統合

未分類

2週間前ぐらいからちょこちょこ書き進めていたら、よくわかんない内容になってきたので、とりあえずUP。の後編。

不足の権化

前回の記事からつながるのが、このこまけぇさんの投稿

前回ご紹介させて頂いたクジラさんは私を真似て力業路線を採用されたようですが、それぞれのアプローチには向き不向きがございますので、何かに惑わされることなく、ご自身がしっくり来るやり方を追求してください。

その上で力業路線で行こうと思っている方にアドバイスを送るとすれば、自分の思考習慣をしっかりと捉えることですね。「こうした時にいつも自分は現実を見て鬱になるな」とか、大体不足を感じる場面ってパターン化されているんですよね。

例えば私の場合でしたら、まず朝起きた瞬間に「会社に行かなきゃ」という思考が瞬時に湧いてきて、冴えないリーマンという自己を確定させていたので、とにかくこれを改めることにしました(どこかで書いたような、いないような…)。目覚めた瞬間に何も考えないか、違う思考をねじ込んでいたか、具体的な対処法は忘れましたが、とにかく何か策を施していました。

これは寝起きだけではなく、トイレに入った時もそうです。小便の時はそうでもなかったのですが、大便の時も壁を見ながらいつも似たような思考ばかりを繰り返していたので、これも改めました。その他にも仕事の帰り道など数えれば切りがないですが、そうした現実と絡み合いパターン化された思考習慣をとにかく重点的に改めていったわけです。

この思考の習慣こそが自己の正体で、この習慣とはほぼ不足の習慣ですから、つまりあなたという存在、潜在スピ子という人間そのものが不足の権化なんです。

故に自分(自己)を止めれば、不足も止まって充足しかなくなるので、逆説的に不足の習慣を改めて行けば自ずと既存の自分も消え、新たな自分が現れて来ます。それが本来の自分やら別の領域やら色々と名付けられているものです。

思考の習慣を把握する|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!

「自分はいない」の新解釈

先週ぐらいから、「統合」って言葉が、なんか浮かんできたんだけど。

最近、こまけえさんの記事(【読者様からの嬉しいご報告】~ 不足ばかりを見ていた~)が投稿されたのをきっかけに、久々に掲示板(というか、コメント欄か)を読んでて、だいぶ質の悪いコメントもあるなぁとかは思いつつ、同じように、先月からの諸々のエゴ祭りの中で、「多重人格」みたいな自分もいて、いろんな自分を認識できる自分がいて。

本心はひとつではない

って意味で、固定化された自分はいない、のかなと思った。

「選ばない」

ひとくちに「エゴ」といっても、いろんなタイプのエゴがいて、ここでは、「ある特定の思考・感情の流れ」だということにして、

何か浮かんだ「考え」を、無条件採用している、同化しちゃう自分に気づく

なんというか「好きな」エゴ、もいるから難しい。慣れ親しんだ自分のパターンというか・・・一体化することに違和感のないエゴね。

「正解を求めるエゴ」がとても強いんだけど、だからこそ「判断しない」ってことにもなるかも

「直感」を疑う

同じように、直感についても、無意識で採用しやすい部分だとおもう。

厳密には「直感」「直観」で違うんだろうけど、今回は同じニュアンスで

旧態依然のスピリチュアルだと「直感は魂からのメッセージ的」なところがあったんだけど、ためにならない直感は採用する必要がないわけで。

自分のエゴの根っこ

自分でいえば、「怒っている、イライラしている自分が許せない」、みたいなところだな

「不幸を感じる」ことを、許せない自分、というか。エゴの反応の中でも、直接的な反応ではなくて、「反応」をコントロールしようとする「エゴ」

まぁ、普通に考えたら、「嫌な気分を感じたくないのは当たり前だろ」と思うかもしれないけど、そこにするっと、巧妙にエゴが入り込んでいて、コントロールしようとしている。自分が主役になろうとしている。

「不安」とかも最たるものかも。

未来を「こうなるかも」と勝手に決めつけた上で、勝手に対策をはじめる。

「大前提」を書き換えてしまう

エゴでなんかやろうとしてる系

知識が増えれば増えるほど、他人にとっての正解でしかないルールに縛られてしまう。

 「ならねば、、ならねば、、」 なにか先を目指している。実現を遠回りさせてしまう。

・意図ができてないんじゃなかろうか?

・不足を向いてしまっているんじゃないだろうか

・これは執着を手放しているんだろうか?ただあきらめただけで、この先叶わないのではないだろうか

そんな、いったり来たりの迷いの思考の原因になる。

「唯一絶対の正義」は、「既にある」、なのに。

許可も必要なの?

