正直な気持ちシリーズ、続編。
疲れ切る・・・
もう、何かするのにつかれてしまった、幸せ自体に興味がなくなってきた
もう、どうでもいいいや
なんでもいいや
「ひねくれ式」って感じでもなかった。
叶ってようが叶ってまいが、もうどうでもいい。
この世界のしくみに対する怒り
そこからは、もうやさぐれまくり。
まゆさんの掲示板への「私はメソッドほとんどしてません」が、すごくカチン!ときたし
こんだけメソッドやってんのに、ここまでやっても、満たされていない、結局元に戻る。
どのみち期待するだけ、無駄。
達人のアドバイス聞いたって、けっきょく元に戻っちゃうじゃねえか
本願とか知らんわ!
どれだけいい気分をキープしてきたとおもってんだ!
いま書いているのはエゴとしての自分だろうけど、結局いつもいつも、最後はこういう展開にもっていく、そんな大きな意識だって信じられない
理解しようとする誤解
これさ、もう、わかんないんだな・・・無理なんだよな
絶対にたどり着かない階段を上らされているんだ。
もう少し…あと少し・・・でがんばってきたけれど、
0.999999・・・が延々と続く、これ、絶対たどり着かないやつだ。
進んでいる、登っている気がするからタチが悪い。
登るから、期待する、期待するから、叶わなかったときにつかれる。
だったら、もう何もしないほうがいいじゃん。
自愛 vs 自己観察
まぁ、ようは昨日のブログも含めて、この1週間ぐらいにたまってた気持ちを吐き出したんですよね。
けっきょく、自愛じゃん、
みたいな話になるんだけど。
ただ、
・自分のエゴを認める「自愛」の立場か?
・自分が人間でないことを認める「自分=意識」(自己観察)の立場か?
ここで、いつも躓く。
でも、自愛は、「どんな自分でもいいよ」と思えない時点でダメだし
(そう思ってもいいよ・・とかもダメだね、絶対最後はエゴに負ける)
自分=意識で、エゴを亡き者にしようとすると、現象が悪化したり、ありとあらゆる形で抵抗を受ける。
自愛と自己観察をいったりきたりしているだけ。
でも、すこし自愛の動画とか見ていて、確実に思ったのは、
自分よりも、願望を大切にしているな。
ということ。
願望実現のために、潜在意識ジプシーを続け、叶わないかなわない、また不幸だ、また嫌な現実だ、と結局自分を傷つける日々。
なにか、求めているのは、自愛と自己観察をミックスしたような・・・そんな感覚。
エゴと共生できるメソッド。
自分=世界で、他人はいない
ポジティブな意味で、世界に自分ひとりしかいないんだから、自分1人の世界だから、自分で自分を愛するしかね?
世界は、自分をたのしませるために、ある・・はず。
絶対的真理
このあたりから、すこしずつ、きもちが楽にはなっていったんだけど。
結局、何の疑いもなく、願望実現や幸せを
「何か苦労して手に入れる必要のあるもの」
として信じ込んでいることにも、ちょっと気づき。
これチケットの話だよね、関連付けの放棄。
「決める」しかないんだよなぁ、と。
もう、叶っていることにすればいい
エゴでは感じられなくても、もう叶ってるし幸せなんでしょ、(どうせ)
って、けっこう過去に似たような記事を書いてるんですね、これが。
なんだ、結局また同じとこでつまづいてたんだ。でもまた同じとこで躓くんだろうな・・・なんて、自分に対する圧倒的な負の確信。
「はい、また自分を責めてますね。ダメですー。はい、ループもう1周追加!いってこ~い!!」
なんだろうな、とか思いながら。
とはいえ、頭の中でいろいろ思いつくキーワードがあったので、自他とも含めてブログをめぐっていたら、一つの動画を発見。ちょうど退屈な仕事だったので、BGM替わりになんども聴き返しているうちに・・・1つの内容だけが、妙にひっかかってきた。
これが、認識変更かどうかはわからん。
でも、たぶん、自分には、もうコレしかない、というメソッド?結論?にたどり着きました。
コメントの返信でも書いたけど、調子いいときに気分がよくなるメソッドじゃなくて、自分が苦しい時にこそ、救ってくれる、効くメソッドがほしい。これで、変わらなかったら、もういい。潜在意識業界引退でいい。
自分の意識が、「最後まで叶わない願望を追いかけて苦しんで〇ね」、と思っていることにする。
