こちらの記事をリライト気味に
限りなく幸せを求める魂
週末は、また彼女から「楽しくって幸せだった~」って喜んでもらえたんだけど、その嬉しさも冷めぬ間に、今度は彼女に、びっくりするような嬉しいことが起きた。
お膳立てをしたのは自分なので、まぁ自分の現象化、とも言えるんだけど・・・なんだろうなぁ、彼女が過去一喜んでくれるような嬉しい出来事だったので、LINEが止まらなくて。
お互い仕事忙しい時期なんだけど、前祝い出来ることになって、それもまた嬉しい。これからのこと考えたら、嬉しくて寝れなくなってしまった。
大好きな人の幸せな現象化というのは、また自分とは全然違う嬉しさがある。やっぱり今の自分のベースは、こまけぇさんの初期から気に入っている記事通りなんだなって思った。
ただ、その「充足感」がもっともっと嬉しくてもいいんだ、と。
「しあわせ~」って感じるピークは、まだまだ果てしなく、もっともっと、喜んだり、嬉しい気持ちを味わっていいんだな~って思った。
こまけぇさんも書いてたけど「謙虚すぎ」たのかもしれない。
そしたらまた、自分のお金面でも予想外の現象化があって・・・そんなことも、なんだか自分を後押ししてくれている気がする。
というわけで、あらためて、今の自分の心境にピッタリしてる、こまけぇさんの厳選記事をどうぞ
こまけえさんの超・重要記事
というわけで、こまけえさんの「叶っている」関係の記事抜粋をひたすら貼り付ける。
一番は、この記事
そこでこまけえさんのブログにイメージングについて書かれているところを読み返していると、
『小ネタ集―波動、イメージング、好転反応に答える』と言う記事の中に
「見えているこの世界自体が強烈なイメージングみたいなものです。つまり、見えている現実もイメージングの情景も本質的には同じことで、そこに現実やイメージやら境を設けているのはエゴちゃんですので、エゴ的な観点を引っ込めてイメージングをすれば、イメージングはイメージングじゃなかったと気付くかも知れません」
という部分を見つけました。
現実とイメージングの情景は同じ、現実とイメージの境を設けているのはエゴという文章を見て、何かその時私の背中を押してもらっているような気持ちになりました。
それからこのイメージしている世界は本当なんだと強く意識しながら、イメージングするようになりました。
エゴが現実を認識するように、イメージングの世界を現実だと設定し、初めは就寝前など一人の時にだけ目を閉じてしていたのですが、徐々に日常からイメージングする様になり、思えば「なる」に近いような感じになっていたと思います。今目の前に見えている現実は嘘だと退けて、ただ自分のイメージする理想の世界が本当だと思い続けました。
すると続けて行くうちに不思議と今までの不幸だった自分に違和感が出始め(自分じゃない他人のような感じ)、イメージしている理想の自分こそが自分であるという感覚に自然になって来ました。
それまでは理想の自分をイメージしても、どこかでイメージングの中だけの空想のような感じでしたが、何だかすんなりとそれを受け入れられるようになりました。
イメージした理想の自分が内面の中でしっくりくると、このままで叶っているんだからと未来に対する期待とかもなくなり、現実は気にならなくなりました。不快なことが現実に起こっても、それが他人のように淡々と流れていく感じです。
すると皮肉なのですが、現実はどうでもいいと思えた時から、現実が急に動き始めたんです。
1ヶ月足らずで本願が叶い(恋愛関係です)、もう一つあった2番目の願いも来年に叶うことがほぼ確定しました。自分からは必死に何か行動したわけでもなく、勝手に世界がそう回っていき、何かドキドキしながらも、当然のように思ってる自分がいました。(本当にこれまで成功した人たちがよく語っていた感覚と同じたと思います)
正直なところ今でも自分がいなくなったり、不思議な体感があったわけでもなく、自分=世界を深く理解はできていませんが、とにかくこまけえさんの言う通りにイメージと現実の垣根を取り除き、徹底的にイメージング(なる?)をして、内面だけを真実とすることで、突き抜けることができました。
【読者様からの嬉しいご報告】~イメージングで突き抜ける~ – こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!
