「自分が存在していない」という感覚もつかめてくる気がしている。
→不安もさみしさも、エゴ
気になってはいたけど、なかなか受け取れなかったisaさんの「分離への罪悪感」がわかってきた気がする。
別の領域の属性は愛。一体。完璧、だ。
そこから分離してしまったと思い込んでいる為に罪悪感が生じた。愛、一体、完璧、が、欠けた。と思い込み自分を恥じた。
だからそれを埋めようと、つまりもとに戻ろうと渇望する。ジタバタ暴れるわけだ。
もともと分離などしていないのだから、罪悪感も幻想だ。渇望も、苦しみも、不安も、完璧に戻れないかもしれない、という恐怖から生まれる。
しかし、分離などしていない。勘違いだ。だから苦しみはすべて幻想。
別の領域と分離したという被害妄想にとりつかれているんだよ。当たり前のことだよ、きみは大切にされて当たり前の存在だから
isa式12 不完全だという事への罪悪感。それ自体が幻想
好きな人に投影する、母の面影。
母=別の領域なのかもしれないな。
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