というわけで、次回記事に書きます。
コメント
トンペイさんこんばんは。
先日トンペイさんから頂いた返信に「コメント読んでいて、なんだか、自分のことのように思えて、涙が浮かんできてしまいました。」と優しいお言葉を頂き、ありがとうございました。
昨日、今日の一連のブログ記事を読んで、正しく「私も自分のことの様で、涙が浮かんできます。」
本当キツイですよね、この手のアップダウン。
「本当は幸せになりたくないんだなぁ」「いい気分やメゾットやるより、自分責めしてる方が楽だ、と思っているんだなぁ」と思っている自分に気づいて、「なぜ」そう思いたいのか、自分と向き合ったことがありました。
私のエゴが言うには、幸せとは、頑張って努力して、我慢して手に入るもの。マイナスから出発してプラスに変えるもの。
どうして、幸せになるために、我慢や努力をやらないんだ、だから幸せになれないんだ。努力も頑張りも足りない、今の劣っている自分のままじゃ駄目だ。「やり方が違う」とエゴの信じている幸せのプロセスと違うと怒りを訴えてきたんです。
もっと深く探っていった時に、子どもの頃の記憶で「頑張ったら、我慢したら、いい子ねと褒められる」逆に「普通に気分良くしていただけなのに、お行儀が悪い、悪い子ねと叱られる」
幸せに、愛されるためには、我慢や努力が必要で、いい気分や、好きなことして幸せでいると、愛されないんだ、と勘違いした信念が根深く残っていたことに気づきました。
私はなぜか妄想が勝手に湧いてくるのですが、ストーリーが波瀾万丈の末に幸せを掴んだり、ものすごい挫折を乗り越えて人気者になったり、すごくドラマチックなストーリーの癖に気づいたんです。
愛されるためには役に立たなければとか、気を引くために同情してもらわなければとか、とにかくマイナスからのドラマチックなスタートを無意識に好んでいる癖でした。
このままの自分で、今幸せになっていい。本当の自分はそもそも素晴らしい。マイナスの存在をプラスに変えるために何かしなくちゃいけないのは、エゴの自分へのセルフイメージの勘違いだ。幸せのプロセスはエゴの思い通りでなくてもいい、と気づいてから、エゴとの同化が少しですが、少なくなりました。
幸せには我慢、努力が必要だ、常識だと信じていて、我慢すること、努力することを、幸せになる必要事項として勘違いし、無意識に探すことはなくなりました。
本当の自分は「人間ではない」
トンペイさんの記事で、私も「ここ」に戻る様にしています。
トンペイさんが、本当の自分在り方でいられる様に意図しています!
またまたありがとうございます!!
ちょっと記事が追い付いていないんですが、
昨日から、ミミさんのコメント、何度も何度も読み返してまして、もう、完全に突き抜けました。
直接的には、ミミさんのこのコメントがきっかけです。
それはまた、今度是非、記事にさせていただきたいんですけど
「トンペイさんが、本当の自分在り方でいられる様に意図しています」が叶ったんだと思います。ミミさんの願望実現ですよ!
ほんとうに、自分のブログのコメントというのがもったいないぐらい、素敵な文章だと思いました。同時に、自分のこれまでの人生ともかぶる部分がとても、多く、またも、涙なしには読めない。
「我慢」とか「努力」とか、時代的な背景もあると思いますし、同じような状況で育ってこられたのかと思います。
でも、なんだか、泣けてはくるんですけど、癒しの涙といったらいいのか、すごく心がすっきりしてくるような感覚がします。
まだコメントで数回やり取りしただけのtonpeiという他人に、これだけの文章で、感銘を与えてくれるミミさんが、いま幸せでないとは、とても思えません。
これまで、おそらくご両親をはじめとして、他人や社会に対して、我慢や努力を積み重ねてきたミミさんも、やっと自由に、もう解放される段階なんだと感じました。
人間ではないと思えなくても、いまここに戻れないときがあっても、すでにすばらしくて完璧なミミさんに感じます。何があっても、そこはもう絶対に変わりません。
ミミさんがもともと持ってる、無限大の幸せを、ミミさん自身のために、たくさん与えてられるよう、自分も意図しますね!