こまけぇさんの直近の記事も、以前ストレートにコメント書いてた「ねこねこ」さんの投稿だから、いいなぁと思っていたんだけど、

【読者様からの嬉しいご報告】~如何に自分に許可できるか~

「愛し愛されるパートナーと幸せにすごす」なんて、誰もがもっている本質的な願望だと思うんだけどね。

「許可してないから駄目なんだ」とか思っちゃうと、「許可しなきゃ!」「どうやって許可したらいいんだ」ってホント負のループ。

「なにかやろう」としちゃう。

エゴがいなくなると、ただ、たんたんとしてくるから、「別に結婚しなくても、ひとりでも不足はない」みたいなモードなんだけど、そこに「ずっとひとりかも・・・」ってスルスルっと入ってきて

・なんかエゴがむなしくなってるんだよなぁ

・「無はさびしいんだよなぁ」

かなしみがくっついてる感じはする。以前はよく書いてた、「感情がこびりついている」というやつだ

「これが自分だ」という大前提の認識。

スーパーエゴ

そうやって自分のエゴをひたすら見つめていくと、原点みたいのがあって。

エゴの中でも、常に他のエゴの上に立とうとするエゴ。エゴをコントロールしようとするエゴ。スーパーエゴっていうんだっけ。

自分の中の「優秀さ」の象徴

それも含めて、「ぜんぶエゴ!」と、分離から抜け出していく
 
エゴの奥へ、裏へ。

こまけぇさんでいえば、「バックをとる」、だ。

全部思考却下

そうなると、もうこういう方向になるわけで

ですから、普段出てくる思考や感情はオートマで錯覚で幻なのですから、有無も言わさず全て却下していけば、最後は「既にある」しか残りません。これだけでは意味不明なので、少し実践してみましょう。

「あなたの願いは既に叶っている」と「〇〇〇〇ム〇〇〇」さんら達人が口にした時、それを聞いたあなたはどんな思いに駆られましたでしょうか? おそらくほとんどの方が「いやいや、叶ってねーしwww」であろうかと思います。当然です。現実では「かわいいあの子が彼氏と手を繋いで自分の前を横切っていく光景を今見たばかりなんすよwww」。はい、一旦ストップです。ここで普段から再三私が申し上げていますように無駄な関連付けや、過去の映像だと割り切るのもありなのですが、今回はあらゆるエゴ(思考)の全てを却下するという豪快なアプローチですので、ここで採用するのは「その光景すらもエゴが感じているものなので、その光景そのものが嘘だ」という認識です。現実の光景を前提とした関連付けの放棄などではなく、現実の光景それ自体を採用しないのです。「いやいやだってこの目で見たしwww 嘘なわけねーじゃんwww」と間髪入れず思考が被ってきますが、それもエゴの戯言ですから却下です。「そんなこと言ったって目の前に現実があるじゃんwww」。目の前のとか視覚を持ち出してきますが、視覚も当然エゴなのでまた却下です。「ちょっと待ってwww」。待つとかもファンタジーなので、思考(感情)はとにかく全て却下です(以下ループ)。

とにかくこまけぇことを考えずエゴを却下していきますと現実の意味合いが薄れ、消滅していきます。すると何が残るのでしょうか? そうです、ただの認識だけです。その認識は反応としての認識ではなく、現実に干渉されない、主体的な認識世界です(ここは感覚的な表現です。厳密に言葉の意味を捉えようとしないでください)。

そこでは充足でも不足でも、それを「在る」と認識できた時点で、エゴが感じていた現実の定義づけがなくなったわけですから(その障害を幻と見抜いているので)、それが本来の意味での現実となる(知る)わけです。故にタイムラグのない、「願望=実現」(認識した時点で既にある)ということになるのです。

「そんな簡単に却下できないんすけどwww」。だから、却下できるできないと反応をしているその構図(システム)自体が嘘(バグ)なのよ!! その当たり前と思っていた構図が幻だとしたら、後に何が残るか体感してみればいい!! とにかく、五感(現実)ではなく、認識が先!! いい加減わかれ、エゴちんが!!! エゴが定義付ける幻の現実に囚われちゃ、何も変化はしないんですって!!!

現実が消滅すればそこは直結(願望=実現)の世界!!|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!

エゴが薄くなってくると、「無思考」になってくる

「関連付けの放棄」ともいえる

無思考への恐怖

ただ、そこから、そのまま無思考のまま突っ走れないのは、

「無思考だと何が起こるかわからない」という、いわゆる(本来の自分)に対する、(エゴの)不安、不信感

があるのかな~と思った。それがまさに、前述の「スーパーエゴ」がいちばん恐れていること。ほんとに巧妙に、するする~と、いつのまにか自分を乗っ取っている。

なので、やっぱり、「自愛」になる。

下記、こまけぇさんのコメント欄に登場した「雨」さん

でも、エゴが暴れているときは
目の前に展開しているように見える現実(でもそれは果たして本当か!?です)に
リアリティを持たせてしまいますよね。

どうしても、決めた自分より目の前に見えている(関連付け思考でそのように見えているだけですが)現実がリアリティがあるように感じる時は、

とにかく自愛です。

自分を愛するというより、
自分の中に湧き起こってくるものすべてをあっていいよとゆるしていく感じです。

みなさんおっしゃっているように自愛は究極魔法です。
誰でも認識変更できる道があるとしたら自愛です。

遠回りに見えるかもしれませんが、
ぐるぐるしたらまず自愛をおすすめします。

すべてをゆるしていくと、
自分のなかの「よい」「悪い」を外側に投影する必要がなくなってくるので、
世界のすべてとの分離がなくなり(必要がなくなるので)

