完璧な映写機

癒しとは?

潜在意識の活用にあたって、「自愛」よりももっと一歩踏み込んだ、心理学的な「癒し」や「インナーチャイルド」の扱いが必要なのか否か、ずっと考えてきて。

達人さんの例に習えば「いらない」が正解だと思うんだけど、それでも、どうしても、現状が変わらないのであれば、一歩踏み込んでそういう取り組みをせざるを得ない。

・・まぁ、手段は選ばず、その流れすら「完璧」の一環でいいわけだけど。

テーマは、「自分と自分の和解」というような感じで。思考の書き出しをやっていたら、なんか、ほんとにエゴがおとなしくなってきた。

完璧な映写機

ただ、同時にやっていたことがあるので、癒しの影響ではないのかも?とも思う。

桑田さんの「映写機」の話を読むと、どうしても「エゴ」が、映写機のフィルムを書き換えられる、というようになってしまいがちなんだけど(コントロールしたくなる)、それはあくまで、現実に「不足」があると認識した上で「充足」を経験しようとしていることになるので、うまくいかないのかなぁ、と。

そうではなく、そもそも「エゴのストーリー」は自動再生なので、そのすでに放映されているエゴのストーリーを変えようとするのではなくて、もうすでに「完璧」というフィルムが内部にあるので、その「完璧」を見るのだ、と。

それは言い換えると、自分の中の「愛」を見る、という表現にもなるし、108さんの「向き」の話でもある。

単純に「神の完璧をみる」も同じことなんだろう、と。

その新解釈に、最初は抵抗感があったんだけど、だんだんそっちのほうがしっくりくる気がしてきた。

実際、自分のエゴも静まり返ってきてるし。。大好きな彼女への執着も、不安になるほど薄れてきた。

もうエゴの世界では何をやってもダメ

だって、全部不足スタートだから。

デバッグだったっけ?インプットが間違っていたら、アウトプットは全部間違いになる。

そのぐらい割り切ってもいいような気がしてきた。

とにかく自分は、エゴが強すぎて、これ以上無理!!

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