トンペイさん、コメントありがとございます!
まるで老廃物が流れるように、涙を流しながら読ませて頂きました。とても、とても嬉しかったです。
私はトンペイさんの実況中継的な記事に救われてきたんです。
現実に不足があっても、我慢して、努力して、頑張って、頑張って生きてきました。
なんとか望みを叶えられるように、幸せを掴める様に。
お陰様で仕事では、誰もが知るような方々とご一緒できるような、恵まれた環境を得ることができました。
それでもいつも足りないんです。
あれが出来ない、これが劣ってる。
その証拠に、好きな人ができても、両想いになれない、仕事で実績をだしても評価されない、いい人でいても嫌われる。
こんな現実を覆すために、また我慢して、努力して、頑張って、目的を達成するために、自己啓発や心理学やスピリチュアルや占いや、とことん自分を追い詰めていました。
そしてとあることがきっかけで、所謂引きこもり、強制終了となりました。
廃人です。
ある程度の蓄えがありましたが、この貯金が無くなったら、私も終わるんだなと思っていました。出来れば、早く消化試合の終わりがくれば良い、とまで思っていました。
もう、どう足掻いても終わりだな、
引き寄せやら潜在意識やらも、色々やってきたけど、私には神さまも、効かなかった。法則はあるのだろうけど、私はやはり出来ないんだと思っていた頃に、トンペイさんのブログに出会ったんです。
そこで気づきがありました。
自分が欠けている、足りない、劣ってると、マイナスの立ち位置から全て始めていると。
両想いになりたいから、若く綺麗でいなくちゃ。
いい人間関係でいるには、我慢して謙虚でいなくっちゃ。
仕事で出世するには、出来ないことも頑張って出来るようにならなくちゃ。
まるで子供が母親に愛されたくて、病気になったり、悪戯で気を引いたり、
時には我慢し自分を殺しててみたり、
あらゆる手段や条件は全て
「ありのままでは幸せにはなれない、私は欠けた存在だ」のエゴの思い込みからでした。
この様々なエゴの思い込みは「地球教育」よるもので、エゴにも責任はない。こんな仕組みがこの世に、親に学校にあり、もう無意識に取り入れただけで誰も悪くないんです。
本当の願いは、「本当の自分は既に完璧で素晴らしい。私は何も欠けていなかった。」を思い出したかったのだと気付かせてくれたのは、トンペイさんのたくさんの記事です。
私は今だ何か書けるような現象化はありません。
この数日、エゴの同化が酷く、もういよいよ駄目かなと、不安な夜もあります。
でもトンペイさんのおかげで変わったのは、「今の現在の不足は、本当の自分の本質ではない。」と思える様になったことです。
私には気になる人がいるのですが、その人が仕事で大変名誉な評価をされたことを耳にした時、咄嗟に浮かんだ思考は「彼は益々活躍して、廃人の今の私とはかけ離れて、手の届かない人になってしまう」と言う、自分が劣っている立ち位置からの思考でした。
でもすぐにそれは、エゴの勘違いで
「私の世界で、私のパートナーが評価された」と思いなおすことが、出来るようになりました。
トンペイさんには本当に感謝しています。
ぜひこれからもたくさんのお話しをお伺いしたいですし、お話ししたいです!
