実践を繰り返しながら、内面と現象化を見比べながら、自分にとって、いちばんしっくりくる感覚を試しているのだと改めておもう。
最近紹介していたサロメさんが、「スージー」さんという別名で別のブログ(SIMPLE MINDS 願望実現はいたって単純)を書いていて、それがとてもわかりやすい
これまで自分が読んできたチケット系やこまけえさんのブログとは、またちょっと角度が違って、自分にしみ込む気がする。何度も何度も読み返してる。
お気に入りスージーさんの記事
このあたり記事が好きです
ここでいう意識とはエゴ以外の大きな意識のことで、
この大きな意識とは「自分」であり、また、
大きな意識にはすべてがあり、完璧なので、
わざわざエゴで「◯◯な私」と特定しなくても
大きな意識は「完璧な私」が
どんなものかよくわかっている
という意味です。別の言い方をすれば、
エゴが理想だと思っている「◯◯な私」よりも
大きな意識が知っている「完璧な私」のほうが完璧
だということです。なので、
「◯◯な私」としないで、想定・選択・意図すらも
大きな意識に丸投げするのがベストといえるでしょう。
大きな意識は「完璧な私」がどんなものかよくわかっている | SIMPLE MINDS 願望実現はいたって単純
大きな意識は、時間がなく、すべてがある完璧な領域です。
もし、この「すべてがある」完璧な状態を、
エゴがいっぺんに体感できるとしたら?
おそらく対応しきれないでしょうwww
幸い(?)私たちの生きる次元には時間があります。
なので、意識の中にあるものは、
段階を踏んで現象として見えてくるのです。
段階を踏むからエゴも対応できるのです。
しかも意識は完璧なので現象化の
プロセスもタイミングも完璧です。
なので、意識にすべてを丸投げして、
日常を普通に生きていればいいのです。
そもそも実感・体感とはエゴの反応なので、
真理を受け入れた瞬間にそれがないのは当然です。
受け入れた瞬間に何かを感じるとしたら、
すべてがすでにあることへの安心感や、
叶えようとしなくていい安堵感などでしょう。
これらの感情を実感と定義するならそれでよしですが。
ただ、多くの人々のエゴが求める実感・体感とは、
物理的な体験・経験という意味が大半かと思われます。
前述のように、時間がある次元に生きている以上、
それは後から得るものです。
実感するから現象化するのではなく、
現象化して実感するのです。
ですから、繰り返しますが、
真理を受け入れた瞬間にそれがないのは当然です。
よく、「すでにある」がわかっても実感がない
とコメントをいただきますが、以上の点から、
それは気にしなくていいのですよ
「すでにある」をなぜすんなり受け入れられないのか・実感はなくて当然 | SIMPLE MINDS 願望実現はいたって単純
「ある」「叶っている」を選べば何もしなくていい
「ある」「叶っている」を選べば現象化はどうでもよくなる
といったことを、ここ最近続けて書きました。
(実際には今までに何度も書いていますが)
このように書くと、
「何もしなくていい」
「現象化はどうでもよくなる」
の後半部分に着目される方が多いのですが、
着目していただきたいのは前半部分の意識の態度、
「ある」「叶っている」を選ぶ、のほうです。
後半部分はあくまでもエゴの態度です。
~略~
なぜエゴの態度のほうに注目してしまうのか。
なぜエゴの声を聞き流せない・俯瞰できないのか。
それは、この世の大抵の人がそうだと思いますが
エゴが自分だと思っているからです。
時間を感じるのも、何かを体感するのも、
現実で起きたことに反応するのも、想像するのも、
感情を感じるのも、思考を抱くのもエゴなので
それが自分だと思ってしまうのは無理もないです。
だからエゴが主導権を握りたがるのです。
ただ、当ブログは願望実現方法がメインテーマです。
読者様にはどうか、エゴの暴走にとどめを刺して
願望を実現させていただきたいのであります
荒ぶるエゴの声を聞き流し、感情を俯瞰し、
望む現実を実現するにはどうすればいいか。
それには、エゴ以外の、自覚・知覚できない意識、
大きな意識こそが自分
だと思ってみてください。
難しいことはいっさい考えなくていいです。
エゴは意識(=自分)の単なる一部分、
ごくちっぽけなパートだと思ってください。
エゴはミジンコ並みに極小なわりに
想定・意図・選択する(言葉は何でもいいです)
という役目を持っています。
これが結構な大役なので、だからエゴは
自分が主導権を持っているのだと勘違いしています。
でも、意識こそが自分だという視点に立てば、
エゴは急におとなしくなります。
~略~
ごちゃごちゃ書きましたが、まとめますと