自分=世界 が自然に腑に落ち、勝手に認識変更されます。

分離がない=すべては自分=わたしはいない

すべて同じ意味です。

https://komakeekoto.com/miosan/#comment-14043

めっちゃわかる。

結局のところ、「スーパーエゴ」は、

「この世界は不安と不満ばかりで、何とか行動して安心と充足を手に入れ続けなければならない」

という大前提のもとですべてが行動しているから、そんなエゴの大前提と同化しているからこそ、これまでのほとんどの人生がそういう結果になっていたわけだ。

このブログに書いたことあったかな?でも、そのスーパーエゴの望んでいることは、スーパーエゴ自身からの解放・・・もう「不安恐怖対策本部」は解散して、楽になっていいよ、ということなんだけどね。

楽になるために「不安と恐怖を監視し続けなければならない」という、謎ループ

「完璧」は便利

イウォーク師匠も思い出したりしてた。

あらためて、「完璧」をやってると、どんどんどんどん、自分が薄くなる・・というか。エゴがうすくなる。

とはいえ、理屈でアレコレ考え始めてしまったときには、やっぱり「完璧」の意図が便利だなぁと思う。そもそも、何が本当に自分にベストなのか、ってわからない部分もあるし。

108さんの「不足を疑う」も、本質的にやっていることは同じような気がしてきた

私もあなたも例外なくこの不足は存在してません。
原理は同じです。
“不足を消そう”じゃなくて、”存在してない”のです。
実際にあるのは充足だけです。
誰も自分の知覚を疑いませんが、そもそもの根本的な所を疑って下さい。

「この異動と思ってる現実自体、そもそもが存在してないんじゃないか?」

「充足しかないのなら本当は違うんじゃないか?自分の知覚こそが間違ってるんじゃないか?」

違うんだもん!存在してないんだもん!と思い込もうとして首だけを捻じ曲げるんじゃなく、「ここまで言うなら本当にこの不足は存在すらしてないんじゃないか?」と考慮してみるわけです。
実際には充足しかないので本当の事を正当に考慮したってだけです。
あなたの仕事はここまでです。

焦る不安な気持ちも分かります。
ですが、実際には絶対的に実像(充足)から出られないので異動になろうが、戻って来たりあなたと付き合う事になったりいくらでもどうにでもなります。

オリジナルコンテンツpart2 ユリイカ♪

「願望は叶うもの」

何度引用してるかわからないけど、これ。ちょっと別の方のコメントも含め再掲載

125 : 幸せな名無しさん :2013/11/07(木) 16:34:00 7CEN5YJg0

叶う理由が溢れているんだったらそれを見ればいいのに
なぜ叶わないんですかって間逆を見ているのか不思議で仕方ない。

ココでだけじゃなく認識変更やいろんな潜在意識の知識を願望達成に関連付けていると
「○○をやったんですけどなんで叶わないんですか」に結局なるよ。
その関連付けをやめましょう、がよしお式の関係ないじゃないのかね。

もう願望は叶っているが大前提なんだから、叶わないはない。だから関係ない。叶う理由もない。
それを理解できていないから、なぜ叶わ(ryがでてくる。

自分の耳障りの良い言葉だけを選ぶのじゃなく、今までのものをきっぱり捨てて
これ、というものを一つ決めてそれだけに集中した方がいいよ。

126 : 幸せな名無しさん :2013/11/07(木) 18:47:07 OBQYcc3A0

>>125
自分もそう思う。
質問してる人は大抵「なぜ叶わないんですか?」ばっか書いてる。
いやいや自分で見てんじゃん、そっちの方向。

>>121の言うように、

121 : 幸せな名無しさん :2013/11/07(木) 14:34:51 3AccbgMU0

認識変更してない人にそれいっちゃったらそらそうなるわ
願望は叶いますよ
認識変更とか関係ないから

認識の変更も関係ない。「何も」関係ないのよ。
「願望は叶うもの」これだけなのよ。
そう思えない⇒そう思えるようになりました
それを認識の変更って言ってるだけのこと。

そんで、それと関係なく願望は勝手に叶ってるよ。

確かに「認識の変更」っていうような表現しないと、話が進まないからみんなそう表現してると思うんだけど、それに振り回されないでー。
「達人」とか「メソッド」にも。
ただの言葉だよ。

足していって叶うんじゃねーよ、引いて叶わねんだよ。

まとめ

何を書きたかったのか完全にわからなくなってしまったけど、直近で自分が「これどうしても叶えたい」という願望がない(執着できなくなってきた)というのもあり、日常的に不快感のない生活を望んでいるのかな。

それで、ちょっと方向性がバラバラの記事まとめになってしまったかもしれない。まぁそれでもいいか、完璧に叶ってるし、というのが、今回のタイトルの統合ということかな。

コメント

タイトルとURLをコピーしました