私の説明不足でした。
完璧しかないと完璧がわからないので、その完璧を知るために
創造のプロセスや不足を体験したかったということです。最終的には本当の自分が、一体どういう存在であるのかということをこそ知りたくて
人生のすべてが展開しているのではないかなーと思っています。なので別の領域を体験することは、肉体として生まれた意味がなくなることではなく、
むしろ、いちばん体験したかったこと、ずっと待ち望んでることなんじゃないでしょうか。そして「不足」を苦しいと思うのは、本当は自分が「不足」と相容れない存在だからです。
例えば苦しい体験だったとしても、自分を責めたり他人や環境を恨むだけだったとしたら、
ひとつの体験を終えられても、なかなかその苦しみの連鎖は終えられないと思います。そうではなくて、苦しい体験をしたからこそ人に優しくできたり、
愛や感謝することを知っていき、人は成熟していくのではないかと思います。だから「不足そのもの」を味わいたいのではなくて、そこから得られるものの中に
本当の自分と同じ属性のものを感じたいと思ってるのだと思います。だからちゃんと感じきっていれば次から次に不足がくることはないと思いますよ。
自己観察式 05 完璧を知るために、創造や不足を体験する | ザ・チケット板☆備忘録
やっと意識が胸のほうにきた。
「いいよ自愛」の感覚に近いのかも
「不安、焦り・・・この苦しみはなんだ?」と思ってたんだけど、それは自分をコントロールしようとして苦しんでいるハイアーエゴだった。そのハイアーエゴに対して、「もう大丈夫だよ、見守っているよ」というアプローチ。
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