嘘まみれの世界の底に

現実からの解放

そもそも「現実をすべて”嘘”と切り捨てる」というメソッド?が心地よく感じる時点で、現実に対して、どんだけ絶望してたんだ、と思わざるを得ないけど。

これは、要は、「自分はいない」につながるんだ。

前回記事投稿後、考えてたことなんだけど、個別願望に意図をするよりも、別の領域におまかせのほうがいいような気かしてきた。意識しなくても、イメージングしたいときはしてるし、まぁそもそもコントロールできるのか、って話もあるし・・・

でも、よくよく考えたら、そもそもが違った。

今回の大事なとこは、充足を向く必要が、ないこと
充足をみよう、源泉を向こうとすると、その反動を産む。というか、「充足を見よう」とする時点で、そこに不足を感じていることがほとんどであるから、エゴが入り込む余地を産んでしまう。

すべてのエゴを嘘だと切り捨てていけば、勝手に充足しか湧いてこなくなる。

逆にいえば、「充足」的なエゴについては、いくら”嘘”と切り捨てていっても、充足は消せない。それは真実だから。

あなたは既に、全ての願望を実現している。

そして歓喜に包まれ、この上ない幸せに浸りきっている

チケット

ほんとにその通りなんだ。チケットっていうより、デバッグに近いかもしれないけど。

自分のように、異様にエゴ塗れな人間には、頭のネジを、吹き飛ばすぐらいじゃないと、この閉塞感からは脱出できなかった。

エゴの大反撃

過去何度も書いてるけど、「認識の変更できた!」と思った2~3日後に、必ず凄まじいレベルのエゴ逆襲あるよね。当然のように、今回も真逆すぎる出来事がありました。まぁ、いままでは何十回もそれで撃沈して、現実様に屈服してきたわけだけれども、今回は違う。

逆に、この「不足が一気に現象化」は、

 「認識の変更」により、意識が即、現実化しやすいモードになる

 → いままでため込んでいた不足の意識が、一気に現象化する

からではないかな、と思った。好転反応、といってもいいかもしれなけど、「嫌だと思っていたことがそのまま嫌な形で現象化した」という意味では、願望=実現、であり、先に進んでいることになる。そこでヒヨってしまうと、また「願望=実現」から離れてしまう。たんたんと、自分がどんだけ「不足」に意識を向けすぎていたか、ということだ。

達人さんに戻る

あらためて、今の自分の感覚を達人さん達がどういう書き方しているか調べてみたんだけど、う~ん、この感覚って、あんまりメインでは書かれている感じがしない。

チケット板だと、自己観察さんが、いちばん感覚的に近いかな

前提が「もう叶ってる。すでにそれはある。」これを採用するとしたら
「ある」はずなのに見えないのはなぜ?ではなくて。

「見えないと思ってる」その思考(認定)
「なぜ見えないの?」「だって今ないじゃん」という思考。
そして、それらの思考に付随する感情

それらが全部嘘で錯覚ということになる。

ということが腑に落ちれば、その嘘の思考、感情に振り回される必要がなくなる。
そんな思考に乗っとられそうになっても、その思考が錯覚からの認識ということに気づいていればOK

だから執着がダメというわけではなくて、執着することの意味がなくなる。
執着自体が嘘の思考なので、嘘の思考に振り回されて苦しい、なんて
わざわざそんな面倒なことできなくなる。

そういう意味で、執着しているということはそのことがわかってない
(嘘の思考に騙されてる)だから叶ったり叶わなかったり。

エゴからの願望は叶わないのか?は、エゴは「ない」という嘘が前提で欲してるので、
終始そこから視点が変わらなかったら実現は難しい。うまく手放せれば叶うかもしれないけど。

「ある」を採用するなら、今まで自分だと思い込んでた思考が、
実は自分のものではないんではないか、集合意識とか社会通念とか記憶、
そういったデータ(思考は単なるデータベース)が再生されてるだけなんじゃ?
と、自分の思考や感情を疑ってみるところから始めてみたらいいかもしれないと思った。

思考が自分ではないとしたら、本当の自分とは一体何なのか。
その思考を採用するかしないかを選べるんじゃないか、とか。
そこに焦点を当てて感じてみたらいいんじゃないかな。

自己観察式 27 自分の思考、それに付随する感情、それらが全部嘘で錯覚 | ザ・チケット板☆備忘録

他の達人さんは、「現実」というよりも、あくまで「エゴ」がいなくなれば・・・という視点の記事かな

こまけぇさんだと、これ。こまけぇさんも、だいぶストレート

この思考の習慣こそが自己の正体で、この習慣とはほぼ不足の習慣ですから、つまりあなたという存在、潜在スピ子という人間そのものが不足の権化なんです。

故に自分(自己)を止めれば、不足も止まって充足しかなくなるので、逆説的に不足の習慣を改めて行けば自ずと既存の自分も消え、新たな自分が現れて来ます。それが本来の自分やら別の領域やら色々と名付けられているものです。

思考の習慣を把握する|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!

(追記)桑田さんの「ルビンの壺」も、まさにいま自分がやっている話だ。

「ルビンの壷」は黒い背景に焦点を合わせると向かい合った人の顔に、真ん中の
白い部分に焦点を合わせると壷が見えるという奴ですが、エゴが黒い背景として、
そこだけに焦点を絞る、つまりエゴの様々な作り話に踊らされている状態だと
白い部分にある壷は見てきません。

しかしエゴの作り話に気付けば、おのずと白い部分に焦点を合わす事もでき、壷が見えてきます。
壷が見えれば、別にブッ飛ばさなくてもエゴは勝手に消えてしまうのです。
つまりエゴと「本当の自分」は表裏一体のようなもので、影の部分であるエゴに
実体があると勘違いすると様々なエゴの創作話がスタートするのです。

桑田式06 「エゴ」そして「自分=世界」をスーパーマリオに例えた解説 | ザ・チケット板☆備忘録

Tgg5さんも、別の角度から伝えてくれている

「きりがない…。あれ、これもしかして自分のレッテルも消せる?全部消したらどうなるの?」
「てか、消せるってことは存在していないってことじゃね?」
「あれ?ってことは、もとから存在してない?自分と思ってるこれも?」

と、本当は自分なんて存在してないじゃんって気づいたんです。
てことは、思考やエゴとか自分は存在してなくても世界って、意識しかないんじゃない?
これが別の領域?あれ?てことは、全ての認識を捨てるともとから全部あるってことじゃ…

その瞬間わかりました。
もう既に全部あったことに。

何もしなければ、そのまま受け取れていたってことでした。
そう見えなかったのは、今まで自分が選んで抵抗していたことだったんです。

だから自分が考えている思考に意味がなかったんです。
幻が幻に反応してその連続が続き、あたかも実在しているように感じている。だけ。

自分と思っているものに力はなく、ただ邪魔をしていたんだなって納得できました。
ベースは充足で、何もしなければ現れてくるっていうシンプルなものだったんです。

以上が、認識変更の流れです。
自分てものは本当に存在してません。
そうなるとエゴが幻やまやかしになるってことです。
まやかしに振り回される必要はなくなります。

TG式 04 現実はコントロールできないんですが、コントロールする必要なんてないんです。 | ザ・チケット板☆備忘録

他にも、よっしーさんの「全部エゴ」も、だいぶ近いような

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