「既にある」は、わかっていた
最後最後詐欺が続いているけれど、今年になってのどっかの時点で「既にある」はわかっていたんだよな。
ブルーベリーさんのまとめ、ちょっと、違ったな・・・
いや、自分の受け取り方か?改めて読み直すと、「原因の領域」って、単純に意識のことだもんな。「原因はない」というか、「ある」だけだもんな。
この不気味なぐらい続いた「負の連鎖」、逆に言えば「不足」が、意図になってしまっていた、ってことだな
あらためて気づかせてくれた記事
「不足の思考をただスルーして、無視するだけ」というけれど、自分主体で世界を見ている人は、間違いなくこのような表現をしないはずだ。
なぜなら、不足をスルーするためには、その前提として、不足に意識を向けないといけないからだ。
そもそも、不足をスルーすることに意識を向ける必要もない。「叶った自分」でも、「叶う自分」でも「なんでもいいから、「望む状況」に意識を向け続けるだけでいいんだよ。
慣れないうちは、意識の片隅に、不要な感情や、不要な思考が湧くかもしれないが、それでも望む状況に意識を向け続けるだけだ。
「主体としての意識」であり続けていれば、いずれそれは」無意識になって、気がつけば本当に叶ってるよ。~~~
「自分の意志で心の声を発して、それを聞くことができるし、自分の意志で心の声を聞かずに鳥の声に意識を向けることもできるし、自分のお腹だろうが指先だろうが、自分の好きなように意識を向けることができるし、自分の意識はこんなにも自由じゃないか」って思ったんだ。
それと同時に、「自分の肉体はもちろん、自動で発せられる思考や感情というのは、鳥のさえずりや、遠くで走る車の音と何ら変わらない、ただの自然の一部にすぎないじゃないか、「コントロールしよう」と思っていたのが最初から間違っていたんだ、鳥のさえずりを聞きたければ、それに意識を向けるだけでいいし、月明かりを見たければ、それに意識を向けるだけでいいし、意識を向けたいものに意識を向けるだけじゃないか」ということに気づいた。
この内心的な体験を、これ以上言葉で伝えるのは、今の私の能力では厳しい。
ともあれ、私の一連の言葉で伝えようとしている要点というのは、次の2つだ。その1」、思考や感情はコントロールできないし、する必要もないが、意識はコントロールできるということ。
その2」、在りたい姿があれば、在りたい姿に意識を向け続けること。あなたが言っているような「緑や黄色のほうに意識がいってしまう」という疑問は、「意識はコントロールできる」ということに気づけたら、そういった思考は自ずと生まれなくなると思うよ。
【方法論】「望む状況に意識を向け続ける」| 達人に学ぶ潜在意識
「自由意志はない」ってことで、意識が習慣的に不足を見続けることになったり。
で、改めて、「認識を変更した」自分が、元に戻っちゃう原因は3つ。
その1「現実見すぎ」
けっこうなトラップが、
→ もう叶っているから、「現実化」まで好きな事して過ごそう
→ 好きな事がない!!
→ ループ
もう一つ、これは前にも書いたけど、「現象化」がバンバン進み始めたときも、トラップ。どうしても、意識が、現実に引っ張られるようになってしまう。
その2「感情に捉われすぎ」
「吐き出し」がそうだけど、「認識変更」は、「不足」の感情、「さみしさ」を感じなくなることだと、思っていたかのような。
いくらでも引用するブログ出てくるけど、「不足をなんとかしよう」という意識が、不足を生み出し続けている。
その3「達人と答え合わせし過ぎ」
要は・・・なんでもいいんだと思う
自分にとって、
・感情ナビ
は使いやすい。
逆に
・自愛
は使いにくい。自愛は、別の領域に気づくまではいいと思うんだけど、気づいた後は、エゴが加速しやすい、自分の場合。
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