「実践」に関して、絶対やりきりたいのは、これ。
と言うのも、私が根源的に求めていたものは「〇職セレブ」というよりは、金銭や時間に縛られない自由なライフスタイルにより得られる「解放感」であり、リーマン生活からの脱却や不労所得といったものは、そのツールとして立ち上っていただけでありました。
ですから思い返してみますと、私が「なる」的なことを実践する上で意識していたのは「解放感」そのもので、もちろんその前提としては不労所得を想定していましたが、現実を含めた今が理想の世界であるならば、自分は今どのような気分で過ごしているだろうかということを常に意識しておりました。ここの部分を過去記事では「思考をねじ込む」と表現していましたが、上記のように
「(充足を前提とした)気分をねじ込む」
という表現の方が近いような気がしたので、加筆するに至りました。
その「気分」というのは言ってみれば「在り方」みたいなものですが、在り方という表現がいまいちピンと来ないという方もいらっしゃいましたので、今回はあえて「気分」という言葉を使ってみたい気分になりました、テヘッ。
いずれにせよ、願望というものを掘り下げていきますと、我々が希求しているものは物質的な充足ではなく、それをツールとした「幸せ」や「安心感」といった内面(気分)の充足なのです。内面の事象であれば、それは時と環境を選ばず、瞬時に生成(実現)することができます。そして、それ(気分=内面)が本当の今(リアル)なのですから、放って置けば現実が後からディレイ放送をしてくれるのです。
金と女が降ってきた物語―私が〇職になれた理由〈番外編〉⑥ ~願望の根源~
現象化していない世界を、現象化している世界に変化させようとすると、
「現象化していない世界を、現象化している世界に変化させよう」が、
現実という鏡に映ります。あなたの望みは、願望を叶えること ではないですよね?
すでに願望が叶っていてウハウハしている状態 が望みですよね?
おそらく今は、「なんとかして変化させよう世界」が鏡に映っているのだと思います。
なのでウハウハ世界を映したいならば、ウハウハ状態にあなたがなるといいです。しかし一般常識ですと、願望が叶ってもいないのにすでに願望が叶っている状態になるなんて不可能にきまっているじゃないか!となると思います。
そうすると、「願望が叶っている状態になるなんて不可能にきまっている」が映ります。―通りすがりの達人―
私が影響を受けた「まとめサイト」の書き込み!!|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!
この記事もすごく好き
ご相談の趣旨は、内面で理想の自分になり充足に浸ってみても、すぐにつまらなくなって、またいつもの不足の立ち位置に戻ってしまうということですね。直接的な私への質問としましては、常にウッキウッキを感じていたのかというものですが、さすがに常にというわけではありませんでしたが、なるべく意識するようにしていました。ある程度まで徹底していきますと、自然な在り方として定着していきます。
ただ、充足そのものを無理に創出して感じるというものではなく、
今この瞬間、この世界が理想であると意識の立ち位置を変えた時に自然と湧き上がってくる副次的な充足のことです。
もし、無理に「充足」「充足」と気分や感情を追い求めているようでしたら、その前提となる在り方に注意するように心がけてください。
【読者のお悩み相談室】~充足はオセロのように~ – こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!
何を呟くかということなんですが、個人的には「叶っている状況」ではなく、「叶っている状況での感情」を採用する方がベターかなと思います。例えば、A作さんと結婚したいという場合、「私はA作さんと結婚している」「私はA作さんの妻だ」的なことより、A作さんの妻であることをリアルにイメージした時に湧き出る感情、つまり「なんて幸せなんだろ」「ああ楽しい」といった感嘆文的なものです
こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!|「アファメーション」よ、もう一度
力技系、と呼ぶべきか
「ねじ込む」っていう表現が好き
過去に何度もお伝えしたように、私は「自分=世界」を前提として、内面に理想の自分を強引にねじ込んでおりました。そうしているうちに、自分の在り方で世界の見え方が変わるんだということを何となく肌で感じ、内面を軸にした主(内面)従(現実)関係を確立するに至りました。ただ、この時点ではある意味「自分=世界」を活用した洗脳の結果で、振り返れば現在の自分に定着した認識とはかなり距離のあるものでした。
それでも徹底した実践は内面から不足を弾き出し、充足を迎える余地を与え、徐々に現実が動き出したのは既報の通りであります。スピ的な体感があろうとなかろうと、どんなアプローチを取っていようがいまいが、とにかく内面さえ変われば現実は勝手にそれに応じて変化していきます。
悟り的なことを求めている修行者のような方は別として、私のような煩悩の欲求を満たしたいだけのスケベエな御仁であれば、体感を求める必要はありません。ただ、内面を変える。内面が変われば世界の見え方が変わります。その見え方がそのまま世界の設定になるだけです。これは様々な気付きを経た現在の私の結論でもあります。体感を求めるまでもなく、メソッドなどを通して内面と世界との連動を見ていけば願望は叶っていきますし、それと並行して「自分=世界」も体で落とし込めるようになっていきます。
スピ的な体感を求める必要のない理由!!|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!
