以前の記事を分割してみた。
外側と内側
ことばは難しい
本当の自分とは「意識」そのものだ、みたいな記事を書きかけていた。
「世界を認識している、完全無欠の存在」
意識っていったら、こういういことだ。たしかに、この領域にいたら、絶対不足持てない
で、その「意識」は内側といえば内側だけど、「内側」というと、どうしても「身体の内部」というイメージがあると思うので。むしろ、「エゴ」から離れるためには、身体の外側に意識があると思ったほうがいいかもしれない。よく言われる、後頭部のうしろとか・・・自分は「頭の上」がやりやすいけど。
あと「自分の内側」というと、「思考や感情」と混ざりやすい。純粋な意識が意識しにくい。スピ系でやってた「自分の心の声を聞く」とか、今思えば、「エゴまっしぐら」だよなぁ・・
認識の変更の目的が「悟る」ことではなく、単に現実的にも「幸せ」を感じて生きたいということであれば、内側のリアル=充足を感じることなんだ。
自分の内側には「完璧」「幸せ」「充足」しかない
外側=エゴの「嘘」(=ネガティブ)の反応は、「向き」の話だ。
「充足」と反対向きの「影」が、「エゴ」なんだ。エゴの反応が強かったら、その反対を向けばいいんだ。
「既にある」ものを拒否しているから、ネガティブな反応が出ているとわかっていれば、「完璧」「幸せ」「充足」にもなりやすい。
なる’っていうのは、本当に主観的で、
自分自身が何を根拠にせずとも
‘私は○○だ’ということに決めたら、それまでなんだよね。だから、どうやって’なる’の?ってことではなく、
達人方が言われるとおり、’決めるだけ’みたいな、そんな簡単なことってなっちゃう。でも、
あらゆる自分の認識って、
全部自分がそうだと思ったり、そうじゃないと思ってるだけのこと。
そういう意味で、極めて主観的なんだよね。
簡単すぎて面食らうんだけど、実際そう。
それに伴って、目の前の現象が作られていってる感じ。これまでの現実から自分の認識を作り上げることをやめて、
自分の認識が外を作ってると何度も何度も自分に言い聞かせて見方を変えないと、
現実→外の視点でもってメソッドやらやっても何の意味もない。メソッドは外を変えるというより、
外を変えるというより、自分の認識そのものを変えたり、変えた認識を定着させる : Without the Mind
自分の認識そのものを変えたり、変えた認識を定着させるためのものだよ。
そうおもえば、そうなる、ってことだ。
・・・と、まぁ、ここ最近の結論みたいのを一生懸命書いたけど、こまけぇさんがもっとうまく、まとめてくれてるんだけどね。
願望実現とは簡単に言えば認識です。目で見るなり、耳で聴くなり、肌で触ったりして五感を根拠として、ようやく「願望が叶った」と認識に至るわけです、エゴちゃんにとっては。で、五感というものはあくまでも受け身であって、コントロールできないんですよね。現実を見て嬉しいやら悲しいやら、暑いやら寒いやら自動的に湧いてくるものです。
つまり、主体性がないというか、副次的なものであって、その五感自体が真実(真実もクソもないですが)を表してもいないですし、それ自体が何かを作っているわけでもないんです。
つまりその五感の感覚にあれこれ囚われることは虚構の中に生きていると同じなんですね。厳密に言えば、その虚構を真実として、世界を作っているんです、心(認識)が。よって、仮に願望が叶ったとしても、突き詰めればそれも虚構なんですね。ただ、どの虚構を選ぶ(認識する)かというだけの話なんです。
つまり従来の虚構の霧を振り払うためには(好きな虚構を選択するためには)、心(認識)の独立性を保つためには、五感の感覚を切り離すことが重要です。ただ、間違えても抑えるんじゃないですよ。「クソ、現実を見て不足を感じてしまった、ダメだ」なんてするんじゃなく、やっぱりいつものアレです。気付く(許す)ことです。その感覚を他人のものとして気付くことで、徐々に切り離していく。
そうするといつかお話ししたように、現実の景色の世界と、自分の内面の世界が分離しているような感覚になります。分離しちゃいけないんじゃないかとツッコまれそうですが、そうではなく、現実の景色が自分という内面の中にあるジオラマ(街)となり、それを俯瞰しているような感覚です。それを2つの世界と表現しているだけです。
その街には私を含め、人々が生活をしているのですが、自分(認識)は雲の上にいるような立ち位置で、その街さえも自分の中に内包されているような感覚なんです。私が主で、街が従です。ですから、その街でどんな出来事が起きても、私は雲の上にいるんでのめり込むこともなく、心が干渉されないんです。で、意図したことが不思議と街に伝わって、その意図の通りに街が振る舞ってくれるというだけです。伝わると言うか、感覚的に言えば、瞬間的に「意図=街そのもの」って感じです。
どの虚構を選択するか|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!
ここでこまけえさんが表現している「自分」が「認識(意識)」で、「自分の内面」という感じかな?
「いまここ」が、叶っている世界
「既にある」がわかるのは、いま、この場所だけ。
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