「愛」vs「怖れ」

よくも悪くも、変化の真っ最中

昨日はホントに、自分の中の愛のエネルギーの循環が起こっていて、

「もうエゴはがんばらなくていいよ」

って感じだったんだけど、それがいきなりこれだもんなぁ・・・昨日のブログ書いてから2時間も立たないうちに、次々不足が現象化

彼女との間では、今日もまた嬉しいことがあったんだけど、もう彼女との間ではエゴが生きていけないと悟ったのか、急激に仕事方面で騒ぎ立てている

悪い意味では、もう会社の状況が悲惨

重い責任

たまる一方の仕事

1人でやらなきゃ

罪悪感

客の恫喝

全部自分のせいにされる

仕事が高度な割に報われない

無力

疎外感

「自分ばっかりいつもこうなる」という、被害者意識

とにかく色々出てくる、出てくる。

不満、不足、不安、不幸・・・ないないのオンパレード。

エゴが「世界」としての自分に対して反発してる、なんでこんな人生にしたんだよ、って。

「言い訳ばっかり言ってないで、社会の常識に従え」ってエゴ

とにかく、いまのエゴは「これからもっとひどいことになる!」と、不幸な未来をこれでもかとイメージングさせてくる。

ネガティブなエゴ、特に自分自身を執拗に責めるエゴは、「怖れ」なんだと、いろんなとこで言われている気がするけど、すごく納得。

いい意味

いい意味では、それだけのネガティブに耐えきっていること。

以前だったら、発狂していたような状態でもあるし、「もういますぐ会社やめる!」みたいな「行動」に出ようとしていたんだけど、

それでも、愛が安定している。

エゴの愚痴を、となりで優しく聞いているような・・・というか。

完璧な状態と、エゴエゴ状態をいったりきたりしていて、まるで「怖れの引力圏」から飛び立とうとしているロケットのよう。

それにしても、エゴというのは、たとえ「不幸」であっても、それを自分の「アイデンティティ」として保ち続けたいんだと感じる。自分の病気だってそうだ。「かわいそうな私」を演じ続けたいエゴ。ほんとに、冷静なときに振り返ると、何を言ってるんだかさっぱりわからないけど、愛なんて信じられない、期待するだけ無駄、だからずっと不幸でいい、みたいな、拗ねてこじれまくっているエゴがいる。

エネルギーの解放

以前から書いているけど、自分はいったん暴れ出したエゴと、「対話」するのが絶望的に難しいタイプなので、そういった「感覚」的なことのほうがなじむ。

自分が思い出したのは、下記の自己観察さんの記事

えっと、割とうまくいってるけど次々に不安が沸いてくるということですよね。
これはエネルギーの解放が起こってるんだと思います。

エネルギーの収縮が起こると「私」という感覚が起こるんですが、
そこに色んな反応パターン、感情エネルギーとかが絡まってて、
それが「私とはこういう人間だ」という「私」の構成要素になってるんですよね。
不安は自分ではない、ただのエネルギーだというのはこういうことなんですね。

で、気づいてることによって収縮が緩んで不要なエネルギーが解放され浮き上がってきます。
認識が進むとより深い層での解放が起こるので、行ったり来たりを繰り返してるようにも感じてしまいますね。
それらが解放されていくと、よりクリアで軽やかになっていきます。

で、いまここに在るときにそれが起こるのはとても楽なことなんですよね。
例えば実際の人間関係や出来事の中でそのパターンが出てくると、結構しんどかったり拗らせたりしますしね。
あまりまとめて解放が起こると、一種の好転反応的みたいに落ち込んだりすることもあるかもしれませんね。
そういう時期は無理をせず、ゆったり過ごすといいと思いますよ。
気がつくと「そういえば軽くなってる」と実感できるようになるかも。

繰り返しってのは、解放されないで再配達のようにループしてる場合と、
解放してるけど、同じようなエネルギーを解放してるから繰り返しのように感じてしまう場合とあって、
これはどっちだろうとか考え出すのは無意味ですが、気づいていれば解放されていきます。