トンペイさんがエゴから少し離れ、本質の愛の立ち位置に戻られた様なので、私もエゴの同化から離れられるのも近いのでは⁇と期待しています♪
>ミミさん
こちらこそ、コメントありがとうざいました。
最新記事で、ガッツリ書かせていただきましたが、ここでのミミさんとのやりとりが、直接的な変化のきっかけになりました。本当に感謝しております。
ミミさんのコメント、書くことで過去を思い出し、お辛い気持ちになることもあると思いますが、ここまで正直に書いていただいて嬉しいです。
仕事面など、努力で手に入れられた恵まれた環境もあったからこそ、その落差もあって、どんだけ努力しても叶わない・・どころか、真逆に展開するような現実、八方塞がり感が、ほんとうにきつかったと思います。
自分もこの1週間ぐらいで、まるで人生を圧縮して再体験するような感情のアップダウンがあったので、すごくよくわかります。
ミミさんには、できれば、穏やかに「本質の愛」に戻れたらいいなと願っておりますが、自分自身の直近の経験からしても、「(エゴ的な)ほんとのほんとにもう限界!」がくるからこそ、「強制的に、自分の本質に向かい合わされる」というパターンもあります。
エゴの大嵐の中だからこそ、ずっと変わらずぶれない、ミミさんのあったかい本質も、わかりやすくなるはずです。もう、外側の自分からは見えているのですから。
最新記事では、ミミさんへの感謝の思いも込めて、いま自分が表現できるありったけをぶつけて書いてみましたので、そちらも何か参考になったら、とても嬉しく思います。
話変わりまして、ミミさんのパートナー(確定)が、評価された、って出来事、うれしいですね。
前回の
「トンペイさんが、本当の自分在り方でいられる様に意図しています!」
が自分に効いたように、ミミさん自身が、じつはすっごい力を持っていて、それが、ミミさんの世界で、もう現象化してる、ってことではないでしょうか
自分も、彼女が昇進したり、いろんなお客様からかわいがられたりするのも、自分のおかげだと思ってます笑
自分が認識してる世界だから、当たり前ですね!
いったん、自分の中での探求の旅は終わったんですが、まだまだ書きたい事はあるし、ミミさんともお話したいので、またいつでも、書き込んでくださいね。
アドバイスというとおこがましいですが、また今までとはちょっと違う視点でお話できる気もするので。
本当にありがとうございました!!
とんぺいさんの今の状態、ネドじゅんさんの言う「左脳の逆襲」なのかな、と。彼女は右脳左脳という考え方なので表現が違いますが、私達で言えば「エゴの逆襲」ですよね。
このままだと存在できなくなると察知したエゴの最後の抵抗。
歯の神経が死ぬ前って物凄い痛みですよね。断末魔の叫びというか。
もう、ロキソニン2つ飲んでも効かない、みたいな。
そして神経がお亡くなりになると嘘のように静かになりうんともすんとも言わなくなる、あの感じ。
認識が大きく変わり、このままでは自分が存在出来なくなる危機を感じたエゴの最後の断末魔の抵抗なのではないか、と感じました。
私はそこまで大きく認識が変わらないのでそんなに苦しくなかったけど、とんぺいさんはきっともうホントに手前にいるのでは。。
「もうどうでもいいや」が手放し、丸投げになっているかも知れませんし。
今辿り着いた「もうこれしかない」というメソッドで苦しさから抜け出せますように。
>ななこさん
毎度、ありがとうございます!
ななこさんと知り合って、まだ数日・・なんですが、
その数日が、過去10数年の密度だったと思えるぐらいの目まぐるしさの中で、
アレコレ書き散らかし、ご心配もおかけしてしまったかと思いますが、
さっき記事投稿したように、ななこさんのブログがきっかけなのですよ。
そして、メソッドをはじめて、半日もたたないうちに、「認識の変更」ができました。
なにか特別感動するようなことはなく、「あ、これだ」ってあっけない感じでしたけど。
「ネドじゅんさん」については、まったく存じ上げなかったのですが、ななこさんが書いてくれた、「エゴの最後の断末魔の抵抗」というのは、まさに、だと思います。
「もうどうでもいいや」も大きかったですね~
限界まで酷使された、エゴが音を上げた、降参したんだと思います。
なんだか、いまは書きたい事が止まらないので、またもろもろ投稿しますね。
ななこさんに、安心した穏やかで幸せな時間がおとずれますように!