昨日、久々に更新されてた、subconsciousさんのブログで、
「私は今の私を100%受け入れる!」
こう宣言して湧き上がる思いを全部感じてみて。
感じたら更にこう宣言する。
「私はありのままの私を受け入れる!」
「私はありのままの私でいることにする!」
これを電車とか歩きながらやるとね、びっくりするよ。
あなたを見ている人がいる。振り向かれるかも知れない。
何故か。
それはあなたが最大限に力を発揮できるスタンスを取ったから。
人間が一番存在を薄くする方法はひとつだけ。
「今の私じゃダメだ」という考え。
で、いつかは変るだろう、と考える。これはあなたを隠す事になります。
人間が一番存在を輝かせる方法もひとつだけ。
「私はありのままの私を受け入れる!」という宣言です。
ここにパラドクスがある。
あなたが今のあなたをそのまま受け入れたとき(いいも悪いも全部ね。無判断に)、
あなたがなりたいあなたになれます。
「え?今のアタシを受け入れた、そのままでいる、って宣言したのに?」
そうです。
何も嫌なものを好きになれ、というのではありません。
ただ受け入れるだけです。
カラクリはこうです。
いま、ここにいる自分を肯定すればどんなあなたにでもなれます。
しかしいま、ここにいる自分を(自分の考えや感情を)否定すると
その否定した自分を創造し続けるんです。
明日になっても明後日になっても「いま、ここ」の自分です。
解ります?
あなたが持つ失望感?虚無感?なんでも宜しい、全てを抱き取って認めてください。
そこからどこかへ行こうとするときは先ずそこにあるものを認めるところから始めます。
実のところ、いまあるあなたを認めさえすればあなたは変ってしまいます。
あなたがひとつになるからです。分離が消えるからです。
だ・か・ら
「私はありのままの私を受け入れる!」
と宣言してみてください。
じわーっと何か安心感が沸き起こるはずです。
「あ~!このままでもいいんだ~」という理由もない安心感が。
そこで何の理由もなくただ幸せだという気持ちを感じてみてください。
静かに満ちてくる感情が沸き起こります。
今のあなたをそのまま受け入れたとき、 あなたがなりたいあなたになれる
お~画家さんのまとめ記事かーと思って読んでたんだけど、
(画家さんは一時期、こちらのまとめをひたすら読んでました。バーソロミューもそれで知った)
いや、でも
「私は今の私を100%受け入れる!」って、抵抗がモリモリ出てくるよな~
で、昨日は終わりだった。
んで、今日は自分用のメモ・ブログリンク集を見直していたんだけど、その中でこちらのブログ
中盤あたりを、ざくっと引用させてもらいますと
「あなたは、既に全ての願望を実現している。そして歓喜に包まれ、この上ない幸せに浸りきっている」
願望を叶える為の思考転換じゃあなく!もう既に叶っているのだからという宇宙目線で現実を見てみよう!
こっちが前提であるならば?
もう既に、「叶っている」のだから、何もしない。何かをしようともしない。
「叶っている」のだから、全てが完璧で、ありのままでいいってこと。
つまり、「叶うかもしれないという遠い未来」を見て、「充足を見る」のではなくて、
「今ある世界を受け入れること」
もう、「願望が叶っている」のだから、現実が、どう見えようとも、既に、大丈夫なんだ!という視点からの思考転換をすること。
「願望を叶える為の思考転換」じゃあなくて、「願望が叶っている」のだから、現実が、どう見えようとも、既に、大丈夫なんだ!という視点からの思考転換をすることは、エゴ目線じゃなくて、宇宙視点から見ていることになる!!
とありましてですね、まぁ、「あなたは、既に全ての願望を実現している。そして歓喜に包まれ、この上ない幸せに浸りきっている」という部分は、108さんのチケットの言葉なんだけど、特に
「叶っている」のだから、全てが完璧で、ありのままでいいってこと。
つまり、「叶うかもしれないという遠い未来」を見て、「充足を見る」のではなくて、
「今ある世界を受け入れること」
ここの部分の解釈が、非常に絶妙で、ここがさっきの画家さんの「私は今の私を100%受け入れる!」ともつながって
補足するなら、自己観察さんまとめのこちらもそうなんだけど
前提が「もう叶ってる。すでにそれはある。」これを採用するとしたら
「ある」はずなのに見えないのはなぜ?ではなくて。「見えないと思ってる」その思考(認定)
「なぜ見えないの?」「だって今ないじゃん」という思考。
そして、それらの思考に付随する感情それらが全部嘘で錯覚ということになる。
ということが腑に落ちれば、その嘘の思考、感情に振り回される必要がなくなる。
そんな思考に乗っとられそうになっても、その思考が錯覚からの認識ということに気づいていればOKだから執着がダメというわけではなくて、執着することの意味がなくなる。
執着自体が嘘の思考なので、嘘の思考に振り回されて苦しい、なんて
わざわざそんな面倒なことできなくなる。そういう意味で、執着しているということはそのことがわかってない
(嘘の思考に騙されてる)だから叶ったり叶わなかったり。エゴからの願望は叶わないのか?は、エゴは「ない」という嘘が前提で欲してるので、
終始そこから視点が変わらなかったら実現は難しい。うまく手放せれば叶うかもしれないけど。「ある」を採用するなら、今まで自分だと思い込んでた思考が、
実は自分のものではないんではないか、集合意識とか社会通念とか記憶、
そういったデータ(思考は単なるデータベース)が再生されてるだけなんじゃ?
と、自分の思考や感情を疑ってみるところから始めてみたらいいかもしれないと思った。思考が自分ではないとしたら、本当の自分とは一体何なのか。
その思考を採用するかしないかを選べるんじゃないか、とか。
そこに焦点を当てて感じてみたらいいんじゃないかな。別に悟りとかなくてもこの辺は適用できると思う。悟りがあるとしたらその先かも。
自己観察式 27 自分の思考、それに付随する感情、それらが全部嘘で錯覚
悟りたい人以外は、そこにこだわる必要全然ないよ。
でも、このチケット系の話が、さきこさんの設定変更でいう、どんな感情もヨロコビ、ともつながってきたぞ~^ ^ と一人喜んでいたわけです。
つかみたい本質は、もうここしかないな。スピリチュアルジプシーで、とにかく知識は増えるのに、現実変わらなくて苦しんでたけど、コアになる情報には、かすってたり、当たらずしも遠からず、というところで、いい線行ってたんだな~
幸せの青い鳥って(本はちゃんと読んだことはないんだけど!)、基本的には「幸せは身近にありますよ」ってお話だと思うんだけど、チケット信者的には、「幸せは自分の外側でなく、内側にある」、というお話にしか聞こえないですよね。
もう、あとは、理屈ではなく、細胞レベルで、体に染み込ませるしかないんだろうな。HAPPYさんがDVDでいってた「洗脳」と同じ話。でも実際は、魂が知ってることを思い出すということなんだろうな。
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