前回の認識変更以降、嬉しい現象化が続く中で、
これまでの自分が、いかに
不足を見たくて見てきたか
充足を見たくなかったか
ということが、とてもよくわかってきた。
「自分=世界」は認知の拡大
「充足を見る」ということは、何も特定の事柄に対して、
「所有権を確認して無理矢理満足する」ということではありません。別の領域から見れば、実際にはあなたは既に全ての願望を実現している。
つまり、実際には望むものを全て持てているのです。ちょっと思いついた些細な願望や、世界を巻き込んだ大それた野望、
「あっ、このドレスかっこいいな」とショーウインドウで見かけた素敵なアパレル、
田園調布の一等地にある大豪邸、高層マンションの最上階にある超高級住宅、見ているだけでため息が出るような最高級外車、10桁の預金残高が記されてある預金通帳、
持ちきれないほどの札束、「なんて素敵なんだろう」と、ため息が出るような映画女優の美貌、誰もが憧れるトップアスリートの運動能力とステータス、世界的に著名な天才的映画監督の才能と手腕、
20代で財をなして、今や大富豪の仲間入りをしたネットビジネスの大家の才覚、
美しく壮大な大自然の中で暮らす、悠々自適の生活…これらのことを、あなたも見たり聞いたりしたことがあるでしょう。
つまり、あなたの意識の中に入ってきたことがあるはずです。それなら、あなたは既にそれらを持っている。
あなたの意識的体験に入ってきたということは、
紛れもなくあなたはそれを持っているということです。ところがエゴの認識内では、
「それは『持っている』ということにはならない」と言うことが出来る。
「所有権」というアイデアを活用して、持っていないことに出来るのです。(略)
要するにあなたは、普段は特定の条件下、つまり
「所有権が確認された場合」に限り、充足を経験することを許しているように思うけど、
よくよく見ていくと必ずしもそうではないということです。所有権というのは充足のための絶対条件ではない。
それは充足を限定された状況下でのみ経験しようと決めた、エゴの単なるアイデアです。反対に、充足は何らかの条件によって限定されているものではない。
108式39 充足とは、あらゆる限定から自由なものです | ザ・チケット板☆備忘録
むしろあらゆる限定から自由なものです。
それなら、あなたが設けた限定条件を自ら外せば、
あなたは直ちに充足の経験に入ることが出来ることになる。
1種類しかない幸せ
なんだか、急に奥平あみいさんを思い出して。。
「1種類しかない幸せ」=108さんのいう「実像」のことだよな。
あなたの求めている〇〇、は手に入りますよ。
あなたが、既にある「幸せ」を感じ続ければ。そして、手に入れたときにわかると思います。
「幸せ」って最初からあったんだって。
幸せは1種類しかない | 奥平亜美衣オフィシャルブログ「人生は思い通り」Powered by Ameba
1種類しかない「幸せ」、それは、全ての人にあるんです。
いつだって、「幸せ」はあなたの中から湧き上がります。あなた次第で。
自分とその周りに全くその「幸せ」の成分を見つけられない、なんて人はいないと思うのです。どんな状況下においても、その中に「幸せ」はある。
極端な話、例えば戦争が起こっても、愛する人に目を向ければ、そこに「幸せ」を見つけられるでしょう。そして、外側に幸せがあると思っている限り、「他人の外側」も気になるし、
「あなたから見て、他人の外側が幸せそうに見えない場合に、それを埋めてあげてしまいたくなる」のかもしれません。人の、幸・不幸は、自分以外の他人が決めることは絶対にできません。
たとえば、あなたが、例えば物質的に乏しいような状況にいる人を見て、かわいそうだ、と思うのは自由です。
でも、その人が、幸せなのか、不幸せなのか、それは、あなたが決める事では決してないのです。外側の状況、物質的な状況と、幸・不幸の間には、そもそも関連性はありません。
そこに、なんらかの関連性を、あなたがつけているだけです。前回も書きましたが、それは、外側の状況の変化を望んだり、物質的な何かを求めてはいけない、ということでは決してありません。
しかし、今ある「幸せ」を見ない限りは、それが現実化することはないでしょう。
外側に幸せがあると思っている限り | 奥平亜美衣オフィシャルブログ「人生は思い通り」Powered by Ameba
赤字の部分が強烈。そう、5月あたりから、自分にとって嬉しい現象化がすすむ一方、どうでもいい他人に対して、余計に絡んでしまったツケが、いま反動としてきている。
一言だけど、いい言葉。
望んだものが手に入ったときに気がつくのは「もうすでに持っていた。ここにあった。」ということ。
幸せの種類は実はたったの1種類だけ。幸せになるのはとても簡単だった。誰でも今すぐ幸せになる方法とは。
今しかない
いろんな概念が「いま」という言葉に集約されていく気がする。
- どんな最高な瞬間も、いま起きてる
- どんな現実も過ぎ去る
- 今を大事に
- 思考は今にいない
- 現象化を期待する時点で今にいない
- エゴは、「反応」
- 「虚構」と対峙するのは、「今」
- だから、意識を楽しいことに向けよう
薄れる現実の重要さ、現実味。
自分が薄くなってきたというか、自分の感情が、どうでもよくなってきた?
自分の世界なのに、なんで、安心できないとか言ってるんだ
・・・そんなことをまとめようとしていたら、「どっかん!」な気づきが起こったのでした。
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