ここ連日、また調子が悪く、「体で感情を感じる」をやっていたのだけど、どうもすっきりしない。今日、ブレインダンプしていたら、やっぱりここ連日「思考まみれ」になっていたなぁと思った。
思考まみれ=エゴまみれで苦しいの自分がいたときに、そんな自分を突き放して「観察対象」とするか、あるいは、「癒されていない感情がある」と、自愛的な方向で行くか、どっちがいいのかな、とよく考えます。
基本的には、自愛的な方向、ただ、声をかける、というような方向ではなく、体で感じていくほうが、自分には合っていると感じているんだけど
だからといって、「自分は癒されていない人」と認定してしまうと、次から次へと、癒されるための出来事をひっぱってくるのも確かなので、癒し的な方向も、ほどほどにしておきたいなーと思ったりしてます。
「思考は自分のものではない」という言葉をふと思い出して検索して出てきたページ
この事実から学べることは、「思考」は“私のもの”じゃないんだから、いつでも簡単に手放せる、ということ♪
好きではない思考ならなおさらなこと。自分のものだと思うと、貴重で、価値がある大切なものだと思って手放すことに抵抗をもつけれど(どれほどそれがストレスや痛みを与え、災害や苦悩を招いているとしても!!)、自分の所有物ではないとわかれば、完全に捨て去っても大丈夫だとわかりますね。
前々回も書いたように、人が思考しているときは、ものすごいエネルギーを消耗しているので、体も心も疲弊し、直観力も鈍るし、創造力も働かないし、決して生きやすい人生を送れるわけではありません。
思考は自分の中から湧きおこってくるものではない
一番やっかいなのが、無意識に思考(が生みだす身勝手なストーリー)に囚われ続けること。
意識的に「思考」し、どんな思いを持っているのかに気づいていれば別に問題ないんです。
思考しないと、ブログも書けないし。。。
まるでテロップが流れていくように、自分の中を思考が通過していくのをただ眺めていけるようにトレーニングしていくようにすることが大事なようです。
久しぶりに、manaさんの本でも読んでみるか
コメント