エゴを消したくなる系の記事

書きかけだったのでUPするけど・・・やっぱ自分はこういう方向ではない。

「自分を責める」という悪癖

「自分を責めるのをやめたい」というのを認識させるように、ふだんならやらないミスが連発した。

彼女の友人から言われた言葉が、なぜか妙にひっかかってしまい、ずるずるずるずると、ペインボディモードに。でも、そんな自分なんているんだろうか・・・

壊れたレコード

エックハルトトールの本にそんなのあったな、と思って調べたら、とても興味深いブログを発見。じっくり読んでしまった。

エゴは自分が本当の自分であることを証明するために必死ですから、自分と同一化できるものを無意識に探し求めています。対象がマイホームであれ、スーパーカーであれ、役職であれ学歴であれ国籍であれ、何でも同一化の対象となります。

エゴは「〜な自分」と言えるものを何でも取り込もうとします。かけがえのない自分と言う幻の自己意識を確固たるものにすべく、自分の一部にできるものを探し続けています。有形か無形かも関係がありません。それどころか、良し悪しすらも関係がありません。

エゴは手元に同一化できるものがなくなったとき、典型的な戦略として不幸なドラマを同一化の対象とします。ですから、エゴは必ずどこかで不幸を引き寄せます。「もっと多く」を求めるエゴの期待に答えられなくなった時、それはやってきます。不幸で惨めな自分という形で、簡単に自己意識を強化できるからです。

過去の経験に対する自分なりの解釈である物語は、エゴの大好物です。それが真実であるかどうかは問題ではありません。そして、物語は未来の見通しにも適用されます。自分は何をやっても駄目であったから、これからも駄目なのであろうと言うとき、エゴは物語を使って過去と未来を同一化の対象としています。

エゴの支配下にあるとき、人は過去と未来ばかりに目を向けます。幻の自己を前提とするエゴの原動力は、不足感だからです。

このような際限のない同一化の中で、思考が「本当の自分」などではないことをすっかり忘れてしまいます。いえ、最初から本当の自分など知らなかったのです。なぜなら、そんなものは存在しないからです。

エックハルト・トール氏はこのような状態を思考を使っているのではなく、思考に使われている状態であると表現します。思考は適切な状況の下でコントロールされていれば強力な武器となりますが、野放しにしていると人間に悪影響を与えるのです。

スピリチュアルを馬鹿にしていた私が、スピリチュアルに救われた話 | jMatsuzaki

自我殺

んでもって、最後に思いついたのがこまけぇさんの「自我殺」ということば

基本的に現実に軸を置いていると、受け取ることは難しいでしょう。現実に軸を置かなければ、思いついた時点で既にそれは受け取っていることになります。願望を想像する時には必ず叶っているという完了形の状態ありきですから、そこで現実の干渉を受けない限り、既にそうなっているのです。文面の最後にある「もうどうしたらいいのかわかりません(;_;)」というのがいい例です。なぜ何かをしようとするのでしょうか。現実の干渉を受け、エゴが「叶っていない」という前提を敷いているからですね。

現実が目に入って内面がブレるのであれば、やはり、このエゴの主張する「叶っていない」という前提を疑う逆のアプローチに舵を切るのも一つの手です。結局、叶っていないと判断しているのはエゴなので、そのエゴの尻を叩いてどうにかしようというアプローチではなく、そのエゴの判断を虚構だと看破していく方向です(私は併用していましたが)。まあ、判断というかエゴそのものを見抜く感じですが。

きゅーさんは上に引用したように長文の書き込みを行いましたが、これはきゅーさんが見ている世界の見事な描写と言えます。その世界を見ているのは当然、きゅーさんですが、エゴというフィルターを通した別人格のきゅーさんです。つまり、別人格のきゅーさんが長い書き込みをしているわけですから、それは本来のきゅーさんではないので、その全文を何言ってんだコイツ視点で眺めましょう。するとそれは別人格のきゅーさんの世界とはズレた本来の立ち位置(主体的な意識)に戻っていることになります。

本来の立ち位置に戻るという表現はある意味ソフトなものなので、活をいれる意味でもっとハードな表現をすれば、ひとまず内面から湧いてくる声は嬉しいもの苦しいもの全部含めてエゴから生成された毒物なので、全てを相手にしないことです。もっとツッコんで言えば願望に対しても相手をしないということです。ある意味それは崖から「自分=世界」という海に落ちていく「自我殺」ともいえますが、そこに勇気をもって飛び込めるかどうかです。飛び込めば角度が変わるというか、必ず視界が広く開けてきます。意地になっていらっしゃるようでしたら、一度全てを捨てて飛び込んでみてはいかがでしょうか。

崖の上のエゴ ~「自分=世界」の海に飛び込めますか?~|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!

叶っているなら、何もする必要ない

参考にしている情報がエゴ目線・・・というか、エゴを前提としている。

願望も勝手に浮かんでくるなら、何もする必要ないやんけ。

「自分で決めている」

これ何か、っていったら、「命綱を切る」ってやつだよな。

最後までコントロールしたがっているエゴを手放す、と。

コメント

タイトルとURLをコピーしました