自己観察式73 気づいてる意識は、エゴの訴えが幻想であることに気づいてる | ザ・チケット板☆備忘録

「エネルギーが収縮したものがエゴ」と考えるのは、すごく感覚的にしっくりする。怖れで、「キュッ」と縮こまった状態というか。

愛の状態は、やっぱり、空間が広がっていく感じがするもんなぁ。だから、これが、また認識が変わっていく過程であると信じたい。彼女との間だって、そうとう鬱屈した感情が溜まっていた半年ほどは、ホントにひどい状況だったし。

ただ、これを積極的に「自愛」として、解放していくのがいいのか(=エゴの存在を認める)、「なんか勝手に知らん人が泣き叫んでいるけど、自分はおうちで気持ちよくホカホカしてよ」みたいに、エゴを完全スルーするのか、それが、どっちがいいのか、なんか悩んでいた今日1日でした。

受け入れやすい考え方としては、「毒出し期間・・・デトックス」なんだと思うんだけど、インナーチャイルドあれこれやってて、どうしてもマッチポンプ・・・不幸な過去を創造で作り出しているだけ、みたいな気もしてきちゃうので、「自分は愛だし、エゴなんて知らね」と切り捨てたい自分もいる。がー、またそうやって無視することで、エゴが発狂するんだよなぁ・・・

ほんとたちがわるい。

指針は「心地いいかどうか?」

以前に友人からもらったアドバイスを思い出していたんだけど、それは、「理屈じゃなく、いまの自分が心地いいかどうか?」で決めて、ってもの。
愛に浸っているときが心地よいときもあれば、エゴを見守っているときに、自然な心地よさを感じることもある。

コメント

  1. しゅー より:

    >tonpei様
    前前回の記事でシンクロしましたね!
    「こぼれおちる」…文字にしようとすると<にんげんたい>は、それを記憶のアルバムのなかにしまい込んでオシマイにしてしまいます。。。
    フィーリング・体験を言葉にするのは本当に難しいですし、完全に腑に落ちるまでは上記のような危険性もありますので、ご自身の備忘録として記録に残すための文章化は、すこし時間をおいてからの方がいいかなと思います。

    言葉の表現・・・別の領域、既に在る、7章、、、この辺って「知っている人」のために書かれたもので、知らない人には何も説明してくれないんですよね。
    でも、探し求めている人は、ここに真理のにおいを嗅ぎつけて食い下がります。
    そういった全努力が実を結んで気づきに至るものだと思いますので、今はお辛い時期かもしれませんが、どうかご自分を信じて迷わず突き進んでいただきたいです。どんな時でも、何があっても自分を信じること、それこそが「自愛道」です!
    その大切さを私はこちらのブログで教えていただきました。tonpei様は私の師匠であり同志デス(と勝手に思っています(笑))。

    感情は大事ですが、あくまでも出来事への反応です。一つの判断要素ではありますが結果でありすべてではありません。それは生成物であり、いづれ過ぎ去っていくものです。ベースとなる意識は、揺るがず騒がず、いつでもそこにデンとたって物事を見ているだけです(だからスクリーンに例えられるのです)。そこに真理があります。

    ご自身を信じ続ければ、気づきは必ずややってきます。それは古来から「天国の扉を開くカギ」「青い鳥」「楽園への招待状(チケット)」と呼ばれていました。共通しているのは、それらは全て自分自身のごく近くにあるということですね。

  2. tonpei より:

    >ミミさん

     ありがとうございます。

    オカン自愛や、ヤモリさんの記事をきっかけに、理論と実践と気づきがミックスされているようで、ミミさんも、もうかなりの「独自路線」で駆け抜けていて、いい感じですね。

    昨日みーさんともお話したんですけど、個々の認識が深まれば深まるほど、他人とは違う道=自分にいちばん適した道、になっていくようです。

    「ピュアなエゴの人間体」という、ミミさんの独自の概念をベースに、充足の世界をたくさん出現させてください。
    自分にとって、一番自然でシンプルなのが、一番いいですからね!

  3. ミミ より:

    トンペイさんありがとうございます♪
    行く着く先は同じでも、本当に個人、個人でルートは違いますよね。
    何が幸いするかわからない世界です。

    トンペイさんも大分復活されたご様子で嬉しいです♪

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