まとめ
最後の記事が、いちばん納得感が出てきているんだけど、今まではその「内面が変わっている」というのが、どういう状況なのか、わかっていなかったんだと思う。
たとえば、知識を重ねて、気づきみたいのがあって、「これで叶うぜ」ってウキウキしてる!みたいな状態は、自分にとっては「エセ充足感」だったというか・・・ベースは「ない」だった。だから、どんなに嬉しくても、現象化しない。
そうじゃなくて、自分にとっての「充足」ってのは、108さんのいう「ラーメンうまい!」的な「実像」。頭で喜んでいるじゃなく、体が感覚として感じているモノ。
いまとなっては、自分が認識変更しているかどうかはどっちでもよく、ただただ、内側の叶っている充足感、実像に浸っているだけ。その充足感が、にじみ出るように世界に設定されるんだなぁ・・・それを、内面の感覚としても、実際の現実としても、納得してる。まさに、こまけぇさんが最後に書いてる
「内面と世界との連動を見ていけば願望は叶っていきます」
ということだし
「自分=世界」も体で落とし込めるようになっていきます。
ってことだと思う。
仕事が忙しくなっちゃって、もろもろ慌ただしいところはあるけど、まえはそれを「意識状態になってネガティブをスルーするぞ」みたいなとこあったけど、もはや自分が意識かどうかなんて、どっちでもよくって、ただただ、幸せに浸る。
現象化こそ、エゴを黙らせる特効薬。
コメント
tonpeiさまみなさま、はじめまして😊
いつもブログ、興味深く、楽しく拝見させて頂いております。
いきなりですみませんが、私からも一つお聞きしたい事があります🙇♀️
例えば、自分の意識で自分以外の周りの人達の健康なども引き寄せられますか❓
以前家族が大病を患った事があり、また具合が悪くなってしまったらとの不安があります💦
その思考も人間体のエゴだとわかってはいるのですが……
確か、こまけぇさんや108さんは、自分=世界なので引き寄せられると仰っていた気がしますが、みなさんのご意見を聞かせていただけたら嬉しいです🙇♀️
>みーみーさん
はじめまして。コメントありがとうございます。
「自分の意識で自分以外の周りの人達の健康なども引き寄せられますか」というご質問は、ご自身でも書かれている通り、非常にエゴ目線なのですが、2つの点で危険だなぁと感じました。
1つは、「自分=世界」を、「自分がなんでもコントロールできる」という意味で受け取っていると、いつまでたってもエゴから抜け出せないだろうな、ということ。
2つ目は、「周りの人の健康を引き寄せるぞ」と意識することで、結果的に「今、健康でない周りの人」を作り出している(不足に焦点が当たっている)ということ。
「彼女の仕事の忙しさを何とかしたい!」と思っていた時期は、彼女の仕事が増えるばかりでしたが、自分自身の幸せ・充足感に集中するようになってからは、「ヒマか?」(角田課長)と思えるほど、一緒に過ごしてくれる時間が増えました。
ご家族が健康に過ごされていれば、みーみーさんは、どんな気分で毎日過ごされているでしょうか?
というのが、私が最終的にたどり着いているアプローチです。
というか、こまけぇさんそのまんまです。
それでも不安のほうが大きければ、自愛をはじめ不安に向き合うアプローチもいろいろありますので、みーみーさんにあう実践方法を見つけるのが一番の早道かと思います。
ご参考になれば幸いです。
tonpeiさん
ご返信ありがとうございます。
まさにです。
今朝から激しい揺れもどし…
エゴ丸出しです。
tonpeiさんのブログはずっと読ませていただいてました。
いつも分かりやすく、その時の心境を事細かく残していただいていたおかげで、
気づきがきても揺れもどしが来るであろう、でもまた本来に立ち返る事は出来るという自信になってました。
tonpeiさんは私の中の道標になってるんですよ😊
こうして場を設けて頂かなかったら先に進む事も出来ませんでした。
本当にそうですね。
現象化してこそだと思います。