エゴが出てくると、山王の堂本監督の勢いで、なんとかしようとしていた。
まだまとまってないけど、とりあえず書いておく系の記事です。
まずは最近改めて気になる、こまけぇさんの記事から
思考は自動で、コントロール不可
究極的には「本当の自分」から出てきたもの(世界)をエゴがどのように捉えるか、その捉え方すらも「本当の自分」から出てきたものなのです。
その時々において揺れ動く思考や感情を人間は決してコントロールすることはできません。
メソッドをして願望を達成しようと画策するのも、現状が叶っていないと思っているからであり、その叶っていないという思考の根拠も五感という関知しようのない器官から導かれているのです。
全てはコントロール不能の自作自演!?|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!
その全自動思考マシーンに自分(意識)を同一化させると、いつもの日常を創造してしまうだけです。
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まずは世界との一体感とかは意識することをせず、ただ思考が自動であることを徹底的に意識していく。そうすれば、思考の渦から脱出することができます。
エゴというものは制御不可能なんですから、制御不能なものと一体化すれば、当然世界は制御不能なものとしか見えません。ブレーキの壊れた車にわざわざ乗り込んで、「俺は海の景色が見たいのに、この車は山道を駆け上がっていくぜ、どうすりゃいいんだよ」と言っているようなもので、「だったら車から飛び降りればいいんじゃん」というだけの話で、もっと言えば暴走車に乗ってるのは妄想で、雲の上からその暴走車を眺めて、のめり込みすぎた余り意識だけが運転席に座っているという状態なんで、ハッと暴走車さえも景色の一部だと思い出せばいいんです。
しかし感情の渦に飲み込まれている時にはなかなかそこから抜け出すのは難しいかと思われます。なぜなら、再度の言及になりますが、制御不可能だからです。
ですからエゴはどうしようもないんで、思い通りにできないですし、しようとしなくてもいいんです。付き合うのは徒労、まさしく時間の無駄。夏の日差しを浴びて、エゴに「暑いなんて思うな、バカチンが」と言ったってそりゃ無理な話です。暑いものは暑い。それと同じで悲しいものは悲しい。辛いものは辛い。
しかしそれでも、思考や感情の波が収まった時に内面に自由が効く時間があるかと思います。厳密には自由ではなく、それすらもオートマなのですが、細かい話は抜きにして、その感情からフリーになった内面状態があるはずです。その状態が所謂、本当の自分と捉えてもらって結構です。
意識が今にないとか細かいことはどうでもいいんで、狭窄的にならず冷静にいろんな可能性や視点に目を向けられる(現実に対する認識を柔軟に変化できる状態)、シンプルにその状態が世界と一体化した在り方なんです。
エゴがどこに焦点を向けているか
エゴと距離を置く
「思考優位」だと、本来の自分に戻りにくい。「なんとかしよう」としてしまう。まずは、ゼロポイント。無の状態。
それが、「思考から離れる」であったり「関連付けの放棄」であったり、「思考を自分だと思うな」、みたいな。
全部、リアクションなんだ、自分なんていないんだ。
「不足をみたくて、みてる」とは思わないけど、自動反応になっていることに気づかないと、なかなか抜け出せない。
そういう意味だと、みんな7章適用もできているし、認識の変更も出来てるんだよなぁ。できているけど「認識の変更できてない」という思考を採用しているだけなんだろうな。
意外といいこと書いた
あとで振り返って、いいこと書いてあるなぁとおもったので、文章分離しました。
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