ネガティブなときは、現実を疑うこと。自分の過去記事より部分転載
おかしいのは「現実認識」
・「知覚不全」「マトリックス」
・「現実」を「真実」だと思っている、自分の意識の焦点がおかしい。
・認識変更できていないと思っている自分がおかしい。
・この体の不快感も、おかしい
前提が「もう叶ってる。すでにそれはある。」これを採用するとしたら
「ある」はずなのに見えないのはなぜ?ではなくて。「見えないと思ってる」その思考(認定)
「なぜ見えないの?」「だって今ないじゃん」という思考。
そして、それらの思考に付随する感情それらが全部嘘で錯覚ということになる。
ということが腑に落ちれば、その嘘の思考、感情に振り回される必要がなくなる。
そんな思考に乗っとられそうになっても、その思考が錯覚からの認識ということに気づいていればOKだから執着がダメというわけではなくて、執着することの意味がなくなる。
執着自体が嘘の思考なので、嘘の思考に振り回されて苦しい、なんて
わざわざそんな面倒なことできなくなる。そういう意味で、執着しているということはそのことがわかってない
(嘘の思考に騙されてる)だから叶ったり叶わなかったり。エゴからの願望は叶わないのか?は、エゴは「ない」という嘘が前提で欲してるので、
終始そこから視点が変わらなかったら実現は難しい。うまく手放せれば叶うかもしれないけど。「ある」を採用するなら、今まで自分だと思い込んでた思考が、
実は自分のものではないんではないか、集合意識とか社会通念とか記憶、
そういったデータ(思考は単なるデータベース)が再生されてるだけなんじゃ?
と、自分の思考や感情を疑ってみるところから始めてみたらいいかもしれないと思った。思考が自分ではないとしたら、本当の自分とは一体何なのか。
その思考を採用するかしないかを選べるんじゃないか、とか。
そこに焦点を当てて感じてみたらいいんじゃないかな。別に悟りとかなくてもこの辺は適用できると思う。悟りがあるとしたらその先かも。
自己観察式 27 自分の思考、それに付随する感情、それらが全部嘘で錯覚
悟りたい人以外は、そこにこだわる必要全然ないよ。
現実無視の姿勢は、TGg5さんの「現実はコントロールする必要がない」にもつながるね。
しかし、実際は叶ったり叶わなかったりで願望食い入れ状態とは言えませんでした。
当然、彼女と結婚するなんてことは実現されず、むしろ逆方向に行ってました。「何が悪いんだ!観念か?欲求か?手放してないからか?!」
ここでくるくる回りました。アファや自愛、セドナなどメソッド漬けです。でも変わらない。
「叶えるためにやってるのが悪いのか?」ここで爆発しました。
「もうわからん!知らん!チケットも潜在意識も引き寄せも全部すてる!こんな考えも全部すてる!」
とわめいたんですね。もう知らね!!!!と。そしたら、疑問がわきました。
あれ、この思考ってどっからくんの?と。「そりゃもちろん、自分でしょ。あれ?自分って何だ?」
「自分って自分。あれが趣味でこれが好物で、この仕事してるetc」
「じゃ、その自分ってどうやってできたの?」
「そりゃ、こんな経験があってこの人に会って、こう学んできてこう成長してetc」と自分の中で会話してきました。
その途中いらん観念や欲求を捨てようと、不都合なものは消すためセドナもやりました。「~この記憶を削除します。よし」
「~この記憶を削除します。よし」
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「きりがない…。あれ、これもしかして自分のレッテルも消せる?全部消したらどうなるの?」
「てか、消せるってことは存在していないってことじゃね?」
「あれ?ってことは、もとから存在してない?自分と思ってるこれも?」と、本当は自分なんて存在してないじゃんって気づいたんです。
てことは、思考やエゴとか自分は存在してなくても世界って、意識しかないんじゃない?
これが別の領域?あれ?てことは、全ての認識を捨てるともとから全部あるってことじゃ…その瞬間わかりました。
もう既に全部あったことに。何もしなければ、そのまま受け取れていたってことでした。
そう見えなかったのは、今まで自分が選んで抵抗していたことだったんです。だから自分が考えている思考に意味がなかったんです。
幻が幻に反応してその連続が続き、あたかも実在しているように感じている。だけ。自分と思っているものに力はなく、ただ邪魔をしていたんだなって納得できました。
ベースは充足で、何もしなければ現れてくるっていうシンプルなものだったんです。以上が、認識変更の流れです。
04 現実はコントロールできないんですが、コントロールする必要なんてないんです。
自分てものは本当に存在してません。
そうなるとエゴが幻やまやかしになるってことです。
まやかしに振り回される必要はなくなります。
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