願望は道しるべ

「とにかく実践!」って振り切ったつもりだったのに、急に頭の中に浮かんできたことを整理したくて、また理屈まとめになってしまった。しかも、まだ単語でしか浮かんでこない部分や、うまく言語化出来ていないところもあるので、ちょくちょく書き直したいと思ってる。

ただ、またひとつ理解が深まったので、実践も圧倒的にしやすくなった。

願望の本質的目的

なんで願望を望むかといったら、それが自分の本質だから

「真実の自分とは何か」を知りたいから、願望実現を追い求めている

「本願」が叶う喜び=自分が「真実の自分」を知る喜び。

究極の内面というか・・・充足の極致というか、願望が叶ったときの充足感は、真実の自分そのものだから。

「本当の自分を知るための」願望実現

本当の自分を思い出すための、願望

願望によって、真実の自分に導かれていく。

愛の完璧性

そう思うと、願望っていうか、完璧認定だよな。

「完璧」を知りたい

これまでがエゴまみれの人生だったから、いろんなことがあったから、愛がわかる。

ありのままの(エゴとしての)私を受け入れているのは、完璧な愛の立ち位置

たどり着くのは「脳内お花畑」

「イメージングは、イメージングじゃなかった」

イメージしている世界が本当

この世界は、波動だけ

ただただ単純に

「こうなったら最高」

と思う事をイメージする。

向きと影

すべてを生み出している源泉・・・その太陽のような「あたたかさ」を向く

源泉を向いていないから、さみしく感じる、不足を感じる=「影」

「意図」は「向き」のこと

自分がどうあるか?自分の在り方= 充足の向き

「不安」「不足」その反対側にあるもの

エゴと思考と自由意志

エゴに自由意志はない。

不足の思考は幻

思考に意味はない

既にある

既にあるは、既にある。ずっとある。

エゴの認識で消えるようなものではない

「いま」しか幸せになる自分はいない

真実の自分は、「今」しか感じられない

自己観察さんのまとめ

完璧しかないと完璧がわからないので、その完璧を知るために
創造のプロセスや不足を体験したかった

ということです。

最終的には本当の自分が、一体どういう存在であるのかということをこそ知りたくて
人生のすべてが展開しているのではないかなーと思っています。

なので

別の領域を体験することは、肉体として生まれた意味がなくなることではなく、むしろ、いちばん体験したかったこと、ずっと待ち望んでること

なんじゃないでしょうか。

そして「不足」を苦しいと思うのは、本当は自分が「不足」と相容れない存在だからです。

例えば苦しい体験だったとしても、自分を責めたり他人や環境を恨むだけだったとしたら、ひとつの体験を終えられても、なかなかその苦しみの連鎖は終えられないと思います。

そうではなくて、苦しい体験をしたからこそ人に優しくできたり、
愛や感謝することを知っていき、人は成熟していくのではないかと思います。

だから「不足そのもの」を味わいたいのではなくて、そこから得られるものの中に
本当の自分と同じ属性のものを感じたいと思ってるのだと思います。

だからちゃんと感じきっていれば次から次に不足がくることはないと思いますよ。

自己観察式 05 完璧を知るために、創造や不足を体験する | ザ・チケット板☆備忘録

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コメント

  1. […] (※3/24追記)赤字の部分、しれっと書いてたけど、この記事につながるひらめきはここの時点であったんだな。。 […]

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