またちょっと違うニュアンスで、「ぐぐぐっ・・・」、と、認識が変わってきてて。
今回のポイントは「今は過去だ」
(えかにゃんさんのブログタイトルになってしまった・・・)
仕事で大トラブルに巻き込まれて、ネガティブ祭りになってもおかしくなかったんだけど・・・なんとかなっちゃった。
五感について
こまけえさんのこの一文がなんか気にかかってて。
五感というものはあくまでも受け身であって、コントロールできないんですよね
どの虚構を選択するか|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!
「五感も・・・過去?」という発想が浮かんできたときに、またすごく、エゴと距離を取りやすくなってきていて。何度も引用している自己観察さんの文章
エゴは単に出てきたものでしかなく、出てきたものをどうにかしようとするのがおかしいんですよ。
自己観察式73 気づいてる意識は、エゴの訴えが幻想であることに気づいてる | ザ・チケット板☆備忘録
出てきたものに後から手を加えようとするんではなく、出てくる以前のところに行けばいいだけです。
まぁ、エゴも含めて、全部過去なのだろうと。
で、ちょっと前に別の投稿で引用してた記事を思い出して。
大体、私達はこの世界を過去、現在、未来に分類していると思います。この内の現在、つまり『今』だけが本物だ、というのがスピリチュアル界隈の決まり文句であります。
しかし、私達が認識できる『現実』は、実は過去に分類されます。そう、あなたが今認識している景色、世界は過去です。
では『今』はどこにあるか、というとあなたの内面だけです。あなたが自分だと勘違いしている思考ですら、『今』より遅れています。
現実は幻想である。内面だけが本物である。あなたがこの世界の作者です。 – めんどくさがり屋の願望実現についての説明会場
こまけえさんの実現報告に登場する「あいさん」のコメントとかも気になって。
現実で どう見えようと あの人は私の彼氏だし、あの人は親切だ。それが当然だという 立場です。
こうやって思うのが難しいんですよね
コツは やはり
内面が先 現実は後だと言うことを心の底から理解することだと思います。目の前に広がる現実とい幻は 過去の自分の内面が映像化されているだけなので
それをみて 苦しむ必要も 設定を解除する必要もないんです。撮り終わった映画を画面に向かって それ!違う!!やっぱり無理か、、なんて やっても意味ないですよね?現実に見える世界は
https://komakeekoto.com/aisan/#comment-846
それは、それ。私はこんな設定してたんだなーって 受け取るだけ。
で、そこから、これから経験したい事は 今 自分でどんな事も新しく設定できるんです!
現実に振り回されないで 自分の内面を信じてください。
「内面が先 現実は後」・・・という言葉はずいぶん前から知っているわけだけど、ほんとに言い方ひとつで、「現実は過去」という表現になるだけで、ずいぶん印象が違う。
いつでも「いま」が、自分の焦点になる。
「現実は過去・・・」、そうなると、だんだん「エゴ」というよりは、「現実」が自分の中から分離していって・・なかなか納得できなかった、こまけえさんの「今の自分が理想だと現実に従わせる」の記事も腑に落ちた。
この「どんな自分であっても」という文句はまさしく言葉の通りで、禅問答のようですが「現実に叶っていると思えない自分であっても」今叶えていいのです。リッチな富豪になりたいという願望があったとして、残高数円の銀行口座を見て「叶っていない」という思考が湧いても、叶えていいということなのです。
達人やふわふわ系女性ブロガーからどんなに条件付けを外してくださいと口酸っぱく言われても、最後の最後まで現実からの情報(五感)を手放せない人がほとんどかと思います。ですから自愛で、現実という最後の砦を攻略できなくても今叶えていいと徹底的にそれを解きほぐすのです。自愛にはそんな無茶が効くのです。
するとあら不思議、「叶っていない」という思考など諸々を包括して、叶っているという認識になります。預金の貧相な銀行口座でさえ叶った世界の一部として組み込まれてしまうのです。つまり、理想の現実に自分が合わせていくのではなく、今の自分が理想だと現実に従わせるのです。
現状がそのまま理想の世界になるわけですから、そのままで何も変える必要はなくなります。すなわち、不足はなくなるのです。口座の残高がいくらであれ富豪であるという充足(認識)がブレなくなるので、それが「今」の基点となり、現実の景色もそのように変化していきます。この在り方に一足飛びに到達してしまうのが、皆さんご存知「なる」なのです。
~~ ※コメント欄のこまけえさんの返信 ~~
>「どんな自分であっても願望を今叶えていい」
今の自分に理想(現実)を従わせる!!|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!
現実や思考、どんなブロックがあっても、それを含めて理想の(叶っている)世界であると認めて、その中に身を置くということです。
前回の自愛記事のおかげもあるけどね。
「そのままで何も変える必要はなくなります」は、エゴは変える必要ないけど、「認識」だけは変える必要があると思うし。
全部過去?
なんていうんだろう、「内面が先 現実は後」「内面が真実 現実は幻想」みたいなところが、
うーん、これまでは
「基準の視点」が「現実」ベースで、そこから「内面」を見ていた感覚だったのが
「基準の視点」が「内面」中心になってきて、そこから、「現実」をみてる、認識している、という感覚。
だから、過去になる・・・という感じかな。
となると、「全部、過去」というか、全部エゴというか・・・「認識」したものは、すべて過去のもの。
もっといえば、
常に「いま」にいる
という状態なのかもしれない。
うーん、言葉はどうでもいいんだけど、現実に関係なく、内面は自由に選べる、という感覚。
現実は、全部、過去。
現実として、現れた瞬間に、もう変えられない、という悲壮感はなくて、むしろ外側の現象に捉われずに、「内面ではいつでも、好きな状態を作り出せる」、という解放感のほうが大きい。
すべてを許す自愛が「勝手にしやがれ」ってのも、思考感情、五感として現れたもの、すべてが過去で、もう変えられようもないものだから。
まだあやふやな状態なんだけど・・・居心地はとてもいい。ネガは出るけど、完全に離れている。
この感覚、なじむかな?
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