昨日の投稿で、だいぶ頭の中が整理出来た気がする。
んでもって、「理論・理屈の理解」と「じゃあどうすればいいの?」って別だと思うので、今の自分が、何を思い、何を実践しているのかを「願望実現法」として書いてみた。
いろんな達人さんがいうように、最後は自分なので、自分の感覚なんだけどね。
あと、言葉の表現だよね~。同じことを伝えるにしても、自分にしっくりくる言葉になっているかどうか。
いまの理解を書いてみたけど、また認識が進むたびに、こちらも更新していきたいと思います。
自己観察さん成分多め
けっこう自己観察さん要素が増えてるな~。いままでけっこう批判的だったんだけど。
昨日の投稿でひっかかってた部分も書いてある
>エゴに巻き込まれながらも、気づき、気づいた状態を
>出来るだけキープする、をシンプルに実践中です>安心してると、すぐ打ちのめされる状況に遭い、
>感情が荒れる→観察の繰り返しがずっと続いてます何のために自己観察をしてるのか、というのを自分に確認してみるといいかもしれません。
自己観察をするのは、その「気づいてる意識」が自分の源泉、中心であることを
感じるためというか、自分の中心を感じられない人が、それに気づいて、
それを信頼していくためにするものではないかと思います。自分の中心を知って、そこが自分の真実である事を自覚すれば、いいことも嫌なことも、
全部自分から起こってるんだということがわかるようになるので、
感情が荒れることはあっても長続きできなくなります。なぜなら、自分の中心がリアルで、状況も感情も幻想だということがわかるからです。
なので、そう思えないまま観察の繰り返しが続いているということは、
自己観察式65 願望実現とは自己実現です。皆さんも自己実現を楽しんで下さい | ザ・チケット板☆備忘録
「気づいた状態でいること」や「叶ってるんだ」「安心していること」を感じることが
できていても、それが自分の中心であるということの自覚がないのかもしれないですし、
目の前の状況に感じるリアリティの方があなたにとって大切な「自分にとっての真実」
ということなのではないでしょうか。
意識と認識と源泉
「いま」の「まさにこの瞬間」の意識は「絶対無」
意識の性質として、「意識を向けたモノに同化する」というのを自分の理解として付け加えてみた。
「認識」自体は、「認識されるものがないと存在できない」というやつです。
一方で、「源泉」というか、「意識が認識できる何か」が、意識の領域に湧き上がってくることも確かで、それも含めて、「意識」というのか、「別の領域」というのかは、人それぞれなのかなぁ。
この「源泉」から湧き出てくるものに、エゴが含まれるのかどうかも、人によって分かれるかも。
とりあえず、「別の領域」って言葉は使わずに、「意識」にしてます。
あと、源泉=愛=本当の自分、みたいな捉え方もしてる(エゴを含まない理解)
上の記事の自己観察さんがいう「自分の中心」も、エゴを含んでいない理解だよね。
改めていま思うのは・・・
掲示板のまとめって、いろんな達人が、いろんな理解度の人の質問に対して書いてるから、最初っから読んでいても、バラバラなんだよね。さらには、その時の自分の状態によって、受け取り方が全然違ってしまう。
自分に合わない助言を受け取ってしまうと、かえって迷い込んでしまう。
基本的には、こまけぇさんとか、GAME OF LIFEさんとか、直でやってるブログとかがあればご本人の理屈が一貫しているので参考になると思うんだけど、一方で、最後の結論だけになってしまうこともあるので(3章~6章すっ飛ばして7章の結論、みたいな)・・・やっぱり、自分の答えは、自分で見つけるしかないんだよなぁ、という。
そういう意味だと、こういう「途中」経過のブログにも意味があると思いたい。
コメント
tonpeiさん、こんにちは!
前回の投稿、今なら読んでいて「わかるー」でした。
以前より認識が進んでいたんだなあとよくわかりました。
結局各々のやり方で気付いていくだけですね(自動でそうなってますし💦)
私も最近は嬉しい現象化もちょこちょこありつつ、思考の声やエゴの抵抗という外野(に感じる)に関係なく、感情ナビを頼りに、見たい方へ意識を向けています☺️
>みーさん
こんばんは。毎度コメントありがとうございます。
そうなんですよね~、ほんと自分のやり方で「気づいていくだけ」
でも、気づきを続けていくと、ごく自然に、みーさんでいえば「自動で」
また気づきが深まるきっかけがあったりして。
今回は総集編的なつもりで書いたのに、もう書き足したくなってます。
嬉しい現象化も嬉しいですね!見たいほうを見続けるだけですね。