基本は、「許可」
単純に「既にある」って、一番うれしくて、安心できることだと思うのだ。
だから、単純に、それを自分で許可すればいいんだ。
自分の内側に、嬉しさや安心感を感じていくのも、既にある、の方向。
フラットにする
で、「そんなのできない!」という「自分というエゴ」の意識、思考を外していく方向が大事。
自分に向き合う
自己観察的にエゴ的な自分と離れていくには、逆に自分と向き合うといい
自分の内側とつながる
→ 最近よく書いてる、ハートの奥の奥につながる、とか。
→ 心地よさを維持しやすい。
自愛が大事
「別の領域」的な自愛ではなくて、ストレートな自愛だっていい。
現実・現象よりも、自分を大事にする。
誰よりも、自分を大事にする。
誰よりも、自分の味方になる
ネガでどうしようもないときに、少しでも楽になろうとするのも、自分を愛していることだし。
そのネガを抜けられなくて、苦しむ自分も、「許す」
許すというか、離れる、という感じか。
責めない
結局「自分」よりも、「現象」を重視しているから、自分を責める
普段の実践
「ふだんの何気ない意識」って、改めて大事なんじゃないかと思った。
「自分=世界」なら
「潜在意識やスピリチュアルにまったく興味のない人が、人生を過ごしている」
「執着」してると叶わない、という言葉が、より執着させる
もっと自由に、現象化に関係なく、いい気分で毎日過ごせてもいいはず。
現象化を期待して、毎日いい気分でいられない、という悪循環。
許可と責めないをまとめた、こまけえさんのすばらしい記事
確かに潜在意識(自分=世界)の知識がない中でエゴに内面が汚染されると、制御がないままにネガティブな世界を無意識に創造してしまいますが(創造していることにも気付けない)、既にこの業界に入って「自分=世界」という枠組みを知っているなら、どんなに内面がエゴ塗れになろうと、願いは叶うという認識(前提)を適用すれば、その問題は一気に解消します。
そしてその認識にどうやって立つのかと言えば、感情(エゴ)から離れて、それを思い出すだけです。エゴに内面が呑まれようが、苦しもうが、しばらくして感情の波が治まった時に、その懊悩と願望成就とは何の関連性もないことを思い出すんです。言ってみればこれは自己観察や自愛みたいなものですが、ルールを決めている本来の世界の創造主の立場に戻るといった感じですね。
この業界に足を踏み入れて内面の重要性を耳にすると、エゴに内面が侵されることを極度に恐れがちになります。まあこれは潜在意識あるあるとも言えますが、しかし「自分=世界」を冷静に鑑みれば、何も恐れる必要はないことが理解できるはずです。エゴに苛まれることが悪いのではなく、エゴに苛まれた自分を否定することがスピ的には悪手なんです。
「自分=世界」を逆手に取ったエゴの罠
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