エゴが「自分」ではなく
大きな意識こそが「自分」です。
そんな意識=自分をもっと信頼して、委ねてください。
ということです。
そうすればエゴもおとなしくなります。
今現実で起きていることはそれはそれとできるし
現象化の有無も気にならなくなります。
現実が意識の投影だということも実感できます
エゴが「自分」ではない。大きな意識こそが「自分」 | SIMPLE MINDS 願望実現はいたって単純
◯◯になりたい、◯◯が欲しいといった願望が生まれたら、「◯◯になる」「◯◯を手に入れる」と決めて
実際に叶ったときの感情をイメージして味わう
&いつもいい気分でいる、ホッとするよう心がける
というのが一般的な引き寄せの法則の流れです。
それに対し当ブログで伝えているのは
◯◯になりたい、◯◯が欲しいといった願いが生まれたら、
自分は◯◯である、自分は◯◯になると決まっている
◯◯を手にしている、◯◯を手にすることが決まっている
ことを確定事項・大前提(言葉は何でも)にして
今までどおりに生活する、といった流れです。
(当ブログは想定の法則をベースとしていますが
実体験を交えてかなりアレンジしています)
イメージングによる感情の先取りや
いい気分でいることを当ブログで積極的に推奨しないのは
そうしないと叶わない、ネガティブ感情を抱いたら叶わない
といった思い込みを持ってしまう可能性があるからです。
そういった思い込みを持つことがないのであれば
感情の先取りやいい気分でいることは
もちろん良いのでどんどんやるといいと思います。
~略~
その自分と繋がっている大きな存在を
信頼して委ねる
ことで現実が動いていきます。
そこで、現実に見えていることだけを信じて
「全然◯◯になれていない」
「◯◯なんて手に入っていない」
と、まだ動いていない現実にフォーカスしていると
自分と繋がっている大きな存在を全然信頼していないし
委ねられていないので、現実は動かないです。
自分と繋がっている大きな存在にすべてをお任せすると
エゴのイメージング通りに現実が動くとは限りません。
何が最善なのかはエゴではなく大きな存在が知っています。
だからイメージングはやってもやらなくても同じなのです。
何が最善なのか、それすらも
大きな存在に思い切ってお任せ
しちゃってください。
エゴの想像には及ばない展開になるかもしれませんが
それこそがまさに自分にとって最善なのです。
ちなみにこれは願望現実に限りません。
何か問題が起きたときにも有効です。
どう考えても考え抜いても解決策が見つからない場合は
エゴにはその力はないんだと諦めます。
そして「解決する」ことを確定事項にして
(「解決した」「問題はない」等しっくりくれば何でも)
大きな存在に委ねてしまうといいです。
そうすればいつの間にか問題が解決していたり
思いもよらないところから解決策が見つかったりします。
自分と繋がっている大きな存在こそが「最善」を知っている | SIMPLE MINDS 願望実現はいたって単純
何はともあれ、エゴから離れる
前回の「やる気なくなっちゃった」エゴ状態。
先週あたりから、自分にとって、ベストだと思っていた「イメージング」ができない日が続いていて、どうしたものかと思っていたんだけど、それがスージーさんの記事のおかげで、楽になっている。
「想定」することが「現象化」の条件付けを外していく、ってところでもあるし、そもそも、「現象化」自体が気にならなくなってくる。
加えて、自分にとって、やっぱり必要だったのが、よっしーさんの「エゴに気づく」を自分なりに解釈した、「全部エゴ」の実践、だった。
全部エゴ+想定の法則、という形が、自分にとってベストな気がしてる
スージーさんの語ってくれる
「あなたのほしいものはすでにある」
「あなたはすでになりたいものになっている」
という真理を「取り消さない」というのも「無条件に信頼する」というのも、エゴにかまってちゃ、無理。
一方で、「ネガティブな感情」だけを、エゴとしようとすると、そこに若干のコントロールが入るので、ほんとに巧妙に、いつの間にか、エゴに乗っ取られてる
日常的な思考は「全部エゴ」として切り捨てても、ほんとうの自分の幸せは消えないから。
「言葉はいらない」ってときどき思うんだけど、幸せに浸っていればいい。
本当の自分に、すべておまかせ
そのうえで、さらに、本当の自分への信頼、も必要なんだろうな
・・・エゴが薄くなれば、その垣根もほとんどなくなってくるんだろうけど。
やっぱりこのエリックさんの記事が好き。
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